真っ白い部屋には彼が眠っていました。

暗くて寒い地下牢教室にばかりいた彼には、明るくて暖かいこの病院は酷く似合いませんでした。

戦争は終わり、沢山の人がいなくなり、いつも私の傍に居てくださった友人も、今はもういませんでした。
そして目の前には眠り続けている大好きな人。そのまま追いかけていってしまいそうな、愛しい人。

無性に息をするのが苦しくなって、私は眠っているスネイプ先生の隣に倒れこむように顔を伏せます。

消毒薬独特の匂いを嗅ぎながら私は震える声で、私にだけ聞こえる声で縋るように小さく呟きました。声は名前でした。

「……スネイプ先生…」

全ての戦いは終わったあとも、私の中では時間が止まったままでした。伏せたまま私は先生の顔を見つめます。
青白い頬に私は指先で軽く触れてみました。瞳に涙を溜めたまま、弱々しく微笑みを向けます。

「先生…。ついていくって言ったじゃないですか…。早く起きてください…。寂しい、ですよ…」

私の中の時計は動き出しません。ですが世界は止まることなく回り続け、窓から見える日差しは徐々に位置を変えていくのでした。
顔を伏せ、息を殺しながら、私は縋るように言葉を紡ぐのです。

「おいていかないで」

ただ一言、ただひとつの願い事だけを。

目を閉じるとすぐに暗闇が私を襲ってきました。


声が聞こえます。声はヒーラーの声で、私の望む声ではありませんでした。
止まってしまった世界に蓋をして私はそのまま眠りにつきます。


そして長いこと目を伏せていた時、不意に私の髪を撫でる感覚がしました。
その手の感触に覚えがあって、バッと身体を起こすと、スネイプ先生が驚いた表情のまま、私の髪を撫でていました。

「起こしたか」

先生のその言葉に私は一瞬黙ったあと、こらえていた涙を一気に溢れ出させて彼に抱きつきました。
驚きつつも私を抱え直して下さるスネイプ先生を、しがみつくように抱きしめます。
夢なんかじゃありません。スネイプ先生が目を覚まして私のすぐ目の前にいました。

ぎゅうと彼を抱きしめながら掠れるような小さな叫び声をあげていました。

「起こしたかって、私はスネイプ先生が起きるのを待っていたんです!
 ずっとずっと…心配で、おいていかれたらどうしようって…どうすればいいんだろうって」

不安で不安で潰れそうになっていたというのに! そんななんてことがないように一言をこぼすだなんて!

ぐちゃぐちゃとした思考にまみれながら、ぎゅうとスネイプ先生を抱きしめます。
先生はゆっくりと長い息を吐いたあと、慰めるように私の身体を抱きしめ返してくださいました。
優しく、慣れたように髪を撫でて下さるスネイプ先生。私は泣きじゃくりながら言葉を囁きました。

「でも…良かった。良かったです。生きていてくださって…」

ぼたぼたと泣きながら私は彼をぎゅうと抱きしめます。スネイプ先生は深く黙り込んで、未だ優しく髪を撫でて下さっていました。
私が何も言えなくなっていると、彼は静かに言葉を紡ぎました。

「…。闇の帝王は?」
「………もういません。ハリーも無事です。戦いは全て終わったんです。全て」

言葉を聞いて肩の荷が下りたような顔をするスネイプ先生。そんなスネイプ先生の表情を見て、私は涙を溜めながらも少しだけ微笑みを浮かべました。
やっと、やっと先生が自分に命じた任務は終わったのです。長い吐息を零したあと、スネイプ先生は思い出すかのように、抱き寄せていた私の身体をバッと離し、私を確認するかように見つめました。

「怪我は?」
「大丈夫ですよ。どこにも怪我していません。
 皆さんに守ってもらいましたから」
「よかった」

声は本当にそう思っていてくださっているみたいで、バクバクと心臓の鼓動が早くなります。
再び滲んできた涙を軽く拭って、スネイプ先生を抱きしめます。今はずっとこうしていたくて、たまりませんでした。
先生もゆっくりと私の背中を甘やかすように撫でてくださっていました。その心地よさに長く安堵の息を吐きます。

