私は夢を見ていました。
大きな湖、深い森、広がる草原、眠る山、静かな海、満天の星空。
私にとってそれはただの夢ではありませんでした。
私の『魂』が肉体から離れ、実際にその場所に行っているのでした。
この現象は決して良いことではありません。
このままこの幽体離脱を続けていると、肉体から魂が完全に離れ、元の身体に戻れなくなってしまうそうです。
それなのに。
湖に降り立つフラミンゴの群れ。
夜の森の木々に隠れて目を輝かすフクロウ。
何処までも続く草原に咲き渡る月見草の花。
眠る山を起こす朝焼けの光。
静かな海からのぞくクジラの頭、イルカの群れ。
満天の星空に流れる流星群。
息を飲むその美しい景色にぴったりの言葉は浮かびません。
ただ、ひたすらその美しさに目を輝かせ、立ち尽くして呆然とその景色を見つめることしか出来ません。
自身に危険が迫っているというのにも関わらず、私はその景色の美しさを手放す事が出来ずにいました。
夜の間だけ見ることが出来る、美しい景色にただ私は、心を奪われていました。
†††
「……どうしましょう…貯まってきちゃいました…」
薬は飲まなくては貯まってしまうもので、その副作用故に飲むのが疎遠になっていた『夢を抑える薬』が私の手元に貯まってきてしまっていました。
瓶を軽く振るうと水のようなその薬は音を立てて揺れました。
肥大呪文をかけ、見た目よりも入るようにしたその瓶に、毎日、1日飲む量だけを移し替えていました。
無くなりそうになれば澄ました顔でまた薬を頂けるように。
座った私の膝に乗るヘビのフェインはじぃと私を見上げています。
薬を作ってくれているスネイプ先生や、私を心配してくれるリーマスさんやシリウスに罪悪感を抱きますが、でも…。
「……痛いのは、苦しいのは…嫌、です」
薬が苦いのは我慢が出来ます。ですが、この薬は飲む度に激痛が襲いかかりました。
体中を刺すような痛みに吐き気、しかもその代償が毎晩見ることの出来る美しい景色の消失だなんて。
苦いのも辛いのも我慢出来ます。誰かの為に私自身が傷つくことも、我慢できます。ですが、怖いことと、ただ痛いことには我慢しきれないのです。
フェインをぎゅうと抱きしめると、彼は私を慰めるように声を上げてくれました。
「シューシュー」
「リーマスさんには内緒にしてくださいね」
「…シャ」
短く鳴いたフェインにキスを落とします。私は付け足すようにフェインにお願いしました。
「……スネイプ先生にも、どうか内緒に」
罪悪感が私に嫌な痛みを与えました。
薬を飲んだときよりも痛くはないというのに、それはズキズキと私を苛みました。
†††
甘い匂い。
前髪をピンで軽く止めた私とリーマスさんからも甘い匂いが漂います。
チョコレートを湯煎にかけて、固めのメレンゲを作って、薄力粉にベーキングパウダーとココアを混ぜて、
「リクちゃん、ラム酒入れてみる? それともリキュールにする?」
「この前はリキュール作ったので、ラム酒でも作ってみたいんですが…」
じゃあ、とにっこりと笑いながらラム酒を手にするリーマスさん。
朝から早起きだった私とリーマスさんは、2人でハリーへの誕生日ケーキを作っていたのでした。
一緒に住んでいるマグルさんから、十分にご飯を頂けないかも。との救援の手紙が来ていて、私達は早速支援をするためにケーキを作っていたのです。
最初、このことを伝えるとリーマスさんはハリーを心配して苦い顔をしていましたが、小さく首を振ってから一緒にケーキを作ろうと言ってくださいました。
そして今、作っているのはチョコレートのパウンドケーキです。
メレンゲを泡立てるリーマスさんは手慣れた様子で、本当に甘いものが好きなんですね。と私は頬を緩ませていました。
お料理が得意なリーマスさんが素敵です。
私は新しいボウルに材料を混ぜ合わせながら、復唱して確認。確認。
お菓子作りはだんだんと慣れてきましたが、まだまだお料理は苦手なんです。
「グラニュー糖に、卵黄と…えっと、……?」
「バターを忘れているよ。ハリーに贈るならグラニュー糖は控えめにね」
「はい、わかりました」
私とリーマスさんが食べるならお砂糖たっぷりの甘いケーキを作るんですけどね。
ハリーに贈るには甘すぎるんでしょう。
ぐるぐるとかき混ぜながら、ボウルを抱えてリーマスさんの側に行きました。
「これくらいですか?」
「そうそう、上手だよ」
リーマスさんにアドバイスを貰いながら混ぜていると、様子を見に来たフェインが私の肩に上りました。
心なしかフェインも楽しそうです。
フェインがチョコレートに身体を伸ばしていたので、ぴしと彼の身体を叩きます。つまみ食いは駄目ですよ。
それに、ヘビにチョコは与えてもいいのでしょうか? 駄目な気がします。
材料を混ぜ合わせると生地の出来上がりです。あとは型に流し込んで、焼くだけです!
