イデアは廊下を歩いていた。教室の前を通れば、教室のざわめき、授業中の教師の声。日常の音が耳に入る。サボリという罪悪感から、石造りの廊下を自然と音を立てないように進む。ひんやりと冷たい廊下は、音がよく響くのだ。その空間で温もりを感じる腕の中には、うとうとしている少女。まつげが震えたのをみて、イデアはさっと床に下ろした。意識のある状態でのだっこは、拙者には無理でござる。ヒィ、シチュエーションの暴力。貧弱なオタクに3D少女は、まだまだ刺激が強すぎる。そして悲しいかな、自室まで腕が保たない。「授業へ戻るように」とクロウリーに言われていたが、ナチュラルにスルーして自室への帰路についていた。

 眠気をすっきり落としたような表情をした少女は、びくりと肩を跳ねさせる。さっきまで居たはずの場所から景色が変わったことに、驚いたみたいだ。きょろきょろとイデアの腰から離れない。déjà vuデジャブ。放って置けないし、落ち着くまで待つことにした。その間、アズール氏に連絡を返す。ピコンピコン、と主張の激しいそのアプリを立ち上げる。『解説実況はどうしたんですか、あなた。出落ちですか?? 詫び鉱石はよ』と画面越しに煽るアズール。『すまそ。てか、鉱石への執着えぐすぎ、ワロタ』『はよ。それから、今北産業、ですよ』状況を共有せよ、とのこと。ぱぱぱと、イデアは教員室でのことを打ち込む。


 アズールはイデアに影響されて、たまにオタク用語を使う。曰く、短く意図を伝えることができて、効率がよい。とのこと。ただし、お互いが用語の意味を理解していなければ成り立たないので、現状使う相手はイデアしかいない。教育の賜物ですな、とイデアは鼻が高い。マメなアズールは、オタク用語でもバカにはせず、意味・用途をきっちりメモする。それは次回、イデアと対等になるためだ。メモを取るその絵面は、けっこう面白い。揶揄やゆしたらやめてしまうだろうから、絶対に言わないけど、とイデアは努力家な彼をおもった。

 ふと、意識しないよう気をつけていた腰まわりの熱が離れていく。エレは、多少落ち着いたのか、定位置になりつつある服の裾をちんまり掴んでいる。今から自分の部屋に戻ることを、イデアはぽそぽそ伝える。こくりとエレが頷いたのを確認してから、歩き始める。鏡の間から鏡を抜けて、イグニハイド寮敷地内に足を踏み入れた。見慣れすぎた景色に、イデアもようやくほっと心を落ち着けることができた。さあ、セーブポイントまであともう少しだ、とさらに一歩踏み出せば、ぐぐっと服が突っ張った。

「ゃ、だっ」
「んんんっ??? どっどうした、の?」

 ぜっっっんぜん声が拾えなかったので、イデアはその長身をおもわずぐっとしゃがめ込んで、エレが話し出すのを待った。

「いきたくない」
「ええ、えっと、えっ……ッ、エ、レちゃん。ぁゎゎわ、っど、どうか……した?」
「こわ、い」
「え。えあ。え? あ、そうだ、……よね。そうだよね、ここ初見はこわいよね。…………いつから自分が陽キャになったと、勘違いしていた? 振り向かなくてもついて来ると? バカなの、死ぬの? Underworld に帰ってきた慎ましい安寧に、自分だけ満足。せめて、とおもいステ振りした 気遣い を鏡の間にもう忘れてきたの? ハラキリ?」
「?? ……ぁの、ね、お兄ちゃん。さっき、みたいに、だっこ……してほしい、よ」

 少女はイデアの長い詠唱に困惑しつつ、意志を伝える。そしてイデアの後ろに広がる景色を見ないよう、視界をイデアでいっぱいにする。うるうるになった二つの瞳が、イデアを見下ろしていた。しゃがんでいるイデアは、今日初めて少女の瞳と近くで合ったのだ。
 透けるような金色の瞳。何層にも丁寧に重ねられた、柔らかな色味をしていた。そりゃぁ、きらきらのエフェクトも出るか。と変に納得しながら、瞬きをして数秒見つめ合っていると、脳内にミラーボールが なぜか 降りてきて 「だっこ、いただきましたァあ!!」 という掛け声とともに、メタリックな球体が回り始めたのだ。は!!!?? 脳と心の疎通に異常を検出。大量のエラーを吐くように、目の前も、脳内もきらきらと輝く。

