薄雪草



「吉田ユキ…さん?」
「うんそう。四月一日くん知らない?」
「うん。初めて聞いたよ。そんなに凄いの?」

昼休み。いつものように重箱を広げれば、黙々と食べ始める百目鬼に味噌汁をズイッと手渡していると、ひまわりちゃんがにっこりと笑って言った。

「この間体育の授業で一緒だったんだけどね、本当に運動神経が凄いの。それこそ、羽根が生えてるみたいに身軽で」
「…羽根?」
「それに勉強も出来るみたいでね。あ、そういう所は少し百目鬼くんに似てるかな」
「百目鬼ぃ?」
「…」





そんな事をひまわりちゃんが言うものだから、気になっていつものように侑子さんに話してみた。侑子さんは興味のあるものと無いものの差が激しい。だからこの話題に侑子さんが必ずしも興味を示すという訳ではないけれど、ひまわりちゃんに聞いて気になったから話題にしてみたのだ。
すると侑子さんは口元を緩めて面白がるように笑った。

「へえ、それで?」
「いやそれでって…それだけですけど」
「なぁんだ、その噂の子と会ってドキドキしちゃった!とかそういう甘酸っぱい話じゃないのね」
「な、なんでそうなるんですか!!」
「四月一日はひまわりに一途だもんな」
「相手にされてないけど」
「「ぷぷぷー」」
「だぁーーーっ!五月蝿いですよ!!それよりも!」
「その子ねぇ…」

ふっと侑子さんが口元に再び笑みを浮かべる。そのサマが先ほどまでのからかいのモノとは違ったので、俺も気を引き締める。

「…なんか、マズいんですか」
「いえ?寧ろ、四月一日は関わっておくべきね」
「え」
「大丈夫よ。悪いモノじゃないわ。ただ、逸脱しているだけ」
「…人じゃないんですか」
「いいえ、その子は只の人よ」

侑子さんがスッと笑みを消した。

「人は経験を積むにつれて出来る事が増えていく生き物よ。話す事、歩く事、書く事。全て生まれた時から年数を重ね、経験を重ねて出来るようになったモノ」
「はい」
「勿論、習得するのに要する時間は人それぞれだけれどね。」
「…」
「彼女は、人一倍経験が多いのよ。それこそ、長い長い時間をかけて習得してきたモノが沢山ある」
「え?そ、それってどういう…」

煙管に火をつけ、それに口を付ける侑子さん。煙が登っていく様をぼんやりと眺める。

「異世界があるというのは四月一日も知ってると思うけれど、異世界に渡る方法は一つじゃないのよ」
「え、え?じゃあ吉田さんは小狼くんみたいに異世界から来たってことですか!?」
「ええ」

誰か知らぬ手のモノによって強制的に世界を渡っている彼女。対価は…彼女自身。
そう侑子さんが口にしなかったのはこの時の俺には知る必要の無かったことで、俺自身知る勇気も無かったからだろうと思う。本人から聞いたのだってこの出来事から随分と後の事だ。
ただこの時の俺はただただ異世界から来たという事実に驚きっぱなしで。

「す、凄いんですね吉田さんって…」
「ま、四月一日なんかそれこそ一捻りでしょうね!」
「まさかぁ!相手は女の子ですよ?それくらい…」
「でも四月一日ひょろいからなぁ」
「ひょろいってなんだぁぁ!!」

夕飯の支度してきます!と酒をあさりに行ったモコナの後を追いかけた俺は、このすぐ後に侑子さんが零した言葉と憂いを知らない。

「それでもきっと、あの子は全部背負い込んでしまうんでしょうね」

願うならば自身で叶えてみせる、なんて有り余る能力で奮闘して。心の奥底には本当の願い事を持っているのに、それは叶わないと確信している彼女。

「世界は一つじゃないけれど、帰りたい世界は一つなんですよね…」

いつだったかそう言った彼女に、侑子さんは何を思ったのだろうか。





────

「あの、吉田さん!」

侑子さんに言われたからって訳じゃないからな!などと言い訳を色々しながら四月一日は噂の主に声をかけた。

「あ…」

ゆっくりと振り返った彼女に小さく息をもらす。嫌なドロドロした気配とかそんなものは一切感じなくて。それよりも風が全てを一掃するかのような感覚で。だけれど神聖な感じはし過ぎず、どちらかといえば柔らかく、暖かな印象。

