絡まり合って逃げてゆく

「へぇ、そんな事ってあるんだね!」
「轟くんからこういう話を聞くのは初めてで新鮮だな!」


緑谷はビールジョッキを手に、学生時代と変わらない人好きのする笑顔を浮かべながら驚いたように嘆息した。緑谷の隣に座る飯田は、同じように学生時代と変わらない特徴的な手の動きで感情を表現した。2人と向かい合う形でテーブルを挟んで日本酒を飲んでいた轟は、「そうか?」とにこやかに相槌を打った。20歳を過ぎてから、こうしてちょくちょく3人で飲むようになった。アルコールが入ると普段話さないような恋愛話に花が咲くこともある。今日はお互いの初恋の話を暴露していた。


「でも、その先生と中学3年生の時も会って、インターンの時も会ったんだよね?凄いね!」
「うむ!中々ある事ではないな!」


緑谷と飯田が興奮した様子で話し出す。2人ともアルコールがちょうど良く回っているのか、ほんのりとだが頬が上気している。轟はその個性柄、体温調節を無意識にしているためあまり酔いが顔に出にくい。だがアルコールは確実に轟の思考力を鈍らせ、普段口にしないような本心を暴き出していた。


「インターンの時に、気持ちを自覚したんだが、その時は学生だったからな。どうしたいとかもあまり考えていなかった。」


うんうん、と緑谷と飯田は大きく頷きながら相槌を打った。ヒーロー同士の熱愛報道などは日夜ワイドショーを賑わせているが、サイドキックのうちや、ましてや学生の頃なんかは恋愛している暇はほとんど無かった。毎日必死になって活動をこなすので精一杯だったからだ。その当時を懐かしむようにぼんやりとしていると、緑谷がそういえば、と何かを思い出したように切り出した。


「その当時轟くんがインターンで訪れていた事務所って、ちょっとした不祥事があったよね・・・?」
「そうだな、そこから俺のインターンも解消されて、彼女とは会えていない。」


轟は当時の記憶を呼び覚ますようにぽつりぽつりと語り始めた。




隣の市で大規模なテロがあり、事務所全員が駆り出されたあの日。無事敵の制圧が完了し、避難させた住民にも重傷者はおらず、警察への敵の引き渡しも完了した頃。いくつかの事務所合同で取り組んでいた案件だった為、一旦事務所の人間で集合する事になった。全員分支給されているピッチで集合をかけたのだが、サイドキック一名が何故か電話が繋がらなかった。また、敵の制圧完了を知らせようと事務所に電話を掛けたのだが、それも繋がらなかった。


「あれ?おっかしいなー。あいつは住民の避難誘導に当たらせてたから、どこかで動けなくなってるなんて事は無いだろうし・・・」
「事務所の電話が繋がらないのも変ですね。事務所って今苗字さんひとりですよね?事務所を留守にする事なんてまず無い筈なのに」


先輩ヒーローが不思議そうに話し合う中、轟は嫌な予感がしていた。ここ最近名前を送っていたのは、名前が明らかに何かに怯えていたからだ。自分が付いていけばその間は変な事は起きないだろうと思っていた。送っている間も怪しい人影は無いかそれとなく探っていたが、そういった人物は一度も見当たらなかった。だが、轟が名前のそばに居るのを初めから知っている人物だったとしたらーーー。


「・・・俺、事務所の方確認してきます!」
「え・・・?轟くん!?」


轟は先輩ヒーローの制止も聞かずに走り出した。通行人の邪魔にならない程度に氷結も使って。嫌な予感が外れることを祈りながら。






「君が悪いんだよ・・・俺を誘惑しときながら、あんな若造にも色目を使うから・・・」


轟は鍵のかかったドアを蹴り開けて中に入った。そこには、行方不明のサイドキックに馬乗りになられ、口元を押さえられている名前が居た。入ってきた轟に怯えた視線を向けた名前を見た瞬間、轟は一切の躊躇なくサイドキックの足を凍らせていた。


「ぐぁっ・・・いてぇ・・・!!」


足を凍らされた事により、拘束の手が緩み、名前が自力でサイドキックの下から抜け出した。ふらりとよろけながら立ち上がった名前を、轟が支えてサイドキックから距離を取った。同時に、個性を使えないよう、両手までを凍らせた。


「動いたら砕けますよ。大人しくしていて下さい。・・・婦女暴行、あとストーカーも、犯人はアンタか?」


轟は名前を庇うように立ち、サイドキックを問い詰めた。犯行の現場を目撃した以上、相手が先輩だとしても見過ごす訳にはいかなかった。サイドキックだった男は、ぎり、と歯を噛み締めながら轟に食って掛かった。


