ホグワーツ内で唯一憂いの篩がある校長室の前まで来て、ぴたりと足を止めたハリーと私。
彼は困惑の表情を浮かべて校長室の前のガーゴイルと私を交互に見ました。

「でも僕、校長室の合言葉を知らない」
「……私が知ってます」

私はガーゴイルを見上げます。ここへの合言葉はとっても口に馴染んでいるというのに、校長室の前で言うことだけが躊躇われてしまいます。
それでも黙っているわけにもいかず、こぼれ落ちるかのように言葉を紡ぎました。

「『リク』」

いつものようにひょいと2体のガーゴイルが横にずれ、校長室への扉が現れます。隣のハリーは酷く驚いているようでした。

「開いた…。
 なんで、リクの名前が合言葉に…?」

グリフィンドールの剣が盗まれかけたあの日から。結局、合言葉は1度も変わることなく、ずっと私の名前が使用されていました。
スネイプ先生は何故合言葉を変えなかったのでしょう。合言葉を変えないということはそれだけ校長室に侵入される危険もあるというのに。

何故、私の名前を。どうして。ずっと。

疑問が疑問を呼び寄せ、勘違いしてしまいそうになる思考を必死に押し留めます。
今、考えることではありません。

校長室へと進み始めたハリーに向かって私は声をかけます。

「…私はここで待っています。
 私は、知ってますから」

再びスネイプ先生の記憶を、スネイプ先生がリリーさんを好きだという記憶を見たくなくて、私はハリーにそう伝えます。
ハリーは短く頷いて校長室へと入って行きました。再びガーゴイル達が扉を塞ぎます。私はそのガーゴイルの足元に腰を降ろして、長く長く溜息をつきました。

暫く待っているとハリーがゆっくりと重たい足取りで校長室から出てきました。

「ハリー」

暗い顔をしているハリーの名前を呼ぶと、彼は軽く頷いてまっすぐに私を見つめます。

「リク…。僕は死ななくちゃいけない」

ハリーはやるべきことを見つけたようです。

ヴォルデモートさんは分霊箱を作り、魂を7つに分けたと思っていました。ですが、実際はリリーさんやジェームズさんを殺して、ハリーを殺しそこねたあの夜、ハリーは誰も知らない、ヴォルデモートさんでさえ知らないヴォルデモートさんの8つめの分霊箱となっていたのです。
ヴォルデモートさんを倒すためには全ての分霊箱を破壊したあと、ヴォルデモートさん自身を倒す必要があります。その為には分霊箱のひとつであるハリーも、1度死ななくてはいけなかったのです。

「リクは知っていたの?」

ハリーは呆然とそう聞きました。私は小さく頷いてハリーから視線を逸らします。

「…『知って』いました。ずっと、昔から」

確かに忘れていたことも沢山あります。ですが、私はハリーと出会う前から、ハリーが1度死ななくてはいけないその未来を知っていました。

そして、私はさらに知っていることもありました。

「でもハリー、恐れないでください」

ハリーが負けないことを、私は知っているのです。

自信がないという風に頭を振るハリーに、私は安心させるように彼の手をとります。ハリーは虚ろな目で自分が死ななくてはいけないということを受け止めていました。

「僕は失敗してしまったんだ。ナギニはまだ生きている。分霊箱は残っているんだ」
「それも、大丈夫ですよ。なるようになりますから。
 死ぬんじゃないんです。戦うのです。
 ヴォルデモートさんと、最後の戦いへ」

ハリーは暫く黙り込んだあと、頷いて崩れかけたホグワーツの先に見える禁じられた森に視線を向けました。

「森に、行かなきゃ」

森で待っているヴォルデモートさんの元に。私は頷いて、ハリーと繋いだ手を強く握りしめました。

そして2人で歩き出します。私はいつもよりゆっくりと歩くハリーの速度に合わせてついていきます。
ハリーはホグワーツの中に視線を彷徨わせながら、最後の瞬間まで景色を記憶に留めようとしているかのように見えました。

「スネイプはリクのことが好きだったの?」
「え?」

不意にハリー私に視線を向け、聞いた質問に私は驚きます。スネイプ先生が私を?

