「ありがとうございます。道案内をして下さって」

俺は目の前の女の子に深々と頭を下げる。
女の子は傘の下から笑顔で手を振っていなくなった。

着物姿でうろうろしていた俺はかなり目立っていたらしい。
顔が見えなければ大丈夫と思っていたんだけれど、服装も問題だったらしい。

思えばてれびでも着物を着ている人は少なかった。また1つ勉強した気分。

じゃなくて。とにかく俺を平和島静雄さんと間違えて意地悪をしてきた人はいなかった。
よかった。マリアさんに迷惑をかける事にならなくて。

大きな矢霧の建物の前で俺は待つ。
マリアさん、まだかな? 擦れ違っていたりしたら嫌だなぁ。
でもきっと大丈夫。そんな気がする。

俺の感は結構よく当たるんだから。

きゃん。

俺のすぐ近くで犬が鳴いた。
俺が振り返ると小さな犬が俺を見上げて何回か可愛い声で吠えていた。

「犬……」

触りたい。その思いに負けて小さな仔犬を抱き抱えた。
雨に濡れた身体で着物が少し汚れたけれど、こんな小さな犬を雨の外で頬っておくのも嫌だ。
俺はその犬の背中を撫でる。犬は大人しく俺の腕の中でごろごろと喉を鳴らしていた。

その時、俺が大好きなマリアさんが矢霧から出てくるのを見つけた。
俺は歓喜に飛び跳ねそうなくらいに気分が上がる。

マリアさん! 大声で呼ぼうとしたら、マリアさんが傘の影に隠れた。

マリアさんの隣に誰か知らない人。
背の高いその人は傘で見えないけれど、男の人みたいで。

その人が笑いながらマリアさんを傘の中に入れた。マリアさんも笑いながら、嬉しそうに。

あれ? なんだろう。何で、何で、痛いのだろう。

マリアさんは平和島静雄さんが好きじゃなかったの?
その人は誰? マリアさん、その人の方が好きなの?
ねぇ、マリアさん……。マリアさん!

声を張り上げてマリアさんを呼びたかった。
俺が知らない所で、マリアさんは男の人と仲良く帰っているのなんて、嫌だった。

マリアさんを見ているだけで幸せになれる筈の俺は。

今無性に苦しくて、身体のもの全てを投げ出したくて。

―――痛かった。

俺に気付かず擦れ違っていくマリアさんが凄く遠くに感じた。


†††


「あ、待って」
「どうしたの、マリア?」
「今、見知った姿が見えた気がしたの」
「えー? マリア、男でも出来た訳?
 マリアのくせに」
「貴方よりは先に作ってやるんだから彼氏!」
「あはは。それは余裕過ぎるよきっと。
 私みたいな『女』。恋愛対象として見てくれる人いないんだから」
「男の子みたいだもんね」
「はっきり言わないでくれる? 傷付くから」

マリアは笑う。その、見た目がボーイッシュな女友達に向かって。
勘違いしてしまった彼が、マンションとは全く別の方向へ走って行ってしまうのにも気付けずに。


†††


帰らなきゃ。帰らなきゃ。わかってるよ。帰って何もなかったみたいに「おかえり」って言って、ご飯を用意してあげなきゃ。マリアさん、実は料理下手なんだから。俺が頑張ってマリアさんに美味しいものを作ってあげなきゃ。

そうは考えているのに、俺の脚はどんどんまんしょんから遠ざかる。
家に帰りたくないと、マリアさんに会いたくないと。

抱えてきた仔犬が俺の顔を見上げてまた「わん」と吠えた。

「…………マリアさん……またメンテナンスしてよ…苦しいよ…」

何で、俺は機械なのに。
何で、マリアさんは人間なのに。

どうして俺はマリアさんを好きになったんだろう。

ううん。もしかしたらコレは好きとか恋とかじゃないかもしれない。
本当に体内の異常で、何かの部品が足りなくなっちゃって、胸が痛むのは気のせいで。

マリアさんの笑顔に心拍数が上がるのも、
マリアさんが撫でてくれる手の温かさも、
マリアさんの幸せを願うのも、

全部気のせい。故障しているんだ。きっと俺は。

「………………廃棄されちゃえばいいんだ。俺なんか…壊れちゃった俺なんか…いらないよ…」

いらない。どうせならこのまま雨に濡れて錆びちゃえばいいのに。

そう思ったら傘を差したくなくなった。
黒い傘を閉じて横に置き、腕の中の仔犬に雨が当たらない様に犬だけを傘の下に入れた。
俺は膝を抱え込んで公園の椅子に座った。

冷たい雨が着物に染み込んで、重たくなっていく。

公園の片隅で仔犬と俺と。1匹と1体。

あぁ、マリアさん。部屋に俺がいなくて吃驚しているのかなぁ?

