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出会い→
再会の続き
返却資料の配架をするため本を持てるだけ持って階段を上がった。今はお昼時で、アカデミーのエントランスホールにはわずか数人の生徒しか居ない。在籍している教師、職員も同じで当番を残して食堂へ行ったり、自宅へ帰ったりしてそれぞれのランチタイムを過ごしている。この時間帯、ここに立っているだけでも返って周囲の目を引くことになるが、その中でも一際目立つのは、威儀を正すように背を伸ばし、本の羅列に目を落とした彼、ハッサクさんの姿だった。このようにして、今日も今日とて何時もの時刻に現れる彼と鉢合う為、先に同僚へ休憩を譲り、生徒から返却された本を溜めていた。今はまだ、このような形でしか彼の近くには寄れないが、あの再会のショックから徐々に持ち直そうと自分なりに頑張っているつもりだった。
私はあれから、本屋の店主に用意してもらった身分証明書を手にし、たまたま枠が空いていたというエントランスホールの書庫管理の面接に挑んだ。このアカデミーで働く学校職員というのは、未来あるトレーナーたちに貢献したいと思うパルデアの地元民で構成されている。特別な資格や肩書きが無い場合でも、個人の理念や突飛さが尊重されるため、面接次第では採用をもらえるとのことだった。しかし、私には身元を証明するものも無ければ、生きた形跡や経歴を表すものもない。生徒を導く一員としてアカデミーに所属する以上、どこから来たのかも分からない部外者を受け入れてくれるほど警備はザラではなかった。だから、私はとても運が良い。彼の為に迷い続けたあの時間は無駄ではなかった。本屋で働いていた実績と、私と同じ歳の娘を亡くしたという店主に頼み込めば、その問題は解消されていく。そして、彼の最も近い場所に身を置くことができたわけだが、それでも、いまだ彼と話すことができないのは司書資格の有無も関係するのだろうか。彼のレファレンス、閉架書庫資料の閲覧はいつも私では無く、他の職員に依頼される。
「(ハッサクさんと、話がしたい)」
そう思いながらも、あの時の容赦なく突き刺さるふとした言葉と目線を思い出し、体が怖気づいてしまっていた。だから、わざとらしく本の音を立てたり、あの時のように両手いっぱいに抱えたり、とにかく気を引こうと様々な自己主張をする。が、やはり、私ばかりが彼を追いかけている形となっていた。その一方通行な思いの丈は、今この瞬間も彼に向けられている。今日も、ようやくこの書棚の中から彼を見つけることができた。彼の威厳ある佇まいはもちろん、その細部にまで目を凝らすと、無駄のない一連の動きに目を奪われる。彼の長い指が本の背表紙を引き出し、服を脱がすように優しく表紙を開いた。片手で側面を支えて、もう片方でページを捲るたびに、滑らかに動くその指は途切れのない音楽を奏でているようだ。同時に、本の影から飛び出すその有り余っている手指の大きさに彼の男の部分を感じて腹の底が疼く。
「…」
ページを捲る紙の音がこの空間に響いた。今日は、随分とその文字に耽っているようで、いつもより長く彼を感じることができる。そう思っていたのも束の間、そんな私の思い上がりに気が付いたらしい。彼はパッと顔をあげそこにいる私を発見すると、眉をつり上げ、たしなめるように眼を飛ばし直した。
「…っ!」
ひどく既視感のある光景を思い出すが、あの時の優しさを含めた彼の温情は見られない。彼のことしか見えなくて、彼のことを理解していない私に、彼はあまり気分がよろしくないようだった。慌てて目を逸らし書棚の影に身を寄せるがすでに手遅れ。彼は本を元の隙間に戻すと、踵を返し立ち去ってしまった。その冷たく、無関心な様は着々と私の心を締め付けていく。同時に、彼への興味は枯れることのない水源のように溢れていき、その行き場の無い水は渇望という器を貯めていくのだった。そんな私の気持ちを翻弄する日々がしばらく続いていたが、彼が時間をずらすようにして私を避け出したことを知り、歪な音を立てて私の中の何かが壊れていくのを感じた。
