地下牢教室につき、言われた通りの薬草や材料の瓶をピクニックで使うようなバスケットに入れていきます。時折バスケットの中でカチャンとガラスが打ち合う音がしました。

「薬草を持ってピクニックかい?」

突然かけられた声に私はびっくりして小さな悲鳴を上げました。バッと後ろを振り返るとクスクスと笑っているスラグホーン先生が静かに立っていました。
私は顔を俯かせて頭を下げました。

「す、すみません。スネイプ先生に頼まれていまして…。
 ですが、先にスラグホーン先生にお声を掛けるべきでした」
「彼に頼まれごと? 罰則か何かかね」
「いいえ。私が好きでお手伝いしているんです」

苦笑を浮かべながらスラグホーン先生にそう言うと、先生は本当に驚いたような顔をするのでした。

「こりゃたまげた。あのセブルスが生徒を助手に使うだなんて!」
「じょ、助手だなんて…、そんな大それたものではありませんよ…」

将来的にスネイプ先生の助手に慣れれば本望ですが、今の私ではとってもではありませんが助手だなんて務まるはずがありません。私は頬を軽く染めて否定するかのように首を左右に振ります。
スラグホーン先生は朗らかに笑い、私の肩を軽く抱くように叩きました。

「そうか、君の調合は誰かに似ていると思っていたよ」
「え?」
「君の調合はセブルスのするそれとそっくりだ。彼が学生だった時を思い出すよ」
「スネイプ先生が…、学生だった頃…」

スネイプ先生が学生だった頃。このホグワーツの中で他の学生と混じり…、シリウスやリーマスさん、ジェームズさんやピーター・ペディグリューと一緒に。――そしてリリーさんと一緒に学んでいた頃。

それはスネイプ先生にとって、どんな時間だったのでしょう。

悪戯仕掛け人の4人と仲が悪くて、恨みあったりもしたでしょう。
でも、昔から大好きな――、いいえ。今でもきっと大好きなリリーさんは当時生きていて、今よりも確実に幸せだったのでは――?

「リク? どうしたのかね? 体調でも悪いのかね」

私ははたと目の前のスラグホーンを見つめます。私はいつの間にか深く黙り込み、表情を翳らせていたようでした。そんなつもりは毛頭なかったのですけれども。

微笑みを浮かべながら小さく首を左右に振り、スラグホーン先生に一言かけて、私は4階のDADAの教室に薬草を届けなければ。と歩き出しました。
ちくちくと胸の辺りが酷く痛みを訴えていました。私はこの痛みが慣れなくて、耐え難くて、ぎゅうと胸の辺りを掴みながら歩き続けていました。

これは、なんなのでしょう。

スネイプ先生と私の調合の仕方が似ていると言われたからでしょうか。…いえ、そんなことはありえません。似ていると言われたのは本当に嬉しいことでした。
スネイプ先生がもしも『昔に戻りたい』と考えていたらと思うと、私の胸はじわじわと耐え難い痛みを訴え続けるのでした。

何を馬鹿な事を考えているのでしょう。誰でも幸せな時期はあって、その時期に戻りたいと思うのは普通のことでしょう。

それが例え、私のいない時代だとしても。なんら不思議はないのです。

「………痛い…です」

小さく呟いたあと、私は長く息を吐いてDADA教室の扉を開きました。もちろん、笑顔を浮かべて。


†††


気が付けば私は、広い広い空間の中、1人で立っていました。はたと首を傾げ、周りを見渡しました。
あれ? 私はスネイプ先生に地下室までのお使いを頼まれて、戻って、のんびりと紅茶を飲んでいた筈です。いつの間にこんな場所に出たのでしょう?