――――漢イデア・シュウラウド。腹をくくりまして、失礼を承知でだっこにて、自室まで運びました。これが最適解だと、脳は算出した。心を置いてけぼりにして、身体は脳の指示に従った。のちにイデアは、あれは頼られてうれしかったのだと心を知る。







 セーブポイントが用意されているところには、いつだってボス戦が待ち受けている。それは定石。だっこよりも最大の関門がシュラウド兄弟を待ち受けていた。だっこで脳内エラーを吐いた数時間前の自分に助走をつけて、お前ならやれる、大丈夫だ! と励ましてやりたい気持ちに駆られる。

「ねぇ、オルト」
「どうしたの兄さん」
「お風呂、どうしよう……ねぇ、おるとぉ……」
「さっきからなに言ってるの、兄さん。僕も男の子だからね!!」
「ですよねえ……オワタ」

 オルトにエレを紹介したとき。あまりにも驚いたオルトは、誤反応でアラートを鳴らして、さらに自分で驚いていた。うん、兄弟ですな。あとでプログラム修正したほうがいいか? しかし、その驚き方には完全同意を禁じえない。事情をかくかくしかじかで説明すれば、さすが僕の弟。するすると理解して、エレを気遣う心の広さを持ち合わせている。立たせていたエレを、スマートに人をだめにするクッションに座らせる。さらに、あたたかいココアを手渡した。オゥ、イケメン。さすが、僕のおt (以下略) オルトとしては、イデアが懐に入れたのであれば、オルトにも同義となる。もし兄さんに何あったときは自分が、兄さんの役に立てればそれでいい。と IF への対処を足した。

 オルトにもバイタルチェックをかけてもらい、識別上は少女で確定。魔力も十分。だがうっすらノイズの様な、人間とは違う数値も見受けられた。そのことについて、一応エレに直接聞いてみても、わからない。覚えてない、と言われる。たとえ人外要素があったとしても、出生秘話を考えれば、妥当な線かもしれない。とシュラウド兄弟は見合わせて納得した。


――そして現在。
 出生元が大釜の彼女。いったん風呂に入れるべきだと、オルトと合意したはいいものの。どうアテンドするのかで揉めている。服をどうするのか、とか。女の子が拙者の部屋に? ステイホーム? いや、ホームステイ? 不燃焼なもやもや。全てをまるっと押し付けてきた学園長にぶつける。

 エレが女の子って分かっている上で、僕に任せただなんて、信じられない。教師としていいのかそれで。不埒です! とかゲームでよくある決まり文句はなぜ出てこないのか。もしかして、エレのことを召喚獣とかにカテゴライズしてる?? たしかに人型のもいますけども。そういえば初期装備で黒っぽい服着てたけども。召喚術になれすぎたゆえか、ちっとも違和感を感じなかったですわ。拙者スキルレベルカンストしてるんで。ってか、部屋を、一刻も、早く、片付けたい、でござるよ。イデアも、今をときめくハイスクールボーイなのだ。

ぐゅぅうう

「あ」

 シュラウド兄弟の声が重なり、少女はお腹を押さえる。4つの目が自分を見ていることを感じ、羞恥に耐えるようにイデアのジャージの裾をぎゅっと握った。

「ぁっ……」
「えっと。じゃあ、拙者が購買に行って、お菓子でも……」
「だめ! 兄さん、血糖値が低すぎる。今日、ちゃんとお昼ご飯食べてないでしょ? 晩ご飯くらいはちゃんと食べなきゃだめ!」
「ぐぅ、これには理由が! 心労が多大でしてな」
「だめったらだめ。僕が作るから、兄さんはエレちゃんをお風呂に入れてあげてよ」
「ぐぬぬぬ」
「おふろ?」

