部屋の隅で目を閉じていた私は、ゆっくりと目を開けて、目の前で微笑んでいるリーマスさんににっこりと笑いかけました。
「おかえりなさい。リーマスさん」
「……ただいま。リクちゃん」
少し疲れている様子のリーマスさんは私に微笑んだまま、ぎゅうと私を抱きしめてくれました。近くにいた騎士団員の方々が私達親子を見て苦笑を浮かべていました。
くたびれたカーディガンからは、いつもは甘いチョコレートの香りがするというのに、今日はなんだが外っぽい匂いがしました。
騎士団の活動が活発化してから、騎士団員はひっきりなしに情報収集や、新たに騎士団の仲間になってくれる人物を探していました。
リーマスさんも例外ではなく、主に「人狼」の方々に「闇の陣営にはつかないで欲しい」と説得を繰り返していました。
ぎゅうとリーマスさんに顔を埋めて、疲れているリーマスさんを抱きしめます。
決して安全でもない任務に、私の心配は募るばかりでした。
それでも、リーマスさんは私の髪を優しく撫でたあと、ポケットからチョコレートを取り出しました。
「リクちゃんもずっと本部に篭っていて疲れただろう? これを食べて。今日はもう休んだほうがいい」
「私は大丈夫ですよー。ずっと本部にいるのはシリウスも変わりませんし…」
魔法省がダンブルドア校長先生を信用していないと同時に、シリウスへの無実の罪もまだ残ったままでした。
シリウスは未だにアズカバンを脱走した極悪人として魔法省から追われています。
十分な活動ができないのは目に見えていました。
そこで、シリウスはせめてもの協力として、長年使っていなかった、グリモールド・プレイス12番地にあるブラック邸を騎士団の本部として提供しました。
純血主義だった実家が大嫌いだったシリウスですが、今はその大嫌いな実家から一歩も出ることを許されてはいなかったのです。
今は本部となったこの大きな屋敷にはシリウスと、リーマスさんと私、それにウィーズリー一家が住んでいました。
リーマスさんはニコニコと微笑んだまま、急に私を抱き上げます。
短い悲鳴を上げる私をよそに、リーマスさんは楽しそうに笑っていました。
「だーめ。シリウスはシリウスだよ。リクちゃんはもうずっと情報まとめをしているだろう?
今日はもう夜も遅い。眠らないといけないよ」
「むー。リーマスさんも休まないといけないんですよー!」
「あはは。私も報告を済ませてから、ちゃんと寝るから」
「…………絶対ですよ…?」
頬を膨らます私をもう1度ぎゅうと抱きしめてから、リーマスさんは私のことを離しました。
後ろ髪引かれる思いで会議室を抜けた私は、長い階段を静かに上がって行きました。
ハリーとは、あの墓場での出来事以来、長いことお話をしていません。
ここにはハーマイオニーも、ロンも暮らしていましたが、私達は距離を測りかねていました。
そして、ヴォルデモートさんとも、あの日から会話をしてはいませんでした。
私は『夢で移動』することなく、大人しく寝ていたものですから、ヴォルデモートさんが今、何をしているのかもわかっていません。
優柔不断な私は、それでも、ハリーとも、ヴォルデモートさんとも、仲良くしたいと思っていました。
それが、無理だということも、薄々感づいてはいました。
私の肩で落ち着いているフェインが、私を安心させるように一声鳴きました。
†††
夏休みが過ぎ、既に4週間もたっていました。
会議が始まる数分前。会議室となっている厨房にはぽつぽつと人影が集まってきていました。
私は近くの椅子に腰をかけながら、自分で甘いココアを入れます。すると、その甘い匂いにつられたかのように、リーマスさんが厨房に顔をのぞかせました。
「リーマスさんもココア飲みます?」
「うん。お願いするよ」
私はにこと微笑んでから、マグカップをもう1つ取り出します。机の上に広がった日刊予言者新聞にうつるダンブルドア校長先生の記事をチラ見しました。
相も変わらず、日刊預言者新聞は魔法省に制御された話題しか上がっていませんでした。
状況は、変わらず。良くはありません。
ココアに口をつけながら、私は隣に座ったリーマスさんに話しかけました。
「そういえば、ハリーはまだあのマグルさんのお家にいるんですか?