周りをよく見ると目の前には大きな扉。近付いて扉に手を触れさせると、重たそうな扉は何の制限もなく、ゆっくりと開いていきました。
扉の隙間から流れ込む空気が酷く冷たく、私は思わず肩を震わせます。それは中に入るのが躊躇われる位の、突き刺すような寒さでした。

「リク」

聞こえた声に、はたと顔を上げて、寒さも忘れて私は扉の中に入っていきます。

扉の先には1つの人影と、隣には大きな蛇の姿がありました。
見覚えのある姿に私は声をかけようとしますが、何故か私の声は出ません。乾いた呼吸音だけが口から溢れ出しました。
いつの間にか身体が少しも動かなくなってしまった私は、どうすることも出来ずに静かに立ち尽くします。

あれあれ。なんだか、デジャヴ。思い出しそうで、思い出せない記憶は酷くもどかしいものでした。

そんな私を見て、目の前の人は切れるような笑みを浮かべていました。

「時は来た」

目の前の彼は一言だけそう言うと、楽しそうな微笑みを浮かべて動けない私の頬に触れました。私の驚いている姿が、彼の赤い目に映りこんでいました。

「待っているぞ。リク」

赤い目は獲物を見つけた蛇の目でした。


†††


フラッシュバックのような。

突然流れた記憶のフラッシュバックのようなものに、私は勢いよく目を覚まし、ガバッと身体を起こしました。
私の身体にかけられていた黒いコートが滑り落ちていきます。私は短い呼吸を繰り返しながら、目に入ったその黒色に酷く安心して、椅子から立ち上がり、落としてしまったコートを静かに広い上げました。コートからは薬草や紅茶の香りがしました。

「起きたかね」

声は少し前から聞こえてきました。スネイプ先生が私に視線を向けることなく、紅茶を口に運んでいました。
呆然と立ち尽くしながらスネイプ先生を見つめている私に、スネイプ先生は呆れたような表情を向けました。

「我輩は眠たいのならば、寮に戻りたまえと言ったはずだが?」

私はどうやら作業の途中で机に伏せるようにして眠ってしまったようでした。

呆れている先生の声。今にも減点してしまうのでは、といった声音でしたが、私はそれどころではなく、コートを抱えていない手で左の胸元辺りをぎゅうと抑えます。

そこには変わらずヴォルデモートさんから与えられた印が入っていました。
印は今、心臓の鼓動と合わせて発熱しているような錯覚を私に与え続けていました。はっきりと訴えられる異常に、困惑ばかりが私を包みます。

「Ms.?」

返事を一切せずに黙り込む私を不審に思ったのでしょう。
スネイプ先生は静かに私を呼びながら、先生のコートを抱えている私のすぐ傍に寄ってきました。

「寝ぼけているのかね」
「先生」

小さく私の口から零れたのは縋るような声でした。コート握る私の手は冷たく震えていました。先生は怪訝そうな顔をします。

「………どこか怪我でもしたのか?」

黙り込んでいる私を怪しんでいるのか、スネイプ先生は私の表情を覗き込むように少し身を屈ませました。
私は先生を見上げます。不安で潰れそうになっている私の表情を見て、先生は驚いたようでした。

「何があった?」
「いいえ。何も」

咄嗟に出てきた言葉は、誰が聞いても嘘とわかるような言葉でした。
私はスネイプ先生から顔を背けて、自分の荷物を取りに行きます。凍えるような寒さを感じて、私の身体は小さく震えていました。

「わたし、帰ります」
「Ms.」

スネイプ先生は帰り支度をする私の側に再び寄り、震える私の手を掴みました。一瞬息を止めた私が先生に振り返ります。

スネイプ先生の手はとても冷たかったのに、今の私には何故かそれが暖かく感じていました。
思わずその手を握り返して、私はスネイプ先生を見上げました。先生は私を見ていました。

私達の間には、無言が広がっていました。

私は先生と繋いだ手を見て、今までの不安を一瞬忘れ、思わず安堵の微笑みを浮かべました。
スネイプ先生の手をそのまま両手で包んで、自分の頬の辺りに持っていきます。

大好きなリーマスさんの手とは全く違うその手の温度に頬を寄せ、私は笑みを浮かべました。

「私は、先生の味方です」
「……」
「絶対に。何があっても」

無言を裂くように、時計の針がかちりと音を立てました。

「就寝時間は過ぎている。…『生徒』を1人で歩かせるわけにはいかない」

スネイプ先生にとって、私はどうしても生徒で。そんなのは当たり前だというのに、何故か切なく感じてしまった私は、あぁ、本当にどうしてしまったんでしょう!

どうして、このままスネイプ先生の手に触れていたいと思うのでしょう。


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