【たったそれだけ】(万斉→夢主→高杉)

夜。空に輝くのは神々しい月。


マリアはこの鬼兵隊の女中の1人である。

「酒」

高杉晋助はそれだけを言い、ぱたぱたと走っていたマリアを引きとめた。
マリアは振り返り、高杉を見つめ、頭を深々と下げた。

「かしこまりました、晋助様」

高杉の1つしかない瞳は、マリアを見もしない。

彼にとっては彼女は数多くの女中の1人であり、マリアにとっても高杉は次元の違う主であった。

それだけの関係。たったそれだけ。

なのに、マリアの頬が染まったのは何故だろう。


†††


河上万斉はこの鬼兵隊の幹部の1人である。

「万斉様、晋助様がお呼び申しておりました」

マリアはそれだけを言い、べんべんと三味線を打っていた万斉を引きとめた。
万斉は振り返り、マリアを見つめ、軽く頷いた。

「承知いたした、マリア殿」

万斉のサングラスに隠れた瞳は、マリアを見つめ続ける。

彼にとっては彼女は数多くの女中の1人であり、マリアにとっても万斉は次元の違う主であった。

それだけの関係。たったそれだけ。

なのに、万斉がマリアの名を知っていたのは何故だろう。


†††


高杉晋助はこの鬼兵隊の全ての主である。

「晋助、拙者を呼んでいたようだが何かあったでござるか?」

万斉はそれだけを言い、優雅に酒を煽っていた高杉を見た。
高杉の隣にはマリアが酌をしており、何故か万斉はまたマリアから視線をそらせずいた。

高杉は振り返り、万斉を見、無言のまま酒を勧めた。

「今日は月が綺麗ェな日だ。酒でも煽れや」

晋助は薄く笑った後、マリアを見つめた。

「てめぇもどうだ?」
「………私はただの女中…。お気になさらずに」
「野郎と2人で飲んでも面白くねぇだろ。黙って飲めや」

高杉はマリアに酒を勧め、マリアもゆっくりと口につけた。
透き通る酒は一級品なのだろう。淡い酒精が喉を焼く。

主と幹部と女中。

3人が酒をゆっくりと優雅に煽る。
酒に弱いのか、マリアは次第に酔いがまわって来たようだ。

ふいに。

高杉が刀を抜き払った。万斉は驚きつつ主君の行動を見守っていた。
マリアも驚きを見せている。頬を酒で赤らめながら、黙って高杉を見つめていた。

高杉はゆっくりと切っ先を向けた。

「なぁ、おめぇ…、………俺達の密偵だろ」
「!?」

再び驚く万斉。マリアは黙っている。

切っ先を突き付けられても怯えを見せないマリア。高杉はニヤと笑っていた。

「気付いてねぇとでも思ってたか」
「………何時から……?」

その問いは自身が密偵だと認めたも同然の言葉。
すっかり蚊帳の外になった万斉は黙って2人を見つめていた。

「……てめぇが入って少したったぐれぇかな…。随分泳いでくれたよ、てめぇは」
「…私を斬りますか、晋助様」
「たりめぇだろ」

振り下ろされた刀を軽々と避け、マリアは懐から短剣を取り出した。
素早く万斉が高杉の前に立ち、突き出された短剣を受けた。
ビリビリと震える刀と短剣に万斉は瞳を浅く光らせる。

