授業の前の時間というのは大抵、賑やかなものです。
DADAが始まる休憩時間中、誰かが紙に魔法をかけてウサギの形にして、ぴょんぴょんとそのウサギを走らせていました。私はそれを目で追い、はしゃぎます。
「ウサギ、可愛いですねー」
「リク、それよりもハリーを見ていない? もう授業が始まるわ」
「ハリーですか? さっきウッド先輩が話し掛けていましたけれど…」
「クィディッチの事で忙しいんじゃないの? 明日から試合だし…」
その時、後ろからスネイプ先生が入ってきました。
教室のざわめきが1瞬で収まります。
スネイプ先生は教室のカーテンを閉めていくと、前に立ちました。
ロンが私の服の裾を引きました。頬を寄せると、ロンは嫌悪を滲ませた顔でスネイプ先生を睨んでいました。
「ルーピン先生はどうしたんだ?」
「先生は今日、病欠すると、言っていましたから」
「嘘。まじかよ」
ロンと2人小さく囁きあいます。スネイプ先生は静かに話し出しました。
「ルーピン先生は本日、気分が悪く教えられないとのことだ。
よって代わりに我輩が来たのだが」「遅れてすみません。ルーピン先生、僕――」
ハリーでした。よりにもよって今日、遅刻してしまうなんて!
ハラハラとする私達をよそに、ハリーはスネイプ先生を殆ど睨んでいました。
「授業はすでに始まっている。グリフィンドールは10点減点。座れ」
「ルーピン先生は?」
「気分が悪く、教えられないとのことだ。
座れと言ったはずだが?」
それでもハリーは動きませんでした。また質問をしました。
「どうなさったのですか?」
「命に別状はない。グリフィンドール、さらに5点減点。
もう1度我輩に『座れ』と言わせたら、50点減点する」
ゆっくりとロンの隣に座るハリーを見てから、私はスネイプ先生を見ました。
今日のスネイプ先生は特別に意地悪な人でした。
もやもやとする何かを抱えながら、私達は話を聞いていました。
「ルーピン先生はこれまでどのような内容を教えたのか、全く記録してないからして」
「先生、これまでやったのはまね妖怪、赤帽鬼、河童、水魔です」
ハーマイオニーが一気に答えました。ですがスネイプ先生の叱責が飛びます。
「黙れ。教えてくれと言ったわけではない。我輩はただ、ルーピン先生のだらしなさを指摘しただけである」
「ルーピン先生はこれまでのDADAの先生の中で1番よい先生です」
トーマスくんが勇敢にもスネイプ先生に言いました。
クラス中がガヤガヤと指示する中、私は黙って先生を見ていました。
「点の甘いことよ。ルーピン先生は諸君に対して厳しさに欠ける。
我々が今日、学ぶのは――人狼である」
その言葉を聞いて、何か私の中が冷えていくのを感じていました。
スネイプ先生を静かに見つめたあと、教科書を開きつつブツブツと文句を言ったロンを制しました。
「リク、だって」
「これ以上反論しても仕方がありませんよ。私達の点が減るだけです」
答えたあと、スネイプ先生が生徒たちを見回して聞きました。
「では人狼とは一体なんであるか。わかるものはいるか?」
さすがハーマイオニー。いつものように勢いよく手を挙げました。
ですがスネイプ先生はハーマイオニーを無視して話しつづけました。
「すると、何かね。ルーピン先生は諸君に人狼とは何か基本的なことさえも教えていないと――」
ぐるりとクラスを見渡したスネイプ先生の言葉が止まりました。
めったに手を挙げない私が挙げていたのです。私の前の教科書は開かれてもいません。
先生は静かに私を見たあと、口を開きました。ハーマイオニーを無視したあとに、私を当てたのです。
クラスが1瞬ざわめき、すぐに静かになりました。
ハーマイオニーがゆっくりと手を下ろす中、私は立ち上がります。
何度も何度も読んだ項目を暗唱するように、私は話し出しました。
「人狼、または狼人間とは、満月などの特定条件で人間の姿から狼の姿に変身することのできる能力です。
これは自分で意思を持つ『動物もどき』とは大きく異なり、基本的に理性を無くし、残虐な猛獣となります。
変身後には腕力、跳躍力などの身体的能力が飛躍的に上がり、生身の人間では太刀打ちすることはできません。
満月の日の人狼に噛まれた者は、やがて自らも人狼となって、たとえ人であろうと襲うようになります。まわりに人間などの生物がいない場合、建物などの無機物を傷付けるか、自傷行為に発展します。