 注目が自分からそれて、エレも話に興味津々だ。まあろいほっぺは、まだあかい。ご飯買って作る vs お風呂に入れる。どっちがやるか、2人はもめた。結果、オルト・シュラウドが購買部への往復切符を手にする。オルトのド正論にイデアお兄さんは負けたのだ。「さっき顔を合わせたばかりの僕に、お風呂場へ連れて行かれたらどう思う? 僕だったらもう、こわくて魔道砲を撃っちゃうかもしれない。ねえ兄さん? エレさんはどう思うかなあ?」こてん、とオルトは首をかしげる。イデアは白旗を二つあげた。一つは正論に、一つは兄としてだ。

 イデアは、よくわからない奇声「アチョォォォォおおお!!!!」をあげながらエレをお風呂場に連れて行った。奇怪なその景色をオルトはふふっと笑いながら、エンジン全開で購買部へ飛んで行く。ちなみにイデア自室のシャワー室は改造されており。水を出さなくても最低限であれば身体を清めることができる。服も脱がなくて良い仕様だ。脱いだほうが綺麗にはなる。オンラインゲーム4轍目の周回休憩中。さすがに風呂を……とシャワー室に入ったが、服を脱ぐ時間すらもったいない。と言い出して、5轍目には勢いに任せた突貫で機能を実装した。その後の徹夜あけ、現世に戻ってきたイデア自身ですら、シャワー室に追加された機能を褒め称えた。さらに徹夜を重ねたでござるよ。





 3人そろってごはんたべたり、歯を磨いたりして、寝る準備を各自進める。
 ずっとエレに着せたままだったイデアのジャージ (その2) から、オルトが気を利かせて購買部で購入したパジャマに変身。必要だと思って、と私服その他を何点か入手済み。オルトの神対応にマヂ感謝。どうやら、サムさんにもエレの話が伝わっていたらしい。「必要なものがあれば、いつでも Welcome! Don't be shy!!」とのこと。なんだかんだお世話になっているサムさんには頭が上がらないでござる。イデアはあの鉱石あげたら喜ぶかな、と思案したが、情報通なメガネの顔が頭をよぎったので別のお返しをしようと決めた。


 特急で綺麗にしたベッドをエレに譲り、イデアはいそいそと寝袋を取り出す。そこに DIVE IN TO THE OFUTON。優しく包んでくれる寝袋。一ヶ月分の気力を使い果たした。……あれれぇ〜? おっかしいぞう? エレに会ってまだ1日も経っていないことに、驚きが隠せない。濃厚すぎる時間をエレを中心に過ごして……まてよ、リアルが充実ってこいうことか? だとしたら、やはり自分には合わない。めくるめく展開が切り替わって、こんなに苦しいのはもうこりごりだ。根暗な隠キャがやはり自分にはハマっているんだ、僕は眠りのイデア。とうつらうつらイデアは1日を振り返った。






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 懐かしい夢をみた。
 初めて魂を刈り取ったときの夢だ。淡い初めての思い出。もう思い出すこともないだろう、些細な記憶。まるでゲームのチュートリアルさながら。おあつらえ向きのNPCとステージが、用意されていた。へへへ、ご用意しておきましたぞ、旦那様。といったのは家の従者だったか。いや実際は言っていないかもしれない。

 シュラウド家には、癖の強い慣習がいくつかある。子どもの魂が、こちら側に定着する年齢になるまでの間執り行われる。幼い時はなるべくそういったモノとの接触を避ける習慣が多い。それは、こちらのモノかあちらのモノか。判別を付けずに関わりを持つと、取り込まれてしまうからだ。例えば。生誕と共に、女神から見放されないよう願いを込めたオリーブの木を庭に埋めて分身のように育てたり。物心がつくまでには鏡を持たせないだったり。他にもいくつか。その中の一つ。7歳をすぎると、一人で魂刈りをさせるのだ。成人への通過儀礼の一つとして、代々行われてきた。もちろん、シュラウド家の人間として、イデアも例に漏れない。


 両親に連れてこられた目の前には、古びた家。私はホラーハウス。入ったら最後、生きては出れません、と不動産屋のお墨付きをもらって売り出していそうな物件だった。

 立て付けの悪いドアを開く。古びた金具同士を、むりやり擦り合わせた高く、不快な音が時間をかけてあたりに響く。まるで獲物が引っかかったことを知らせる警報のようだ。とイデアは他人事のように思い、気にも留めなかった。その類のモノに対する耐性は、家柄ゆえか驚くほどに高い。両親に教えられた通り。足元を導きの行灯をつかって、照らす。淡い青によって玄関とそこにつづく廊下があらわになる。家は、老朽化してはいるものの、人がいたころは丁寧に管理されていたことがうかがえた。