「刀をおさめてくださらぬか」
「万斉様…、っ」

何故だろう。万斉から見る彼女は酷く悲しげで。

「お主がどれ程の剣豪であるかなど知らぬ。
 だが拙者に勝てるとは思わぬが?」

男と女。力の差は歴然としており、力を滲ませ過ぎたマリアの掌は血を浮かべていた。
高杉は黙って部下と女中の力が拮抗しているのを見つめる。

余裕なのか酒を再び煽っている。

マリアが睨むように万斉へと短剣を全力で押し付ける。
次第に短剣にヒビが入り出したが、マリアは気にせず力を加える。

「私は…、私は晋助様の首を頂かなくてはならない…!
 …取らなくては…兄は…、捕まった私の兄は……っ」
「捕まってんのか。てめぇの兄貴は」

ククと笑う高杉。
マリアはじわりと涙を浮かばせながらも、その滴を零す事まではしない。
ただひたすらに血に滲む手で短剣を押しやっていた。

が、それは短剣が砕け散った瞬間に終わった。

万斉の追撃を転がるように避けるマリアは、真っすぐに高杉へと向かう。
刀を向ける高杉よりも先に、万斉の刀がマリアの右腕を貫いた。

だが、マリアは止まらない。
止まることなく高杉のすぐ前までたどり着き、刃先の無くなった刀を高杉の首元へ突き付け、一瞬止まった。

そして優しく、優しく微笑んだ。

「…………やはり私に貴方は殺せない」

マリアはそう囁くのと、高杉の刀がマリアの胸を貫くのは同時だった。

マリアの可愛らしい唇と傷口からは赤黒い血液が零れだし、桃色だった女中服には次第に深紅の牡丹が咲き誇る。

捩込まれる刀がマリアの身を削り、高杉の手を血で染めた。
蚊の鳴くような悲鳴が上がる。

それでもマリアは高杉の刀から逃れようと、胸に刺さった刃を掴み、そのまま左へと抜ける。
赤黒い液体が高杉の頬を濡らす。

心臓自体は傷つかなかったが、肺はやられ、動脈は切られ、片腕は動かず、血は流しすぎた。
笑う膝に力を入れるが、すでに瀕死。治療も間に合わないだろう。

女中は力無く短剣を落とし、部屋の窓に腰を下ろした。
抑える胸や腕からはとめどない命が流れる。

「……―――…様…」

彼女が微かに誰かの名を呼んだ気がしたが、それは誰にも届くことなく、マリアの意識は飛んだ。

ふらりと倒れていく体は窓から外へと向かう。

上は神々しく憎いほど美しい満月。
下は極寒の闇の海。

こんなにもわかりやすい天国と地獄はない。そしてマリアが向かうは。

「……マリア、殿っ…」

黙っていた万斉が動いた。
落ちるマリアの体を抱き寄せ、主君が見ているのにも関わらず、その女中を抱き起こした。

染まる紅にも構わずに万斉はマリアの顔を見つめる。
青白くなっていくマリアに生気は見られない。だんだんと体温が下がるばかりだった。

万斉はマリアを治療することなく、だがしっかりと抱きしめていた。

治療は出来ない。
マリアは謀反者であり、高杉に牙を向いたからには、生きてはいけない。
今、抱き起こしている自分も謀反になってしまいそうな、そんな危ない存在。
幹部である以上、助ける訳にはいかない。あってはいけない。

なのに、こんなにも死なせたくないのは何故だろう。

「惚れていたか。万斉」

高杉が言い放つ。万斉はそれでも深く黙った。

「刀も迷っていた。こいつを殺す気はなかっただろ」
「……………拙者も裁くか…?」
「後を追いてぇのはわかるが、まだいかせねぇよ」

高杉はそういい、自身が普段使っている包帯を万斉に投げつけた。

「気休めにはなるだろ」

背を見せ、部屋を出る高杉。
万斉はその包帯を握りしめ、マリアの治療を始めた。

死なせたくないのは、何故だろう。


†††


万斉が彼女の部屋に向かうと、眠っていたはずの彼女はもういなかった。

変わりに彼女が寝ていたであろう布団の傍らに高杉の姿があった。

「兄貴を迎えに行くとよ」

煙管をふかし、万斉を見ることもなく、彼はそう言った。

「あの傷じゃあ兄貴共々死ぬだろうがな」
「………拙者らには関係のない事でござる」

万斉が入り口に立ったまま答える。
サングラスからは表情が読めないが、治療のために持ってきた水盆は微かに震えていた。

「惚れてたんじゃあないのか?」

ククと笑う高杉を万斉は酷く意地悪な性格だと思いながらも、溜め息をついて返すだけだった。

「たとえ拙者が惚れていようと、勝ち目はなかったでござる。
 マリア殿は、」

彼の世話役を自ら引き受け。
彼に話し掛けられ、染めた頬を必死に隠し。
彼のためだけに酒の肴を作り。
夜風を浴びながら酒を仰ぐ彼の酌をしながらも、黙って彼を見つめる。

