友人は真剣な表情で正座をしながら、若手人気ヒーロー3人と相対していた。熱燗で良い感じだった酔いは完全に醒めてしまった。
「・・・で、この子が言ってた"轟くん"っていうのは、ヒーローショートって事で間違いないんですね?」
轟の口から語られた名前との出会いから現在までは、おおよそ友人が名前から聞いたものと相違なく、身元の確認にヒーロー免許証を見せてもらった事から、事実確認が取れた。まさかの展開に俄かには信じられず、念押しのように轟に確認すると、その端正な顔がこくりと頷いた。それを聞いて、友人は米神を押さえてがっくりと項垂れた。
本当は名前と轟が再会出来た事を手放しで喜びたかったし、なんならこの機会にプロヒーローに握手だけでもして欲しかった。だがそうするのはこの状況が許さなかった。こんなとんでもない状況を作り上げた張本人は、轟の横ですやすやと寝息を立てている。そしてそんな名前を見つめる轟の、なんと絵になる事か。まさに眼福である。思わずそんな現実逃避をしたくなった。
「僕達もさっき轟くんから聞いたばかりで、驚いたんです。こんな事、本当にあるんですね。」
項垂れる様子を哀れに思ったのか、緑谷がフォローのように友人に話し掛けた。さすがヒーローデク、若手支持率No.1は伊達じゃない。顔を上げて感動していると、友人の鞄の中で携帯のアラームが鳴った。終電に間に合うよう、店に入る時にあらかじめ設定しておいたのだ。スマホの画面を見て、「すいません、そろそろ終電が・・・名前も連れて帰りますので」という友人の言葉を聞いて、轟が口を開いた。
「女性1人で運ぶのは骨が折れるでしょう?差し支えなければ俺が送って行きますよ。」
「えぇっ!?でもそんな、オフのヒーローの手をこれ以上煩わせる訳には・・・」
轟の提案に、友人は慌てて首を振った。今や世間に引っ張りだこの彼らの事だ、今日3人の予定を合わせるのだけでも大変だっただろうに、折角の楽しみをこれ以上お邪魔する訳にはいかなかった。
「僕達なら身元もハッキリしてますし、まさかヒーローが女性を送って間違いが、なんて事も無いですから。ね!轟くん!」
緑谷が轟の提案を後押しするように助け舟を出し、轟はそれに合意するように頷いた。だが、続けられた轟の言葉に、緑谷がぎょっと驚いたような表情を見せた。
「でも、これはヒーローショートとしての"仕事"のつもりは無いです。"俺"が、先生を送って行きたいんです。」
そう言って真剣な表情で告げた轟を見て、友人は全てを察した。轟は、名前に好意を抱いているのだ。そして、名前も明言はしていなかったが、轟の事を語る時は柔らかな表情をたたえていた。名前も、轟の事を悪からず思っているのは確かだった。だが、名前が自分から行動を起こすとは思えなかった。こうして轟の方から行動を起こしてくれるのは、有り難い事なのかもしれない。
「・・・そういう事なら、私からもお願いします。」
少し考えた後、友人は深々と轟に頭を下げた。成り行きを見守ってハラハラしていた緑谷と飯田も安心したように顔を見合わせ、笑顔をこぼした。
名前の友人から教えてもらった住所へと向かうタクシーの後部座席に揺られながら、轟は肩にもたれ掛かる名前の頭の重みを感じていた。名前と居酒屋で再会してから1時間程しか経っていないが、何故かその何倍もの体感時間を感じていた。それ程に己が感じた衝撃は大きかったのだ。まさかはじめて他人に話した初恋の人が、その日に目の前に現れるだなんて誰が予想できるだろうか。だがそんなまたとないチャンスを、逃すつもりは毛頭なかった。轟はふと視線を下ろし、肩にもたれ掛かる名前を見下ろした。ここからだと名前の表情は窺えなかったが、その長い睫毛はよく見えた。早く目が覚めれば良いのに、と思った。
名前のマンションに着き、料金を支払いタクシーを降りる。流石に玄関を無断で開ける訳にもいかないので、名前の肩を軽く叩いて声を掛ける。
「先生、起きて下さい。家着きましたよ。」
「・・・んん?」
街灯に照らされた路上で、深夜に男女がふたり。この場面がすっぱ抜かれたら、間違いなくスキャンダルだが、時間帯と閑静な住宅街という事もあって、周りに人影は見当たらなかった。名前はまだ眠そうな瞳を半分程開けて、ぼんやりとしている。周りをキョロキョロと見渡して自宅だと分かったのか、鞄を手で探るような動きをした。