「………Ms.はこれから何を?」

声は潜められていて、どこか怯えているかのようにも聞こえました。私ははにかんで先生を見上げます。
ベッドの淵に腰をかけて、私は先生の手を繋いでいました。

「あんまり考えてないんです。私はもうこの先の未来を知らないから」

戦争が終わったあとを私は知りません。これから先は本当に何も知らないのです。
それでも恐怖はなく、自然と笑みが浮かびました。

「でも、教師には変わらずなりたいと思っています。魔法薬学の教師になってスネイプ先生と一緒に先生をするんです」

笑いながら答えるとスネイプ先生は酷く辛そうな顔をして、私から視線を逸らしました。
逸らされた視線にずきりと胸の辺りを痛ませながらも、見つめているとスネイプ先生はゆっくりと言葉を零しました。

「…一緒には、出来ない」
「どうしてですか?」

言葉に被せるかのような勢いで私は問い返しました。
スネイプ先生は私と視線を合わせないまま、早口に言います。

「我輩はダンブルドアを殺した。死喰い人でもある。
 もう一緒にはいられないし、いるわけにはいかない」
「じゃあ、私は教師にはなりません」

スネイプ先生と一緒に授業をしたいのですから。

きっぱりとそう言うと先生はすぐに咎めるような声を出します。

「Ms.。
 だから君は子供だと…、」

言葉は途中で止まりました。スネイプ先生は目を細めて何処か遠くを見ていました。

「いや、もう…子供でもないのか…」

躊躇うかのように零された言葉。彼はいつのまにか私を子供だとは思っていなかったようです。
きっと大人とも見てくれてはいないんでしょうけれども。

沈みそうになる気持ちを振り払って、思わずスネイプ先生の胸元に手を伸ばしていました。
どこか怯えているかのようなスネイプ先生の視線と私の視線が混じり合います。私は必死に言葉を紡いでいました。
ずっとずっと先生が目覚めるのを待っていた私は、ずっとずっと前から先生のことが、

「私は――、」

先生のことが、誰よりも何よりも。

「リク!」
「あー、もうシリウスってば…」
「ブラック!」

その時、遮るような声が私の言葉を止めました。現れたのは患者が着るような白い服を身に纏ったシリウスと、長い溜息を付きながら片手で額を抑えているリーマスさんでした。

突然現れたシリウスの姿にスネイプ先生の表情が咄嗟に怒りに変わります。相も変わらず仲が悪いんですから。
私はスネイプ先生に回していた手を思わず離して、立ち上がります。自然とスネイプ先生の腕も私から離れていました。

「喧嘩しちゃ駄目ですよ! お2人共まだ病み上がりなんですから」

睨み合うスネイプ先生とシリウスの間に入って、私は苦笑を零します。スネイプ先生は長い息を吐いてから、改めてシリウスを睨みつけました。

「起きたのか」
「あ? 俺の勝手だろうが」

シリウスも苛々とした視線でスネイプ先生を睨み返します。
それをリーマスさんと顔を見合わせて苦笑を零してから、スネイプ先生のベッドの端に腰を下ろし直しました。

「戦いが終わって数時間後に。
 今はまだ経過を見るためにここにいるんです」

不機嫌そうなシリウスは紗幕で遮られていた隣のベッドに腰をかけました。
はたと気がついたスネイプ先生は一気に顔をしかめます。リーマスさんが隣で苦笑を零していました。

「同室だと?」
「同室です。仲良くしてくださいね」
「部屋割りをした癒者を呼べ」

思わず声を上げるスネイプ先生。頭を抱え出しそうな彼に、苦笑を零します。リーマスさんが手近にあった椅子に腰をかけて、私の頭を撫でてくださいました。


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