「なあに?」

彼女から発せられた声にハッと意識が確立する。

「あ、あああのっ!ご、ごめん突然!!」
「ううん。…四月一日くん、だっけ?」
「えっ!俺のこと知ってるの?」
「うん、知ってるよ」

そ、そうなんだ。ひまわりちゃんに聞いたのかな。少し照れるな。

「…おい」
「ってぇ百目鬼!?お前いつもいつも突然現れやがって!大体俺はおいっつー名前じゃないっつーの!!」
「ははっ」

第三者の笑い声にはっとして怒鳴るのをやめる。そうだ、此処にいるのは俺一人じゃないし、この光景に慣れている侑子さんやひまわりちゃんじゃないんだった。

「ご、ごめんね」
「ううん。仲良いんだなぁって思って。」
「ええっ!?それはないよ!!」
「でもね、四月一日くん。そういう風に思った事を素直にぶつけられる相手、それが友達だろうと気に食わない相手だろうと、凄く貴重な存在なんだよ」

そう言って微笑んだ吉田さん。その優しさで溢れた視線になんとなく気恥ずかしくなって、頬を掻く。

「お前誰だ?」
「なっ!お前知らずに割り込んできたのかよ!吉田ユキちゃんだよ!昨日ひまわりちゃんが言ってただろ!?」
「あぁ、お前が」
「確か…百目鬼くんだよね?」
「あぁ」
「お前はまたそんなっ…」

文句を言おうとして口を開いた次の瞬間背筋が凍るような嫌な気配に意識が持っていかれる。

「っ…き、今日は話してみたかっただけなんだ。また明日話しかけてもいいかな?」
「うん、私もまた話したいな。四月一日くんとは長い付き合いになると思うし」
「?じゃ、じゃあ俺はこれで!」
「おい、どうした」

百目鬼がなんか言ってるけどそんなのは無視だ無視。吉田さんには百目鬼がついてるし恐らく大丈夫だろう。それに、狙いはたぶん俺だ。急いで、此処を離れなきゃ─────…!

「四月一日くん」
「…え?」

今にも駆け出そうとする俺の腕を力強く掴んだ吉田さんに思わず動きを止める。その細い腕のどこにこんな力があるんだろう。

「四月一日くん」
「あ…」
「此処には私も、百目鬼くんも居る。一人で抱え込まなくていいんだよ」

上空から、黒い靄のようなものが勢い良くコッチに向かってくるのを視覚でとらえる。俺に祓う力は無いし、百目鬼は祓う力はあるけど妖を見ることが出来ない。どう考えても危険な状況なのに、この時の俺は一切焦っていなかった。吉田さんの目が、手から伝わる力強さが、俺を丸ごと包んでいて。
吉田さんがニコッと微笑んで二本指を立て、口元に添える。

「”方位”、”常礎”」

嫌な気配が、この世のモノではない姿で目の前まで迫っている。侑子さんの言葉が頭をよぎる。
吉田さんはその手を勢い良く、空へと振り上げた。

「”結”!」

その瞬間、俺達三人の周りに透明な四角い箱のようなモノが現れる。勢い良くコッチに向かってきていた妖が其れにぶつかり、ガンッと大きく音がした。

「わあっ!?」
「…なんだ?」
「大丈夫。”結”!」

もう一度唱えられた言葉で今度は妖が囲まれる。その箱からは出られないようで、ガンガンと箱の中で暴れている。
吉田さんは”解”と言って俺達の周りの箱を消した。そして振り返ってさっきの優しい瞳で俺を見た。

「四月一日くん」
「あ…」
「これからは私も居るよ。





────”滅”っ!!!」

ドオンッという爆音と共に箱が爆破する。爆風に目を細めれば吉田さんが手を差し出して再び笑った。

「私は吉田ユキ。特技は…結界術かな。四月一日くん、百目鬼くん、これから宜しくね!」
「はは…」

百目鬼とチラリと視線を交わした後、その手を弱々しくとると、吉田さんは嬉しそうにはにかんだ。






相手は一応百目鬼くん。
現代→…→結界師→ホリックの多重トリップ主。