「おい」

ごめんなさい。マリアさん、ごめんなさい。

「おいって」

ごめんなさい。俺、マリアさんと一緒にいれて凄く楽しかった。
マリアさんに作って貰えて凄く楽しかった。

「おい、聞こえてんのか」

声がやっと聞こえて俺は顔を上げた。何時の間にか雨は俺自身に掛っていない。
みると、目の前の人が俺を自分の傘の中に入れてくれていた。

そして俺は大きく目を開いた。だって傘を差し出してくれたのは。

「平和島静雄さん………?」
「お前………」

ばーてん服を着た、俺とそっくな人だったから。


†††


俺とそっくりな人が俺の隣で、不思議そうに何度も俺の顔を見ていた。

マリアさんに作られました。マリアさんは貴方の事が好きで、だから貴方と同じ顔なんですよ。

とは言えない。絶対に。

「へぇ、いるもんだなぁ。俺とそっくりな奴って。
 世界中に3人しかいないんだろ? 2人集まったぞ」
「そ、そうですね」

気が良さそうに笑った平和島静雄さん。俺は愛想笑いを向けた。

どうしよう。複雑。マリアさんは貴方が好きで、でもマリアさんはさっき違う男の人と帰っていて。
マリアさんが平和島静雄さんが好きだから生まれた俺。

だったら俺は何をしたらいいんだろう。
平和島静雄さんの代わりになれれば1番いいんだろうけど、俺には出来ない。

俺は津軽だから………。

俺の悩みも知らずに平和島静雄さんは俺の隣の仔犬を抱きあげた。
マリアさんが言っていたみたいに犬が好きみたいだ。

「この犬、捨て犬か?」
「わからないです。雨の中にいたので連れてきてしまいました」
「捨て犬だったらお前、飼うのか?」

……実際飼いたかった。でもそれはマリアさんが迷惑かもしれない。
俺は少し黙ってから、平和島静雄さんに向いた。

「貴方がその犬を飼ってくれませんか?
 一緒に住んでいる人の迷惑になるかも知れなくて……
 あ、無理だったらいいんです。新しい飼い主を探しますから」

思えば俺はこのまま壊れちゃってもいいと思っていたんだ。
だから最後にこの子の為にこの街の中を歩き回るのも良いかもしれない。

平和島静雄さんは黙って犬を見つめていた。
悩むように。犬を抱える大きなばーてん服。

マリアさんは、どうしてこの人を好きになったんだろう。よくわからない。

俺と何が違うのだというのだろう。きっとどんなにそっくりでも全く違うんだろうな。


†††


「津軽!!」

家に帰っても津軽がいない。こんなこと初めてだった。
玄関に傘が無くなっていたから、きっと私を迎えに来てくれたのだろう。
でも、仕事場からマンションまでの道を何度探していても津軽は見付からない。

津軽がいないとこんなに不安になるんだ。今まで気付かなかった。

雨の中を探して回って。津軽がいなくて。
何か危ない事に巻き込まれている気がして。

「津軽……止めてよ…私の側にいてよ…」

不安に押しつぶされそうで、息がつまりそうだった。


†††


「すいません。結局平和島静雄さんまで濡れてしまいましたね」
「別にフルネームで呼ばなくてもいいよ。静雄で。
 お前は津軽…だったっけ?」
「はい」

俺は静雄さんをマリアさんの家に呼んでいた。
さっきまで悩んでいたとしても、折角静雄さんに会えたんだ。マリアさんにも喜んで貰いたい。

静雄さんにたおるを押し付け、濡れていた仔犬も綺麗に拭いてあげた。

家に入ると、マリアさんがいなかった。
もう帰ってきてくれてもいいはずなのに……。

「マリアさんがいない」
「マリアっていうのはお前が言ってた奴か。
 お前を探しに行ったんじゃねぇのか?」
「…………マリアさんは俺を探さない」

そんな気がした。

俺は静雄さんじゃないもの。俺がいなくなったとしても新しい俺を作れば。
だって俺は機械。いなくなれば作ればいい。
そう思っていたら静雄さんは不機嫌そうに俺の頭にたおるを置いた。

「家族がいると思ってたのにいなかったんだ。探すにきまってんだろ」
「……俺は、家族。なのかな……?」
「当たり前だろ。つか止めろよ、そんな顔。なんか無性に腹が立つ」

見ると無造作に手が置かれた机がギシギシ言っている。
あ、この人切れたら大変な人だ。

マリアさんの家を壊されても俺が困る。
俺はなるべく静雄さんを怒らせない様に笑顔を向けた。

「きゃん」

突然仔犬が吠えた。見ると、何か紙を咥えている。

静雄さんが仔犬から紙を取り、見ると、ニヤっと笑って俺にそれを見せつけた。

「ほら。心配されてんじゃねぇか」

そこには俺を心配して探しに出ていますという内容と、マリアさんの携帯の電話番号が書かれていた。

不謹慎にも心拍数が上がった。


†††


私の心拍数の上がり方は半端無かった筈だ。

津軽を探していたら急に知らない所から電話がかかってきて、なんだよ!? と思いながら電話に出たら、なんということでしょう。それは私の片想いの相手、静雄さんで。

なんと今、津軽と私の部屋にいるらしい。
ヤバいヤバいヤバい。それはヤバい。だってお部屋片付いていないし、お掃除も津軽にまかせっきりだったし、女としてそれはヤバい!