「どうして…?」
「…。なんと、なく」

思わず聞き返すと、ハリーは黙り込んでから小さくそう答えました。
急に寂しくなった私は自嘲を浮かべて、首を振ります。スネイプ先生はずっと、昔から、

「そんなことありえませんよ。
 ハリーも見たでしょう? 先生はずっと、ずっとリリーさんを愛していたのです。ハリーのお母さんを」
「……」

変わることのない永遠の愛を。

彼はどんな思いでリリーさんを愛し続けていたのでしょう。
リリーさんには既にジェームズさんと結婚して、それでもリリーさんを好きで、愛し続けていて。
リリーさんが死んでしまったあとも、「永遠に」と言ったかれは、どんな思いでリリーさんを…。

それはとてもとても素敵なもので、でも私からしたら羨ましいものでもありました。
リリーさんに向けられるスネイプ先生の視線が、ほんの少しでも、一瞬だけでも、私に向けられたらよかったのにな。と、

「いいんです。今は私の事なんて。ハリー、進みましょう」

考えると沈んでしまいそうな思いを振り払って、私は重たい1歩を歩みだしました。ハリーもゆっくりと私の隣に並んで歩き出します。

そして禁じられた森の入口まで来た辺りで、ハリーの足が止まりました。振り返って小首を傾げる私。ハリーはポケットから黄金のスニッチを取り出していました。

「待ってて」

ハリーはスニッチに口を付けて、暗号を囁くかのように言葉をかけました。

「僕は、まもなく死ぬ」

するとスニッチが2つに分かれるように割れ、中から小さな石が姿を現しました。『蘇りの石』です。
ハリーは手の中で3度石を転がします。すると現れる白いゴーストのような人影。

人影はジェームズさんと、そしてリリーさんでした。直接お会いしたことはありませんが、ハリーと瓜二つの姿をしているジェームズさんに、ハリーと同じ緑の瞳をしたリリーさんに、間違いはありませんでした。

私はジェームズさんとリリーさんがハリーに何かを話しかけるのを少し離れた場所で見つめます。
ささやくような声でしたが、ハリーにはしっかりと聞こえているようで、不安そうな彼は時折、力強く頷いていました。

少しするとハリーはゆっくりと歩き出しました。遠くに見え始めた吸魂鬼達に私は杖を上げて仔鹿の守護霊を生み出します。
私が生み出した仔鹿の守護霊とハリーの周りに漂っていたジェームズさんとリリーさん達が吸魂鬼を追い払ってくださいます。

森の中を歩いていると、近くの木の陰から2つの杖明かりが見えて、私とハリーは姿を隠します。死喰い人が2人、ハリーを探して歩いていました。
ですが彼らはハリーを見つけることが出来ないようで、ヴォルデモートさんの元に戻るようでした。ハリーと顔を見合わせて、彼らの後ろをついていきます。

そしてたどり着いたヴォルデモートさんの元。ヴォルデモートさんは沢山の死喰い人に囲まれた中で、軽く頭を下げて目を閉じているようでした。
胸の前で組んだ手には元はダンブルドア校長先生のものだったニワトコの杖が握られているのが見えました。

ヴォルデモートさんの足元にはナギニが蜷局を巻いたり解いたりしていました。

「あいつはやってくるだろうと思った。あいつが来ることを期待していた」

不意に話しだしたヴォルデモートさんは紅い瞳を開いて、ゆっくりと囁きかけました。
ヴォルデモートさんの1番傍には崇拝の眼差しを浮かべているレストレンジさんがいました。

「……どうやら俺様は、間違っていたようだ」
「間違っていないぞ」

ハリーが声を張り上げました。私もハリーと一緒にヴォルデモートさんの前に出ていきます。

途端、ヴォルデモートさんの目が爛々と輝き、彼の口元に笑みが浮かびました。
周りに居た死喰い人達が一斉に立ち上がり、巨人達が吠えました。その時、喚き声がして視線を向けるとハグリッドさんが捕まっていました。

「ハリー! やめろ! ハリー、駄目だ!!」
「黙れ!」

ハグリッドさんの悲痛な声が響きますが、死喰い人の1人がすぐにハグリッドさんを黙らせてしまいます。
ヴォルデモートさんがちらりと私を見たあと、まっすぐにハリーに杖を向けます。杖先がハリーの胸元に押し当てられました。

「ハリー・ポッター…。生き残った男の子」

囁くようなヴォルデモートさんの声。私はハリーの少し後ろで全く動かないまま、2人を見ていました。

そして唱えられた『死の呪文』。緑の閃光が一瞬だけ広がって、そしてそしてハリーは地面に倒れていきました。何故かヴォルデモートさんも途端に倒れていきました。
ばったりとうつ伏せに倒れたハリーは一切の動きを止めていました。ハグリッドさんの吠えるような泣き声が響き渡ります。


ハリー・ポッターは死んだのです。


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