想像もしたくなかった現実が、この数週間で疑いもなく確かなことに変わりつつある。彼は、私のことが、嫌い。何故かは分からない。私が彼に何かをしてしまったのなら、その理由を見つけるのは至極簡単なことだろう。しかし、私は何もしていない。心当たりがあるとするならば、彼を嗅ぎ回るようにしてパルデア中を探していたことくらいか。でも、まさか、そんなこと、彼が知るはずもない。そう思ったが、彼と再会した時に投げられた、あの言葉を思い出す。
「なぜ、貴女が此処にいるのですか」
その言葉は、今まで私が居た場所を知っているかのような口ぶりと、まるで此処に居てはいけないと遠回しに諭されているようだった。それでも、なぜ、どうして。子供の我が儘のような疑問が頭の中を支配する。数日間、彼に会えなかったせいもあるのか、終業後の夕刻、私の足は彼が教鞭をふるうという美術室へと向けられていた。
授業を終えた生徒たちは、夜に向けそれぞれの寮室へ戻る。それでも何人かは教室や教師の元へ居残るそうだが、美術室があるという東3号館2階には人の気配すら無かった。しかし、階段を上がった先にある廊下の床を美術室内から漏れた明かりが照らしているのを目にし、彼はまだそこにいるのだと確信する。抑えきれない衝動に駆られてしまったとはいえ、初めて足を踏み入れる彼の領域に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。彼の私にだけ向けられる血の通わない対応が頭をよぎる。これ以上この足を進めてしまえば、もう後戻りのできない所へ行ってしまうのだろうか。それでもいいと思った。どうして嫌われているのか、分からないままいるよりはずっとマシだ。そう決心した私は、美術室へ入ろうと足を動かす。その時、室内から子供の弾む声と彼の優しい声が聞こえてきて足が止まった。
「最初の頃と比べて、デッサンのコツが掴めていますですよ。その調子で頑張りましょう」
「うん! ありがとう、ハッサク先生!」
それじゃあまた明日、さようなら。そう挨拶をして、その子は美術室から飛び出した。もちろん、入口横で立ち止まることになった私と鉢合うが、イーゼルを小脇に抱えたその子は一瞬、驚きの表情を見せただけで、次の瞬間には笑顔を浮かべ私に「さようなら」と一言だけ述べて階段を駆け降りる。
「さ、さようなら…」
遅れて声を発したそれは、案の定掠れていて生徒の耳に入ったのかさえわからない。しかし、美術室内に居る彼の耳にはしっかりと届いたようで、中で椅子がガタッと鳴り、彼が私の存在に身構えたかのように感じた。
「出てきなさい」
彼が姿の見えない私に声をかけた。まるで私がコソコソと隠れていたかのような言いぶりをする。先程の生徒に対する声色と異なり、それは、やはり嫌悪と向き合ったような酷いものだった。またもや、その対応に胸を締め付けられていく。それでも、足を踏み入れた先に居た、彼の姿を久しぶりに目にすると、せき止められていた彼への感情が溢れていくのを感じた。やっと、彼と向き合えた気がする。私の目と彼の目が真正面を向き、お互いを目に入れている。それだけで、緊張と歓喜で唇が震えた。
「小生に、何か用事があるのでしょう」
「は、い…、あの」
「いや、待ちなさい。こんなところでは関心を持たれますですよ。どこか、もっとひと目のつかない所に…」
「…え?」
焦燥する彼の姿に疑問を抱く。その間抜けな声を耳にした彼の目が鋭く光り私のことを睨んだ。私のことを嫌っているその姿を目の前にしながらも、彼と長く会話出来ていることに浮かれていたのかもしれない。原因は私であるのにも関わらず、彼の手助けをしたいがための言葉が出てきた。
「それなら、私の家がありますので」
ので、何なのであろうか。ふいに出たその内容に私は失言をしてしまったのかもしれないと口をつぐむ。しかし、次に出た彼の回答は意外なもので、その言葉の意味に知らないふりをするほど薄志弱行な人間であるはずがなかった。
「…寮の門限が過ぎた後、アカデミーを出た階段下で待っていなさい」
