それから数分、数時間が流れていました。どうやらホグワーツ側はハリーをヴォルデモートさんに差し出すことなどせずに、全面的に戦争を始めるつもりのようでした。

「………本当に、戦争が始まっちゃうんですね」

私はずっと隣にいてくれるリドルくんに静かに呟きます。リドルくんは軽く頷きます。私はふぅと溜め息をつきました。
冷たい夜風で髪が揺れます。遠くに見えるホグワーツは数々の保護呪文に包まれて霞んで見えていました。

「Ms.」

そこで声が聞こえました。私はその声の主を見つめて、安堵の色を浮かべます。

ずっとずっと私を「Ms.」と呼ぶ彼は、よく考えてみれば私だけをそう呼んでいました。そして私をそう呼ぶ人も、彼だけでした。

現れたスネイプ先生に私は顔を向けます。私はきっと心底嬉しそうな表情をしたのでしょう。
リドルくんはそんな私をずっと見ていました。それから深く溜め息をつき、肩をすくめました。

「……アー、ごめん。ちょっと席を外すよ」
「え?」
「何というか、無理。僕の完敗さ」

どこか様子のおかしいリドルくんは早口でそう言うと、立ち上がってスネイプ先生の方に向かって行きました。
私は彼の言葉に疑問を持ち、リドルくんの背中に話しかけます。

「何がです?」
「この教師なら知ってるよ。知らないふりをしているだけで」
「………」

歩き続けるリドルくんはスネイプ先生とすれ違う寸前でそう言いました。
スネイプ先生はいつものように恭しく頭を下げることはせずに、リドルくんをただ見つめていました。リドルくんもスネイプ先生を睨むように見ていました。

「知らないふりを続けるのは簡単だろうからね」

言葉はどこか挑戦的でした。そしてスネイプ先生は何も言いませんでした。
私には状況を上手く飲み込むことが出来ません。それでもリドルくんとスネイプ先生だけは理解しているようでした。

そうしてから、リドルくんはずっと遠くに、ホグワーツに張られた守護呪文の境界線を調べるかのように向こう側に行ってしまいました。
私はリドルくんの背中を見送ってから、私の隣に来たスネイプ先生を見上げました。私は眉根を下げます。

「……なんだかすみません。リドルくんも気が立っているみたいで…。
 さっきからずっとヴォルデモートさんの感情が流れて来ているみたいなんです」
「…いや。…知らないふりをしているのは事実だ」

スネイプ先生は目を伏せてそう言いました。私はそれ以上深く問うのが躊躇われて、その場に腰をおろしました。
座り込んでから先生を見上げると、先生もすぐ隣に腰をおろしました。禁じられた森に続く芝生の上に2人で座っていました。

私は体育座りをして膝に頬を乗せて、先生に静かに質問しました。

「先生はこれからどうするんですか?」
「適度に戦いに混じる。騎士団に杖を上げることとなるだろう」

最後の決定的瞬間まで、スネイプ先生はヴォルデモートさんの信頼を獲得しなくてはいけないのです。
そのために杖を振るうスネイプ先生が、私は酷く心配でした。私は小さく願い事を告げます。

「……怪我をしないでくださいね…?」
「さぁ」

答えは簡単でした。私は深く黙り込みます。不安が私を押し潰そうとしていました。

私は思わず顔を上げて、いつの間にか隣のスネイプ先生の手を握っていました。
真っ直ぐにスネイプ先生を見つめて、でも纏まらない言葉を必死でまとめようとして、一生懸命頭を働かせて。

「…………先生」

それでも溢れてきたのは、縋るようなたった一言でした。
スネイプ先生は私の表情をじっと見つめたままでした。私は震える声で言葉を続けます。

「全てが終わったあと…、戦いが終わって、…先生の目的が終わったあとでも、絶対にいなくならないでくださいね。どこにもいかないでくださいね」

放っておいたら遠く、遠く、私の手が届かないような場所まで行ってしまいそうな先生に私はそう言います。
言い出しそうになる言葉を隠して、私は無理矢理微笑みを浮かべました。

「……私が…、寂しく、なっちゃいますから」

私がそう言うと、ずっと黙っていたスネイプ先生が、俯いて顔を隠す私に小さく言葉をかけました。
その声は静かで、尚且つ少し早口で。気をつけなければ聞き逃してしまいそうでした。