「焼き上がりが楽しみですね」
「うん。リクちゃんが手伝ってくれたから、きっと美味しくできるよ」
大きな掌で私の頭を撫でてくれるリーマスさん。
緩んだ頬を押さえながら、余ってしまった材料を並べました。
これは流石にチョコレートを湯煎しすぎたようです。
そのままホットチョコにして飲もうとしているリーマスさんを止めて(チョコレートの摂取のしすぎで体に悪そうです)私は新しく生クリームを泡立て始めました。
「生クリームもまだありますし…、せっかくですので、トリュフにしましょうよ」
「……リクちゃんが作ってくれるなら少し我慢しようかな」
「あははは。リーマスさん、目がキラキラと輝いてますよ」
「だって、作っていたら食べたくならない?」
「なります、なります! 一緒に作りましょうよ」
「うん、一緒に作ろう」
微笑んだリーマスさんと私からチョコレートの甘い香りが漂います。
†††
夏休み中に魔法界で大人気のスポーツ、クィディッチのワールドカップ決勝戦があるそうです
その貴重な決勝戦の観戦チケットをなんとロンのお父さんが手に入れたのです。
ですが。
「リクちゃん、本当に行かなくても良かったのかい?」
「リーマスさんが行かないなら私も絶対に行きませんからね!」
去年のこともあって、リーマスさんがお誘いを丁重に断ってしまったので、私もリーマスさんと一緒に家に残ることにしたのです。
国民的なスポーツのクィディッチを見たい気もしますが、私はリーマスさんと一緒にいるときの時間の方が好きでした。
ほら、クィディッチでいろんなことも起こりますしね。
クスクスと困ったように笑うリーマスさんが、ぎゅうと私を抱きしめてくれました。
「あー、もう、リクちゃんが可愛いことばかり言うから」
「だって、リーマスさんが大好きなんですもん」
「あー、もう、可愛いんだから」
あぁ、平和です。本当に。
この平和が幸せで、絶対に失うことなどあってはならないものでした。
そのためにも、私は、未来を変えるために私は、
†††
クィディッチ決勝戦の次の日。
私は日刊予言者新聞を握りしめていました。
そこには「クィディッチ・ワールドカップでの恐怖」の文字。
リーマスさんが私の事を後ろから抱き寄せてくれました。
肩越しに新聞を覗き込んでいます。
「ハリー達から何か連絡は?」
「…まだありません。でも無事ですよ」
確信を持って答える私に、リーマスさんは小さく微笑みました。
彼は私が未来を知っているということを、知っているのです。
「魔法省のヘマ…警備の甘さ…闇の魔法使い…数人の遺体が運び出されたっいう噂…。
…凄い書かれようだね」
苦笑を浮かべてるリーマスさんに振り返って、ぎゅうと抱き締め返しました。
リーマスさんの甘い香りと体温に、ほっと安心します。
今年もまた忙しくなります。
どうにかしてハリーを守らなくてはいけません。
新聞でははじめてみる闇の印が浮かんでいました。
闇の印を見つめている私に、リーマスさんは注意をするように頬を膨らませます。
「リクちゃん、危ないことはしちゃダメだよ?」
「……はーい。…多分ですけど」
「絶対にしないの。
何かあればすぐ私に言うこと」
苦笑を零したリーマスさんに私は笑い返しました。