マリアは高杉に惚れていた。

今になり、どこまでが密偵の任務だったのか万斉にはわからない。

だが、万斉が見た限り、マリアは真剣に高杉を崇拝していた。

勝ち目は、ない。

「まぁ、もう会わねぇだろーよ」

黙る万斉を見もしないで高杉は煙管をふかしていた。


†††


鬼兵隊は物資補給のために江戸に下りていた。

笠を深く被りった高杉と、いつも通りの万斉もかぶき町を歩いていた。
先程から高杉は真っすぐに何処かへ向かっている。

万斉は些か不思議に思いながらも「ついてこい」と言われたままに後を歩いている。

そこで突然。
高杉が疲れたとでもいうように足を止めた。

「晋助?」
「疲れた。万斉てめぇ、そこで団子でも買ってこいや」
「お主は子供か」

睨みをきかす高杉から逃れるように、飽きれ顔の万斉は近くの茶屋に向かった。

気の良さそうな青年が万斉の応対をする。
万斉は適当に団子を頼み、赤い布のかけられた椅子に座った。

疲れたなら茶屋まで歩いて、ここで休めばいいと思う。

そんな事をぼんやりと考えていると店の入り口で盆の落ちる音がした。

「大丈夫か?」
「ご、ごめん」
「まだ無茶すんなよ」

青年が駆け寄り片付けている。
万斉がそれをたいして興味を持たずに見る。

そして一瞬息が止まった。

「万、斉…様?」
「マリア殿…?」

そこには鬼兵隊女中だったマリアがいた。

髪につけられた紫の蝶の簪が揺れる。

そして先程の青年が幾分マリアに似ていた事を思い出し、同時に、高杉の気遣いもしくは悪知恵に舌打ちした。

「ど、どうして……」
「……あぁ…晋助に騙されたでござる」
「晋助様もこちらに!?」

身を固めるマリアだが、その表情は何処か嬉しげで悲しげで。

「近くにはいるが、店には来ないようでござる。
 だがこの店は晋助に言われて来た。
 マリア殿を気にしているのは確かでござるよ。
 ちなみにマリア殿を切りに来た訳でもない」

それを聞き、複雑な表情のまま、マリアはゆっくりと万斉の隣に腰を下ろした。

図らずも万斉の心音が跳ね上がる。

「……マリア殿も無事であったてござるか」
「…はい。あの、晋助様にお礼をお伝え願えますか?」

マリアは微かに染まった頬を見せながら万斉の顔を覗き込む。

「あの時…私が死ぬ覚悟で兄を助けに行ったのですが…
 向かうとすでに鬼兵隊の方々がいて……兄もあの通り無傷で…。
 この店もその時、また子様に頂いた資金で借りられたのです。
 晋助様にはどんなに言い尽くしても足りないほど感謝をしていると……」

はにかむように笑うマリアに万斉は苦笑を零す。

突き放したというような言葉を吐きながらも、しっかりと面倒を見ているではないか。と。

そして微かに疑問も残る。

あの高杉晋助がただの女中にここまでするか。と。

「………後で問いたださねば…」
「え?」
「いや。マリア殿が元気なようでよかったでござる」

万斉は微笑みながらマリアを見る。
マリアも満面の笑みで笑い返した。

彼女は綺麗だった。
攘夷浪士の女中をやっているよりも、茶屋で笑顔を振り撒いている方がずっといい。

彼女の兄から団子を受け取り、万斉は立ち上がった。

「では行く。お代は」
「頂きません。頂けません」

青年は優しく微笑んでいた。
妹の様子から万斉が鬼兵隊の者だろうと察したのだろう。

だが、万斉は彼の手に無理矢理金を多めに握らせ、マリアへと笑いかけた。

「そうもいかぬ。そんなことをすれば晋助に刺される。
 また来るでござるよ、マリア殿」

万斉は歩きだし、途中で1度だけ振り返った。

茶屋の前で笑うマリアは幸せそうで。

伝えたかった気持ちは胸に押し込めるとした万斉。
あの状況ではマリアも、そして高杉も自身の気持ちは伝えていないだろう。

そんな中で万斉だけ抜け駆けは出来ない。

微かに痛む胸に気付かぬふりをしながら、万斉は突っ立っている高杉の元へと戻った。

団子を買い、戻ってきた万斉にニヤリと笑う高杉。

「いい茶屋だろ」
「…そうでござるな」

この性悪と呟きながらも、粋な心遣いに笑う。

「晋助も行けばよかっただろうに」
「言ったろ。もう会わねぇだろーよって」
「彼女の想い人に心当たりでもあったでござるか?」

おどけたような万斉の言葉に、高杉は隠し持った懐刀の柄を握りながら、殺気を飛ばした。
万斉はまた淡く笑う。

「それでは認めたも同然でござるよ」
「………斬られてぇか」

凄むが万斉は微笑んでばかり。不機嫌な高杉が何も言わずに歩きはじめた。

しっかりとマリアの作った団子を片手に受け取って。

彼等にとっては彼女は数多くの女中の1人であり、マリアにとっても彼等は次元の違う主であった。

それだけの関係。たったそれだけ。

交わした言葉も少なかった。
会う時間すらままならなかった。

マリアが想いを伝えられる時はこなかった。
万斉が想いを伝えられる時もこなかった。
これからも伝えられる事はないだろう。

そして高杉の想いはわからずじまいのまま。

これから女中と主達が再び会うことは極端に少なくなるだろう。
指名手配犯が何度も同じ茶屋に向かうことは出来ない。

会わずのまま抱えた想いは、増えるのか、消えるか。

万斉はふと見た高杉の表情が見たこともないくらい穏やかなのに気付いた。
甘い物は好まないくせに、団子をくわえながら、微かに茶屋のあった方角を見た。

微かに呟いた言葉に万斉は嫉妬と諦めと失恋を経験する。

「……マリアなら大丈夫だろーよ」

高杉がただの女中であるマリアの名を知っていたのは何故だろう――。


(たったそれだけ)

それぞれの胸の中にしかない答えは探したくとも探せない。


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