「そいつが!その女が悪いんだよ!俺に色目を使っておきながら、他の男にもフラフラしやがって・・・おまけに、最近はお前みたいな若い奴にも手を出しやがって・・・!」
「苗字さんと俺はそんな関係じゃない。だだ仕事終わりに駅まで送っていただけだ。」


男の言い分は、完全な言いがかりに思えた。ちらりと名前の様子を伺うと、男の言葉に言い返せない程怯えており、顔面蒼白でカタカタと震えていた。口元を手で押さえながら、もう片方の手で自分の身を守るように体を抱きしめている。見ているこちらが不憫になるくらいの怯えようだった。


「とにかく、詳しい話は警察でしろ。」


轟はピッチを取り出し、警察と先輩ヒーローに電話をかけた。すぐに警察が駆け付け、両腕を凍らされたサイドキックが連行されていった。名前も参考人として婦人警官と一緒に警察署で事情聴取を受ける事となった。警察が駆け付けたのと同じくらいに、他のヒーロー達が事務所に戻り、状況を把握して酷く驚いていた。それもそうだ。自分の事務所から犯罪者を出してしまったのだから。苦々しい顔をしているヒーローに、轟は何も言えなかった。


轟もその場でいくつか事情聴取を受けた後は、事務所の中を片付けて、今回のテロ事件の事務処理をしたりしていた。先輩ヒーローは、今回の事をヒーロー協会に連絡しているようだった。遅かれ早かれ、警察にお世話になってしまったのだから協会にバレるのは時間の問題だった。早めに連絡するに越した事はないと思ったのだろう。終始事務所内は重々しい空気に包まれていた。




「えっ・・・、ーーー苗字さん、被害届を出さなかったんですか?」


元サイドキックが警察に連行されてから数時間後、事務所の電話に警察から連絡が入った。対応した先輩ヒーローの言葉は、俄かには信じがたいものだった。名前は、暴行されたにも関わらず、被害届を出さなかったというのだ。事務所の職員全員がヒーローの電話に耳を傾ける。いくつか問答を繰り返して電話を切ると、険しい表情をしたヒーローが口を開いた。


「苗字さん、被害届を出さなかったんだって。」
「なんでですか!?苗字さんは、被害者じゃないですか!」


犯行の現場を目の当たりにした轟が、ヒーローの言葉に反論した。轟は、ここで問い詰めても何も変わらない事は頭では分かっていたが、言わずにはいられなかった。ヒーローは冷静に事務所内にいるメンバーに、警察からの報告を説明していく。


「犯人は犯行を認めているし、反省している。だが今回の事でヒーローの権利は剥奪されるだろう。・・・苗字さんは、自分に関わったせいで人生を棒に振ってほしくないんだと。」


名前が納得している結果とはいえ、轟にとっては理解できない決断だった。犯人は犯罪歴が付かず、ヒーロー権利は無くなるものの、社会復帰をする事はできるだろう。だが、襲われた名前はどうなのか。全てが穏便に片付いた結果なのに、轟の胸にはやり切れなさが残った。

その後、名前が事務所に戻る事は無く、電話で退職を告げられたという。事件があった後という事もあり、その電話を受けたヒーローは心から名前を心配していた。名前はヒーローにお礼を言いながらも、ただひたすらに謝っていたと聞いた。また、轟にありがとうと伝えてくれという事も。名前だけが全て我慢して終わらせてしまう。中学の時と何も変わらない結果に、轟は不甲斐なさを感じざるを得なかった。





「けしからん話だ!それにしても彼女は何故被害届を出さなかったのだろう?」


話を聞き終わった飯田が憤慨しながらも疑問を浮かべた。真面目な飯田は、正しい事は正しいとハッキリせねば気が済まない立ちなのだ。飯田の疑問に、隣に座る緑谷が顎に手を添えながら答えた。


「痴漢された女の人って自分から言い出せなかったりするから、それと同じ心理なのかもね。」


緑谷が推察を述べ、飯田は「なるほど・・・だが、不甲斐ないな」と歯がゆそうな表情を浮かべた。自分の事で、これ程までに親身になってくれる友人を持って、轟は幸せだなと思った。同時に、あの時感じたやり切れなさも思い出して胸がもやもやとした。


「・・・中3の時も、高2の時も俺は先生を救えなかった。好きな女ひとり守れなくて、何がヒーローだ」

轟は悔しそうに右手をぎゅっと握り、苦々しい表情でその拳をじっと見つめる。そんな轟を緑谷と飯田は心配そうに見つめる。だが、顔を上げた轟はどこか吹っ切れた表情だった。



「だから、今度逢えたらもう手放すつもりなんてねェんだ」