「鞄、俺が持ってます。鍵、どれですか?」
「んん〜〜・・・くろいかぎ・・・」
舌足らずな言葉で応対した名前は、それでも何とか問答には答えられる状態のようだった。轟は鞄からキーケースを取り出し、黒い鍵を探り当てながらマンションのエレベーターへと乗り込んだ。名前はフラフラとしながらも、轟の支えがある為転んだりはせず、2人は何事もなく部屋の前まで辿り着くことが出来た。鍵を開け、玄関へと足を踏み入れた。こじんまりとした玄関は、芳香剤が置いてあるのかふんわりと花の香りがして、轟は今更ながら女性の部屋にいるのだと実感し、少し鼓動が早くなった。
「・・・先生、一旦下ろしますよ」
柄にもなく少し緊張してしまっている自分に気恥ずかしさを感じながら、名前に声を掛けて玄関先に名前を座らせる。玄関の電気を手探りで付けて、名前の鞄も床に置く。名前は壁に頭を預けてまたうつらうつらと船を漕いでいた。ここで自分がいなくなれば間違いなく玄関で寝るな、と確信した轟は、せめてリビングまで運ぼうと意を決し、名前のパンプスを脱がせる為に片膝をついて腰を下ろし、足首へと手を伸ばす。自分のそれより随分と細い足首にかかるストラップをパチンと外し、するりと足から抜き取る。抜き取ったパンプスを玄関脇の空いているスペースに並べ、もう片方も脱がせようと手を伸ばした。すると名前が「ふふっ」と笑い声を上げた。その声に反応して名前の方を見ると、先程と同じように、頭を壁に預けたままの体制で目だけを開けて轟を見ていた。アルコールで少し潤んだ瞳と目があって、轟はまた少し鼓動が早くなった。
「そうしてると、本当に王子様みたい」
「・・・さっきから、何ですかその"王子様"って。」
緊張している自分を悟られたくなくて、名前から目を逸らしてパンプスを脱がす手元に視線を下ろす。ストラップを外し、パンプスをずらすと先程と違い、名前の足がするりと抜き取られた。何故かその足の動きが艶めかしく見え、目で追ってしまう。名前は両足を抱えるようにして体の中心に寄せ、指で足先を遊びだす。壁に預けられていた頭は抱え込んだ膝の上に乗せられ、体操座りをするような体制になった。
「轟くんはぁ・・・王子様なの。何度も助けてくれる・・・でも、私はもう王子様なんて・・・求めちゃ駄目なの。」
片膝を立てて目の前に座る轟を上目遣いで見上げて名前は言葉を返すが、途中でふいと視線を逸らし、どこか遠くを見るように呟く。
「もうすぐ三十路だし・・・、ニートだし・・・お見合い連敗中らし・・・、暗いし・・・めんどくさいしぃ・・・うっうっ、」
「・・・先生、泣くなよ」
後半になるとネガティブな言葉ばかりが増え、最後には嗚咽が漏れた。ぽろぽろと流れる涙を指で拭いながら、轟は困ったような声を上げた。
「だから、私はお姫様にはなれないの・・・」
そう言って、名前は頭を膝に埋めてしまった。ひっく、ひっく、としゃくり上げる声が聞こえる。轟は名前#の背中をさすりながら、少しの沈黙の後ぽつりと漏らした。
「・・・俺は、王子様なんかじゃない。」
そう呟いた轟に、名前がゆるゆると顔を上げる。相変わらず涙はぽろぽろと溢れていたが、しやくり上げる声は収まっていた。
「送ってきたのだって、正直下心あっての事だ。・・・それに、過去に何度も救けられなかった事、後悔してる。」
轟は当時のことを思い出して、悔しそうな顔をして拳を握り締める。その痛々しそうな姿に、思わず名前は握り締められた拳に手を伸ばす。それに気が付いた轟が、伸ばされた手を取って握り締めた。そして名前の真正面から目を合わせた。
「後悔してるのも、先生だからだ。先生の事が、好きだったからだ。」
真っ直ぐ伝えられたその言葉に、名前は目を見開いた。先程までの涙が、今度は嬉し涙に変わって溢れてくる。
「俺なら、先生をお姫様にしてやれる。・・・だから、泣き止んでくれ。」
信じられないという風に驚いた顔の名前の目から尚も溢れる涙を、轟はその唇で拭い取った。ふるふると震える瞼から、瞬きをした拍子に、また涙が溢れた。それも掬い取るように轟の唇が動く。至近距離まで近付いたお互いの顔に、心臓はかつてないほどの早鐘を鳴らしていた。
「・・・本当に?」
「本当だ。何度だって言ってやる。
先生、好きだ。」
お互い引き寄せられるように交わしたキスは、涙の味がした。