「ここで刻んだトリカブトを入れて…すると、どろどろの液体に…」

少女の前の鍋にはさらさらとした青紫の液体があるだけだった。

リクは溜め息をついてから、火を消す。
数回掻き混ぜても変化がないことを確かめてから「エバネスコ(消えよ)」と囁いた。

這ってきたペットのフェインが心配そうにリクの表情を伺う。
彼女は弱々しく微笑んだだけだった。

「何回やってもうまくいきませんね…。
 やっぱり一生徒が脱狼薬なんか作れないんでしょうか」

リクが作ろうとしていたのは、保護者であるリーマス・ルーピンの必要とする脱狼薬であった。

娘のリクが脱狼薬を作れるようになったら。
リーマスの苦しみを今よりは減らす事が出来るだろう。

「またやっているのか」

そっと視線を上げると、リクの目の前には魔法薬学教授であるスネイプが鍋の端に残った液体を見つめていた。
リクはしょんぼりと肩を落としながらコクンと頷く。

「うまくいけば長期保存が出来る脱狼薬を作りたかったのですが、まず脱狼薬を作ることが出来なくて…」
「まだ10代の子供が簡単に作れるものではない。
 ましてや保存が出来るようにする調合はまだ開発されていない」

スネイプはそう言い切ると、リクの指先を手にとった。
そこには材料を刻むときに付けたと思わしき細かい傷があった。

「諦めろ。貴重な材料を無駄とするな」
「………」

大人しく肯定をすることが出来ないリク。
珍しく反抗するように握られた指先を振り払った。

リクは広げていた資料を再び集め、鍋を綺麗にしてからまた1から作業を始めた。

「必要な材料は自分のお小遣で買っています。
 場所さえお借り出来れば、あとはスネイプ先生にご迷惑はかけませんから」

材料を刻みはじめるリクを見てから、スネイプは溜め息をついた。
フェインもリクを手伝うように、材料を運んでいる。

そんな中、スネイプはひょいと杖を振ると、薬草棚から新たな材料を数種類飛ばしてきた。

そして、リクの見ていた資料をぱたんと閉じる。
きょとんとリクは首を傾げた。
スネイプの表情はいつもの不機嫌そうなそれだった。

「いつの資料を見て作っている。わかりづらいにも程がある。これでは出来るものも出来ん」
「で、でも、作り方が乗っているものがこれしか見つからなくて…」

思わず反論をしてしまったリクにスネイプの瞳が意地悪く光る。
リクの選んだ資料を手にとりながら厭味のように話し出した。

「探し方が悪いだけだ。学校指定の教科書などに脱狼薬の作り方が乗っている訳がないだろう。
 『忘れ去られた古い魔法と呪文』? 脱狼薬はごく最近開発された薬だ。
 我輩の研究室の本棚を漁っておいてこれだけしか見つけられなかったのか。
 教科書より研究者個人が出したレポートを見ようという気はなかったのかね?」
「ぅ…」

痛いところを突かれ、リクは再び肩を落とす。
次に手に取られた本を見て、リクがぱたぱたと慌て出した。
スネイプの表情が怪訝なものに変わる。

「……何故ここに『お菓子をつくる楽しい呪文』が?」
「り、リーマスさんと一緒にこの呪文が使えたらなぁって思いまして…」
「やるなら真面目にやりたまえ」

ぱこ。と頭に落とされたその本。
痛みに小さく悲鳴を上げて頭を抑えるリク。
抗議の鳴き声を上げるフェイン。

スネイプが再び杖を振ると、今度は古びた黒い本が飛んできた。
表紙には『上級魔法薬』の文字。頭を抑えたままのリクが小さく反論する。
 
「先生、さっきは学校指定の教科書にはないって…」
「今日は随分と口答えが多いですな」
「す、すみません…」
「いいから読みたまえ」

スネイプの指示通り教科書を開くリク。
パラパラと数ページめくっただけでリクはその違いに驚きの声を上げた。

「この教科書、凄い書き込みですね。ページの空きスペースまでぎっしり…」

細かく、材料の量や処理の仕方まで訂正されたその教科書。

リクは感嘆の声を上げつつ、この教科書が元は誰のものであったかを知っていた。
口には出さないけれど。

「あ。ありました…。脱狼薬の…作り方…」
「作るならばこの通りに作れ。
 細かい訂正は…我輩が見てやろう」
その言葉にリクは目を丸くして目の前の教師を見上げる。
そんな提案がされるとは夢にも思っていなかったに違いない。