 ギッ、ギッ。と腐った木材が少しの体重に悲鳴をあげる。事前に渡されていた、家の見取り図と自分の位置を確認して、目当ての部屋へ向かう。今時珍しい、平家という構造をしたこの家は、廊下が多い。怪談ばなしには、だいたい廊下がつきものだ。やれ、廊下で足音が。やれ廊下からこちらを覗き見る視線が。やれ、人影が。なにかと出番が多い廊下。この家は怪談ばなしに持ってこいだろう。イデアは長い廊下に飽きて、悪態を吐く。ちらりと廊下の壁をみれば、きっと家族写真でも入っていたのだろう、中身を抜き取られた大小様々なフレームが、埃をかぶって身を寄せ合っている。どんな人たちがいたんだろう、とイデアは問う。それは、鳴らないとわかりきったオルゴールの歯車を、かちかちと回す音に似ている。


――しくしく。そんな音が聞こえる。
 目当ての部屋の扉の向こうからだ。ビンゴ。早速入ろうとするが、イデアはたららを踏んだ。なぜかこの扉は、スライド式だったからだ。不気味だなあ。

 しくしく。部屋に入れば聲こえが大きくなる。広めの部屋の中に、今日のターゲットはいた。こざっぱりとした、部屋だった。その中で存在感のある、大きく立派な装飾がされた出窓。部屋を横切って近づけば、出窓に残されたカーテンレースが風にふかれて、はためいている。

 かわいそうに、この魂は人形に呪い殺されてしまった少女の魂らしい。そう両親に説明を受けた。ふよふよ、ふわふわ。たまにカーテンレースと一緒になって、風にふかれる。生前がどんな人だったのかは、知らない。けれど、きっとこの出窓は、気に入っていたのだろう。とイデアは確信した。なんの変哲もない、見慣れた青く揺らぐ魂。月の光を浴びて、今は、この嘆きの魂だけは、きれいだとおもった。


 呪い人形たちの間で、人形の徒党を組んだグループによる大量呪殺が流行っているらしい。怖すぎる。おかげで家はてんてこ舞いだ。子どもながらに、将来はこんなに働きづめはいやだな、とイデア少年は将来をおもった。少女はその被害者なのだろう。この世に思いを残すほどのことがあったのだろう。


「ここは君の家?」
「……」

 返って来るはずもない返答を気にもせず、イデアは好奇心を2人だけの空間に溶かし込んだ。

「ねぇ、どうしてここに留まってしまったの?」
「……」
「きみはかなしいの?」
「……」
「ごめんね、ぼくばっかり、しゃべっちゃってさ」
「……」
「はい、これ。一応このコインを持っていってね」
「……」
「あと、これは、ぼくからの感謝とおわび。あげる。縁があれば、会ってみたかった。だって、きみはこんなぼくに……」

ぼくはね、今からきみを……――――




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 イデアは懐かしい思い出から身を起こした。午前3時過ぎ。目をこすりながら、水を飲むためコップを探して、あたりを見回す。そこで、寝袋の隣で眠る少女の姿に気づいて、コップを落としそうになった。灯台下暗しでござる。いつの間にかベッドから抜け出したのか。すよすよと、ブランケットにくるまって、寝袋に寄り添っていた。ッカー、安心しきった顔しちゃって。浮遊魔法で、掛け布団をそっとエレにかけなおす。エレの髪の毛がふわりとそよぐ。

 ああ、あの魂の色は、エレの髪の毛と似ていたな。オルトとも自分とも似ているようで、似ていない。その髪を梳いてやる。イデアの手は何度か髪の波を往復した。老後ってこんな感じかな。だったら、はやくおじいさんになってもいいかな。とによによした。…………いや、冷静に考えてこれはアウト。アズール氏の情報収集への執着を聞いて、あ、やっべ、こいつ。ってマジトーンで反応しちゃったときと同じレベルのやつ。

「ねぇ、君は……いったい、……」



 イデアは疑問を口にするのをやめた。




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