「………全てが終わったあとでも我輩に平穏はない。
 我輩がダンブルドアを手にかけたのは事実なのだから」
「去年の終わりに、私、先生に言ったじゃないですか」

再び握り直したスネイプ先生の手は私よりも大きくて、私の手では包みきれるものではありません。それでも温もりだけは伝わってきていました。

「『ついていきます』って」

我が儘だとは思います。それでも、私は私のためにもスネイプ先生と離れたくなんかなくて。
スネイプ先生は私から視線を外してしまいます。それでも手を振り払われたりはしませんでした。

「…………。
 連れて行けるのもここまでだ。この先には連れていけない。…決して。
 茨の道を歩くには、君はまだ…、若すぎる」
「それでもついていきます。先生と離れてしまうこと以上に辛いことなんてありませんから。
 それに、私だってもう成人したんです。自分のしたいように、するんです」

私は自嘲するかのように笑みを浮かべて、スネイプ先生の横顔を見つめました。やがてゆっくりとスネイプ先生の視線が私と合わさりました。

「………。君は真っ直ぐですな」

スネイプ先生は私の顔を見つめ、静かにそう呟きました。その表情はどこか哀れんでいるようにも思えて、私は切なくなります。
私の頬に手を伸ばしながらも、続けられたスネイプ先生の言葉に私は辛くなる一方でした。

「我輩には似合わない」

先生の手は頬に触れる直前で止まり、静かに離れていきました。私は黙ってその手を見送ります。
少しでいいから触れて欲しかったと思う我が儘な私を制し、視線を逸らして無理矢理笑みを浮かべました。弱々しい笑みでした。

スネイプ先生はそんな私に背を向けて、立ち上がり言葉を零しました。

「行かねば」
「……私も、行かなくては」

私も立ち上がってスネイプ先生の背中を見つめます。

「先生。では、また」

少しだけ、ほんの少しだけ私はスネイプ先生の黒い背中に手を触れさせました。
指先に、熱がこもるような気がしました。

「…また」

スネイプ先生は私に振り返りはしないものの、小さく返事をしてくださいました。

そして黒い霞だけを残して消えてしまったスネイプ先生の、その残った黒い霞を私は指に絡めます。
息苦しい程痛みを訴える心臓を無視して、私は凛とホグワーツ城を見つめました。

「良かったの?」
「…何がです?」

いつの間にか戻ってきたリドルくんが佇む私に声をかけました。返事をするとリドルくんは不服そうに言葉を続けます。

「好きなんだろう? あの教師が。
 良かったのか? 言わなくて」

彼に、好き、と。

私は言いませんでした。言えませんでした。でも、これで。

「……いいんです」

私は静かに答えました。

「いいんです。これで」

繰り返した言葉を自分自身に言い聞かせて、私は杖を握り締めて真っ直ぐに前を見つめました。

スネイプ先生が愛している人は、結局私ではないのですから。

私はリドルくんに振り返って、まっすぐに彼を見つめたまま1つ質問をしました。

「リドルくん。私に分霊箱の在り処を教えてください」

リドルくんはじぃと私を見つめ返していました。そしてゆっくりと口を開きます。

「……決まったんだね。どうするか。それで、見つけたら破壊するの? 隠すの?」
「ヴォルデモートさんに返します」

きっぱりとそう返すとリドルくんは再び黙り込みました。私はリドルくんに向かって小さく微笑みかけました。

「ヴォルデモートさんの中に分霊箱を戻すんです。分たれてしまった魂を少しでも戻すんです」
「それでなにか変わるとは思えない」
「それでも何もしないまま彼の魂が破壊されてしまうよりはマシな筈です」

私の答えにリドルくんは深く黙り込んで、やがてゆっくりと顔をあげていつものような優しげな微笑みを向けてくださいました。

「……。わかったよ。連れて行ってあげる」
「ありがとうございます!」

にっこりと笑顔を返すと、リドルくんもにっこりと笑みを返してくれます。私は彼の手を取って、守護壁に包まれているホグワーツを見つめました。

「行きましょう」

最後の戦いに。


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