それだけ言って顔を逸らした。その髪に隠れてしまった彼の表情は確認できなかったけれど、私に猶予を与えてくれたような、少しだけ彼に許されたような気がした。私はその姿に、熱を帯びた眼差しで「はい」とだけ返事を伝えて、美術室を後にする。高鳴る胸の鼓動が私の体を酷く打ち付けた。呼吸が浅くなっていく。早く、彼にすべてを許されたい、そして触れたいという願いが私の中を駆け巡った。廊下にははやる気持ちを表すかのように、忙しなく鳴る私の靴音だけが響いていた。
寮の門限が過ぎた時刻に行くと、彼は約束通りそこに立っていた。一度家に帰宅し普段着になった私の格好とは違って、彼は数時間前に見たその姿のままで、その肩には通勤鞄がかけられている。もしかしたら、こんな夜更けまで職員室で仕事をしていたのかもしれない。それを示唆するように、早く用事を終わらせたいというような目で見返された。街灯の下で彼の顔が青白く光る。
「こちらです…」
私はその姿に声をかけ、元きた道を戻るようにして歩き出した。数メートル離れた後を彼がわざと距離を空けて着いてくるのを見ると、生徒が外出をしないこの時間帯でも、周囲の視線を気にしているのだと気付く。そうでなければ、ただ単に私の隣り合わせは嫌なのか。それでも私の背中に目線を逸らさず、大人しく着いてくるその様を見て、手のひらに汗が滲み出すのを感じた。緊張と嬉しさで背中がゾワリと鳥肌を立てる。
階段を降り、テーブルシティの南にある噴水広場に到着すると、まだ人が点々とまばらに居た大通りから、静かな水の音だけが寂しく響く空間に変化していった。今はもう閉店中のスペイン料理店を過ぎた、すぐ横の路地に入る。そこでもう一度彼の姿を確認すべく振り返ると、その動作に身を固くし体を揺らした彼が見えた。
「早く行きなさい」
そう言われ、怒られた。彼が機嫌を損なって何処かへと帰ってしまう前に私は急いで前を向き直し歩みを進める。先程の、彼の私を叱る声を頭の中で何度も再生した。何故だろう。心が湧き立つような嬉しさを感じる。この数週間の憂鬱がすべて嘘のように思えた。彼に構ってもらえてるこの現状に口角が上がる。その感情も、人気のない路地裏に入り私の住んでいるアパートへ近づくほどに大きくなっていく。石畳みを歩く二つの足音の距離も近づいていった。
「ここです」
そう言って歩みを止めて振り返ると、数メートル離れていたはずの彼はすぐ後ろに立っていた。しかし、その表情はひどく強張りまるでこれから捕食される獲物のように身構えている。何故だろう。その姿を目にした私の感情というものは楽しくて仕方がないと言ったように期待に胸を膨らませていた。さあ、早く中へ。そう言って建物の扉を開けば、すぐ目の前を塞ぐ階段が現れる。その階段を上がっている間も、彼は私の後ろを大人しく着いていきながら、部屋に近づくにつれて重たくなる足を無理矢理動かしているように見えた。建物の最上階、階段の終わり。その手前の部屋のドアの鍵を回すと、キィと蝶番の音が静けさの中に響く。私が家の主だから、私が先に入らなければ。そんな当たり前のことを思い、中へ入るべく足を進めた。未だ入口の外に居た彼はというと私の動向を探りながらも、その身体をゆっくりと進入させていく。私とは違うその大きな体躯がすっかりと玄関へと収まっていくのを目にし不思議に思う。そんな彼も、後ろ手でドアを閉めた。その直前に何故か動きを止めていたが、まるで知らないふりをするかのようにして手を引くのを私は見逃さなかった。
「もう、此処で充分でしょう」
吐き出すようにして紡がれたその言葉。これ以上、中へは進まない。それを意味する言葉に、少し残念な気持ちになる。この一人暮らし専用の玄関では大人2人が立ち止まるのには少し狭い。玄関の小窓から差し込む蛍光灯の明かりで、この暗闇の中でも彼の顔がはっきりと見えた。ジッとこちらから目を離さずに、私のことを追いかけている。彼と私の言葉通りに、やっと私の家へ辿り着いた。辿り着いたが、何だったのだろう。記憶を遡る。私が彼に用事があったのだ。そうだ、そうだった。しかし、その用事の内容も思い出せないほど、私は感情が昂り目の前の彼に意識を集中していた。彼が、こんなに近くに、目の前にいるなんて、夢にも思わなかった。嬉しい。そんな事しか考えていない、私の口から吐き出されたのは、彼を想う度に呟くものだった。
