授業を終えたばかりのアズールは、教室移動のため廊下に出ていた。次は錬金術か、と目当ての教室に足を向ける。一歩踏み出したところ、おや、珍しいこともありますね。とアズールが感心するよりも先に、普段より髪のゆらぎがチカチカしているイデアとばっちり目が合ってしまった。ずんずんとあのイデアが向かってくるではないか。危機管理能力に長けたアズールは、瞬時に、あ。これ面倒なやつだ。と察した。


 アズールは砕けた態度で接するくらいには、イデアに気を許している。最初こそ、あの嘆きの島の坊ちゃんで、内気なイデアのことを、絡めとって利用してやろうと思っていた。だが計画は変更されたようだ。絡むうちに、アズールは忌々しい過去の自分をイデアの陰に見つけてしまったし。ひたむきに努力する、勤勉なイデアをいつの間にか認めていった。イデアさんの素晴らしい技術力に、価値があるのはさることながら。どこか実家のような安心感がありますね。と同郷の二人とはまた違った安心感をアズールは感じていた。それは引きこもり仲間であるが故なのだが、アズール本人はそのことを決して認めない。たこ壺は実家に置いてきましたから。部屋から出ないイデアさんよりはマシでしょう?




「あ、あ、、ああああああ、ずーーーるるうう氏」

「?? イデアさん? まて、なんで僕に直進してくるんだ……やば、顔汚なっ!!」

 大明神アズール氏は、まさに汚いものを見る目を向けてきた。普段なら、その視線に負けてしまうが、今は状況が状況だ。ええい、ままよ!! イデアはその視線を押しやりながら、アズールを捕まえた。

「ままま、まってくだされ!! ヒィ、まじその目やめて!!!」

「一体何だっていうんですかあなた!! 突然掴みかかってきて、気でも触れましたか? いや、それはよくもわるくも元からか。その顔はなんですか、鼻水は。ただでさえ出不精なんですから、せめて出かけるときくらいは身だしなみぐらいチェックしたらどうですか? あなた何歳ですか? 陸生活何年目ですか? え??」

「ひどすぎて草」


 よく回る口でディスり散らすアズール。対照的にイデアはなぜか、ほっこり顔をしていた。先ほど我が身に降りかかった災難により、イデアはココロがぶっ壊れそうだった。ここが回復ポイント。イデアは安心感をアズールに覚えていた。対面でやいのやいの言いながら会話できる数少ない一人だ。一緒にいると謎の安心感があるアズールに会うことで、SAN値ピンチを回復していく。ヒーラーがPTの要なのは当然でござる。ぷるぷると回復していくイデアをアズールは、何こいつ、と思っていたが、はたとイデアの実験着の下からこちらを覗きみる生命体に気づく。


「あなた……ハッ! ついに平面では飽き足らず、犯罪者になってしまったんですね?」
「ちがうからww とにかく、話をきいてくだされ!!!」
「おにーちゃん?」
「!!!! エ?」
「ち、がぼっ、ぼく、はおにちゃんじゃ」
「おにぃちゃん」


 ぎゅっと未確認生命体は、おろおろするイデアの腰にしがみつく。ひぇええ、とイデアの情けない声が上がり、さっとアズールは喧しいと手で払う。小さな生命体は、アズールをどうやら睨んでいるようだ。だが、みじんも怖くはない。海の中であったなら、むしろどうぞ私を食べてくださいと言わんばかりの威嚇。馬鹿にしたようなアズールの嘲笑が気に入らないのだろう。今にも落ちてしまいそうな、ほっぺたをさらにぷくぷくとさせている。言いたいことがあるなら、言ってみなさいよ。とアズールはその喧嘩を買った。アズールの視線が怖いのだろう、たどたどしく言葉を紡いだ。



「おにちゃっを、い、じめない、でょっ」
「ファ――」


 どんな悪口が返ってくるかと思えば、拍子抜けする内容に、思わずアズールはイルカが出す、高周波を発した。イデアにはもちろん聞こえない音だったが、アズールの顔が見たことない形状になっていたので、このやばさ加減が伝わったのだと勘違いしていた。はっと、意識が戻ってきたアズールは状況整理のために、矢継ぎ早にイデアに質問を投げる。


「それで、先生方にはなんと言ってあるんですか??」
「え、えと。クルーウェル先生は、状況知ってる……。上層部で会議するから待ってろって。…………ってかさっきその授業でこの子爆誕したんですけどね」

 後ろの方は声ががとぎれとぎれになり、アズールには聞こえなかった。ヤバイを顔に張り付けたイデアを見れば、だいたいのことは察した。先生が動き出すほどなのだから、これから面白いことになる。吊り上がる口元を抑えきれないアズールは紛らわすように一つ咳ばらいをした。

「あと、アズール氏、つぎ、錬金術だよね? それ、自習になったから……」


 先生に次の授業だった生徒に伝えるよう言われて、さ……ははッ。ガチギレインフェルノ・クルーウェルの般若ぶりを思い出したのだろう。イデアは目が淀んでいた。次が自習なら、しかたない。状況を説明したそうなイデアとおまけを放置するわけにもいかない。アズールはイデアをまだ早い昼食に誘った。とても慈悲深い海の魔女の精神にのっとって。


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