治療法、回復薬はまだ発見されておらず、唯一『脱狼薬』でのみ、変身後の症状を和らげます」
全て答えたあと、私は席に着き荷物をまとめはじめました。
教科書を鞄に詰め、インク壷に蓋をして、出されていた杖は腰に収め。
ぽかんとしたロンやハーマイオニーを隣に、私は私の荷物を抱えて歩き出しました。
スネイプ先生が私を睨み、制します。
「Ms.、まだ授業は終わっていないが?」
「関係ありません。今日の授業が人狼であるならば、私はこれ以上学ぶ必要はありませんから」
クラス中が、しんとする中で私は言い切りました。
あぁ、駄目です。こんなの。スネイプ先生に反論するなんて。
じわりと視界が滲みはじめます。泣いている場合ではないのに。
わかっています。人狼は狂暴だって。でも、リーマスさんは、リーマスさんだけは違うのです。
私を守ってくれるリーマスさんだけは、絶対に。例外的に。絶対に。
先生の怒った声を背中で聞き流しながら、私は教室を飛び出していました。
†††
そして私はリーマスさんのお部屋にいました。
リーマスさんはいませんでしたが、私はソファにころんと横になってただぼんやりと宙を見つめていました。
スネイプ先生は意地悪です。意地悪なのはわかっています。
でも、今日の意地悪には我慢が出来なかっただけです。
授業をサボって、リーマスさんの部屋に篭っていると、ドアがカチャと開きました。
やつれた顔のリーマスさんが入ってきて、私を見て、目を丸くして、私はリーマスさんに飛び付きました。
「リクちゃん? どうしてここに? ハリー達が探していたよ」
また涙が溢れてきた私が何も話せないでいると、心配顔のリーマスさんが私の事をぎゅうっと抱きしめました。
あやすように背中を撫でるリーマスさんに私は俯きながら、涙を拭いました。
少しリーマスさんを見つめます。
「……リーマス先生も、どうして?」
「私は鞄を置きに来たんだ。これから、ん…月が昇る前に城の中から離れるよ」
「私も出口まで付いていっていいですか?」
「…出口までなら。奥までついてきちゃ駄目だよ。それに今日だけだからね」
「はい」
リーマスさんは何も聞いてはきませんでした。
そのことに感謝をしながら、私は部屋を出るリーマスさんについていきました。
リーマスさんの顔色はよくありません。
青白くて、繋いだ手は冷たくて、握り返してくれるその握力が、時間が過ぎるごとにどんどん強くなっているのを感じました。
「リクちゃんといるとね」
突然リーマスさんが話し出しました。
私はリーマスさんを見上げ、その青白い横顔を見つめていました。
「何で。ってたまに思うよ。もう慣れたと思っていたんだけどね」
言葉を濁したリーマスさんでしたが、それが、狼人間のことであるとわかっていました。
表情を暗くするリーマスさんが話しつづけます。
「リクちゃんが泣いている時にも、側にいられない。何でだろうね。父親、なのに」
「そんなこと言わないで下さいよ。
……惚れちゃいます」
答えるとリーマスさんは驚いたように私を見て、にっこりと笑いました。私もにっこり笑い返します。
「本当?」
「はい。私、リーマス先生が1番好きです。
リーマス先生が何であろうと、誰であろうと。私はリーマスさんが大好きです」
手を強く握り返したあと、私は背伸びをしてリーマスさんの頬にキスしました。
はにかんだリーマスさんに付いていくと城の中の石像の前に出ました。
首を傾げる私にまた微笑んで、リーマスさんは杖を取り出し、石像を数回叩きました。
すると石像が真っ二つに割れて中から通路が見えました。魔法って、本当凄いですね。
隠し通路になっていたそこを覗き込んでいると、リーマスさんが私の頭を撫でました。
「じゃあ、リクちゃんは戻って。そろそろ夕食だろうし」
「ここで待っていては…」
「駄目だ。ここは冷えるし、1人で出歩くのは感心しない。
ほら、また明日ね」
リーマスさんは私の髪から手を離すと通路に入っていってしまいました。
それを見送って、石像がまた元通りになるのを見て、それでもまだ石像を見つめていました。
確かに廊下は冷えます。かじかんできた手をさすりながら、繋いだ手を思い出していました。
暖かくて大きくて。私を守ってくれている優しい手。くたびれたカーディガンから香るチョコレートの甘い匂い。