リクは嬉しそうに表情を緩ませてにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、スネイプ先生!」

深々と頭を下げて、礼を告げるのだが。

「礼はきちんと薬が出来上がってからにしたまえ」

厳しい魔法薬学教授の声が返ってきただけだった。


†††


両手を組み合わせて瞳を閉じる。

遠くに輝く満月の明かりを浴びながら、リクは静かに祈りを上げていた。

「リク……?」

コトリと静かな音がして、ベッドのカーテンの隙間からハーマイオニーが顔を覗かせた。
同室の友人にリクは困ったように微笑みかけた。

「すみません、ハーマイオニー。起こしてしまいましたね」
「ううん。平気よ」

ネグリジェにカーディガンを羽織ったハーマイオニーは、ネグリジェを着ただけのリクを心配した。

「風邪を引くわ」
「もう少し…、もう少ししたら私も寝ますね」

そっと夜空を見上げたリクに、ハーマイオニーも視線を空に移す。
輝く満月を細めで見てから、ハーマイオニーは優しくリクに微笑んだ。

「大丈夫よ。リク。
 脱狼薬は完成したんでしょう?」

リクはあのあと、脱狼薬を完成させた。
密かにスネイプが感嘆する中、リクは余りの嬉しさに目の前の教師に飛び付いて彼を驚かせた。

あとは薬をきっちりと瓶に詰め、速達ふくろう便でリーマスの元に送ったのだ。
そして一週間。毎日必要な分の脱狼薬を調合し、リーマスに届けたリク。

長期保存が出来るような調合はまだまだ出来なかったものの、少なくともスネイプがダメ出しをしなかった薬を作ることは出来た。

リクのその頑張りを知っているハーマイオニーはリクを安心させるようにぎゅうと優しく抱きしめた。

「心配しないで、リク。ルーピン先生は大丈夫よ」
「……そう、信じたいです。
 ですが、あの薬では症状を和らげるとは言っても人狼化を止めることは出来ないのです。
 リーマスさんは今も、眠れずにいるでしょうから…」

せめて。会えはしなくとも同じ時間を共有出来るように。

言外にそう仄めかしたリクに、ハーマイオニーの方が照れたようにはにかんだ。
ぎゅうと彼女を抱きしめながら苦笑を浮かべる。
 
「リクは本当にルーピン先生が大好きなのね」
「はい。リーマスさんは私の保護者さんですから」

躊躇わずに肯定するリク。
満月を見つめてから、リクはハーマイオニーに振り返った。

「すみません。ハーマイオニーは眠ってくださいな」
「あら。つれないわね。
 私も起きてるわよ」
「え、でも」
「今日だけよ?」

にっこり笑ったハーマイオニーに、リクはきゅっと胸元を抑えながら満面の笑みを返した。

それから、2人並んで満月の光を浴びる姿が窓際で見られた。

2人はいつの間にか肩を合わせて眠りに落ちてしまったのだけれど。


†††


「スネイプ先生の助言がなければ、私だけでは脱狼薬を完成させることが出来ませんでした。
 本当にありがとうございます」

深々と頭を下げるリクの前。スネイプは怪訝そうにリクが持ったものを指先で叩いた。

「それでこれは?」
「リーマスさんがお礼にと送ってくださったハニーデュークスの紅茶セットです。
 スネイプ先生も一緒に、と思ったのですが…」

翌週。暗い地下牢教室に酷く不釣り合いな箱を持ったリクが困ったようにスネイプを見上げていた。

呆れたようなスネイプの声が響く。

「……全く、娘に弱すぎる。奴は」

そう溜め息をつきながらも、スネイプは広げていた採点用のレポートを丸めた。

お茶会に了承してくれたと解釈し、表情を輝かせたリクがスネイプの教卓の前まで生徒用の椅子を運ぶ。

教卓の上にスペースを作ったスネイプは、横に積み重ねられた紙の束を諦めたように見つめていた。
リクはスネイプの表情を伺いながらも、止められる前にとちゃっかり2人分の紅茶セットを広げる。

「やっぱりお忙しそうですね…。
 私、何かお手伝い出来ること」
「では、アスフォデルの球根を粉末状にして瓶詰。萎び無花果の仕分け。大鍋と試験官の洗浄」
「即答ですか!」
「あぁ、それと薬草棚の整理も」
「容赦ないですね!」

ぷくーと頬を膨らますリク。
スネイプは何のことでもないように涼しい顔をしたまま、リクの持ってきた紅茶ポットの縁を杖で軽く叩いた。
すぐにポットに湯が注がれる。

「ならば我輩が紅茶をいれてやろう」

頬を膨らませたまま、少し考えたリクがやがて、にへらと締まりなく微笑んだ。

「それはとっても美味しそうですね。
 了解しました、スネイプ先生」
「仕入れた材料の区分けも終わっていないのだが」
「だからといって増やすの禁止です!」

再び軽く悲鳴を上げるリクを、スネイプは聞き流したまま、ほんのわずかに笑みを浮かべていた。


†††


毎月送られて来るようになった脱狼薬

ホグワーツでこの薬を作れるのは1人だし。
何をしているのか、乗り込みたいぐらいに気になるのが父親心だろうけど、
幸せそうな愛する娘の姿を思って少しだけ我慢してあげようかな。

でも悔しいから、きっと2人で食べるであろうお返しのお菓子は飛び切り甘いものにしよう。


「美味しいです、このタルト!」
「………甘い…」


(月に1回のお茶会)


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