「ハッサクさん…」
あの時教えてもらった、彼の名前。その素敵な響き。彼の姿によく似合う、聞いたことのない名前。ずっと呼んでみたかった。彼の前で、彼の名前を。再び出会ってからも許されなかったそれは、彼の名前を口にしたことにより、檻から解き放たれたかのようにして次々と溢れ出していく。
その瞬間には、私は腕を広げて彼の胸に飛び込んでいた。胸元に頬を寄せたニットの上からでも分かる、その下にある肌の体温に口が緩んでいくのを感じる。彼の嗅いだことのない良い匂いが、ふんわりと香って脳を蕩けさせる。両腕を背中に回しさらに身を寄せたが、想像通りにがっしりとしたその筋肉により、それ以上はぴったりと合うことは無かった。いや、これは、違うかもしれない。彼の体は、私の抱擁を受けて、身を固めたかのようにして強く力んでいることに気付く。その小さな抵抗に、一気に頭が冷えていった。あぁ、また、やってしまった。ごめんなさい、ハッサクさん。どうか、どうか、嫌わないでほしい。そう思い、急いで身体を離した先に見た彼の顔は、想像していたよりも酷いものではなかった。
「ハッサクさん…?」
「…っ」
私の惚けた顔を見て、困ったように現状を一生懸命に理解しようと奮闘する彼の表情があった。未だに黙って、私のことを上から下まで舐めるようにして見ている。それでも、少しだけ離れようと手を肩にかけて優しく押された。それには、今までとは違う、酷い嫌悪や拒絶は感じられない。これも、私の思い上がりなのだろうか。そのずっと触れてみたかった大きく骨張った手に触ると、意外にも先程のように身を固くするそぶりは見せなかった。私は、彼に許されているのだろうか。期待しても良いのだろうか。そんな感情が私を先行して、気付けばその手の甲を手繰りよせ、自分の頬に当てていた。今日までを生きて刻まれていったこのシワを、肌で感じることができるこの喜び。もっと、彼のことを教えて欲しくて、自らの頬をそこに擦り寄せた。にっこりと微笑むとその形を変えた肌が彼の掌にひどく馴染むようだった。
「…いいですか、ナマエさん」
「はい」
「小生のことは、アカデミーでは「先生」と呼ぶのです」
「何故でしょうか」
「貴女が小生の名を呼ぶそれは、ひどく熱を帯びている」
違いますか?彼の私へと向けられた質問は、まるで誘導尋問をされているようだった。彼はなぜこのような質問をするのだろうか。今までの私を知らないのだろうか。だとしたら、なぜ彼は私を嫌っていたのか。そこまで思い、目の前のやんわりと表情を緩ませ、体から力を抜いた彼を見てから、点と点がつながったかのようにして、ある一つの真実に辿り着く。数分前の彼の姿を思い出し、クスリと声が漏れた。
「いいえ…、違いません」
「それでは、これからは小生の言う通りにするのです」
「何をすればいいのですか」
「何も、してはいけません」
「それは…」
どういう意味なのか。私は心の片隅で少しだけれども理解していた。彼は、私のことが怖い。未知なる生物を目の前にして、怯えていた。そして、私の本質を知るや否やそれを利用しようとしている。それを少なからず理解していたからか、彼の命令に対して口を閉じることができた。それはまるで凶暴な怪物を抑え込むようにして行われる一つの儀式のようだった。そうして、しばらく続く無言を断ち切るように、彼が歯を見せて子供のように笑った。
「よくできましたですよ」
そう言って、その覗いた犬歯をぼんやりと見ていた私の口に、彼の厚い唇が重ねられた。そこから伝えられる体温に、頭の中が宙へ飛んでいく。一瞬、何が起きたのか理解出来なかったけれども、嬉しそうにして笑う彼を目の前にして、この顔面に血液が集まるのを感じた。何もかもを忘れられる。この瞬間だけが、私の生きている瞬間なのだと、そう、強く理解させられる。
「わかりましたね?」
その強要にも似た問いに、私は声を発することもせず、首を何度も頷かせることしかできなかった。夜の静けさの中で、ジジジと何かのポケモンが、捕食されたように苦しみを帯びた声を上げた。
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