いつこちらに呼べるようになります? ここにいたほうが護衛もしやすいと思うのですが…」
「うーん…。本当は夏休み始まってすぐ、ハリーもここに呼ぶ気だったんだけど、ダンブルドアはハリーを1度はあのマグルの家で過ごさせなきゃいけないとおっしゃっているんだ。
ダンブルドアの許可が降りるまではまだ会えないね」
「そうですか…」
ダンブルドア校長先生には何か考えがあるんでしょうけども…。
ハリーを狙うヴォルデモートさんがいる以上、本当は魔法族の方と一緒に過ごして欲しいですよね…。
一緒に住んでいるマグルさんから、不当な扱いを受けていると聞きますし。
そんなことを思っていると、突然、厨房のドアが勢い良く開いてシリウスが入ってきました。
表情を険しくしているシリウスに私とリーマスさんは思わず立ち上がります。厨房にいた他の騎士団員の方々も表情を険しくさせました。
「どうしました? シリウス」
「吸魂鬼がマグルの通りに出てハリーを襲った。ハリーが使った守護霊の呪文で今、大変なことになっている」
「どうして吸魂鬼が!?」
吸魂鬼は魔法省の管轄下にある生物です。それがハリーを襲うだなんて。
リーマスさんの表情にも険しさが混ざります。シリウスが手短にリーマスさんに現状を伝えます。
「今、ダングがダンブルドアに伝えに行った。アーサーもハリーにふくろう便を出したらしい」
「シリウスからも手紙を出してください。きっとハリーも混乱しているでしょうから」
私はそう言って机の上に広げていた羽ペンと羊皮紙を用意します。シリウスは短く頷いて手紙を走り書きして、また嵐のように厨房を出て行きました。
ばたばたと慌てた様子の騎士団員の方々が入ってくる中、私は不安になってリーマスさんを見上げました。
リーマスさんは私の頭に手を置いたまま、私を安心させるようと、少々硬い微笑みを浮かべました。
「ハリーは大丈夫だよ。リクちゃん」
「………はい」
人が集まりがやがやと騒がしく推論が飛び交う中、厨房にある暖炉がぼうっと緑色に燃え上がりました。
その火に視線が集まる中、炎の中央にアーサーさんの顔が浮かび上がりました。
私がまだ名前を覚えていない騎士団員の方が、アーサーさんに言葉を投げかけます。
「アーサー、どうなった」
「ハリーは『未成年の魔法使用』で1度ホグワーツを退学処分になった。が、ダンブルドアの対応がどうにか間に合った。
処分は8月12日に行われる法定裁判まで保留にすることができた」
「判決などしなくとも命の危険に関わる場合の、魔法の使用は制限されていないはずだろう?」
「ああ。だが、魔法省側が吸魂鬼の存在を否定している。そんな記録は残っていない、とな」
魔法省の管轄下にある筈の吸魂鬼の存在を否定されると、今まで以上に困ったことになるでしょう。
もしかしたら既にヴォルデモートさんは吸魂鬼達を操っているのかもしれないのですから。
魔法省が吸魂鬼を制御しきれていないとなると、アズカバンを監視している吸魂鬼達もどうなってしまうかわかりません。
そして、アズカバンにはヴォルデモートさんの支持者が沢山収監されていました。
私の思考にかぶさるように、アーサーさんの不安げな声が響きました。
「ハリーは今、マグルの家にそのまま残っている。…だが、ほぼ軟禁状態だ」
「………近いうちにハリーをここに呼んだ方が…」
「それはダンブルドアが判断することだ」
アーサーさんがそう険しい顔で言ったあと、暖炉からアーサーさんの顔が消え、もとの炎に戻りました。
私が酷く、不安そうな顔をしていたのがバレていたのか、リーマスさんが優しく私の頭を撫でてくれました。
「大丈夫。ハリーは強い子だ」
「……はい」
騒がしく動き始める騎士団の中、私とリーマスさんは静かに手を握り合っていました。