津軽に何もなかったと聞いて安心したけれど、他の心配事が湧いてきたじゃん!


†††


マリアさんからの置手紙を握り締める。

女の子らしい丸くて可愛い字。この前、俺の字体を見て、こんな字を書きたい! と笑ってくれたマリアさん。

静雄さんが電話をしてくれて、今、家に向かってきてくれているらしい。
迎えに出たかったけど、静雄さんに「擦れ違いになるから止めろ」と言われてしまった。

「……マリアさん…」

マリアさんの事を考えていたら身体中に熱がこもる。
先程から黙って犬と遊んでいた静雄さんが俺を見た。

「津軽はマリアとか言うやつが好きなのか?」
「え!?」

え? え? 静雄さんって真顔でこう言う事言う人!?
吃驚し過ぎて返答できない俺に、静雄さんはまたククと笑った。

「いや、なんかその手紙、大事そうに抱えてるからよ」
「す、好きとかではありませんよ。
 それにマリアさんの好きな人は俺じゃなくて」

―――貴方ですから。

さすがにそこまでは言えなくて口ごもる。

「…………俺はマリアさんの側で、マリアさんの為に料理を作っていれればいいんです」
「……お前、良いヤツだな」

静雄さんがそういった後、扉が結構乱暴に開けられてマリアさんが飛び込んできた。

マリアさんの姿を見たら、何だか安心した。
さっきまで抱えていたどうでもいいことなんか全部忘れちゃうくらいに、マリアさんの姿は綺麗だった。

「津軽!! 何処に行ってたの!? 怪我してない!? 風邪引いてない!?」
「マリアさん、おかえりなさい」
「ただいま。
 じゃなくて、津軽!」

俺は笑った。マリアさんが必死に俺の事を心配してくれているということに、幸せを感じて笑った。
マリアさんが俺に飛びこむ。俺は慌ててマリアさんを抱き抱えた。

「心配したんだから――――!!!!!」
「え。あ。ご、ごめんなさい」

あれ。ちょっと。こんな泣き顔まで見せられたら苦しいよ……。
マリアさんに凄く酷いことをした気がする。いや、したんだ俺は。
ごめんなさいマリアさん…。

「もうしないから、マリアさん泣かないでください…。
 ごめんなさい、マリアさん。そんなに心配してくれるとは思わなくて」
「心配するに決まってるでしょう!!」
「あ、それ、さっき静雄さんにも言われました」
「当り前でしょ! って、え? 静雄さん?」

見ると静雄さんが犬を抱えて、ポカンと俺とマリアさんを見ていた。
マリアさんの勢いが予想外過ぎたんだろう。

マリアさんの顔が一気に真紅に変わる。

慌ててマリアさんは静雄さんに頭を下げた。

「つ、津軽を家までありがとうございました!」
「いや、俺も気になったし。なんか俺と似てて」

その言葉にマリアさんはあははと笑う。

マリアさんはやっぱり静雄さんが好きみたい。

でも。マリアさんが静雄さんが好きな分だけ、同じ顔の俺にもその好きを分けてくれるかもしれない。

それなら良いかもしれない。

「静雄さん。ご飯食べて行って下さい。俺が作ったんですよ」
「え、でもいいのか?」
「はい是非!!」

マリアさんが嬉しそうに跳ねた。幸せそうなマリアさんを見るのが好き。

でも、でもいつか。マリアさんが間違って俺の事を好きになってくれたのなら。

この胸の故障は治るのに。

「津軽、この犬どうしたの?」
「あ、あの。家で…飼ってもいいですか?」
「うん。いいよ。津軽、犬好きだもんね」

あっさりとそう言ってくれるマリアさん。俺は吃驚した後、犬の頭を撫でた。

「よかった」
「ふふ。津軽が笑ってくれたら私嬉しいもの」

それは俺がマリアさんに思う事と一緒だった。
マリアさんは俺の頭を撫でて幸せそうに笑ってくれた。

あぁ。マリアさんがそうやって笑ってくれるのなら。
マリアさんが俺だけの笑顔を持っていてくれるなら。

俺は幸せだから。

「ね? マリアさん……」

小さく、誰にでもなく同意を求めると、静雄さんから離れてきた犬が俺の足元で「きゃん」と鳴いた。

マリアさんと静雄さんは仲良く話している。
2人とも楽しそうだ。幸せそうだ。

俺は好きな人とその人の想い人をずっと見つめていた。

幸せになれ。そう心の中で叫びながら。ずっと見つめていた。


外の雨がさっきより強くなった気がした。


(好きと伝えても)


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