【バッドエンド】(緑間)

緑間くんには、私達が高校2年生の時に出会いました。

彼は隣のクラスにいたバスケがとっても上手い人で、キセキの世代だなんて呼ばれていて、背がとても大きくて。
それはもう学校全体でも目立っていた、有名な人でした。

そんな彼と、運動部でもない普通の私との関わり合いなんて、全くありませんでした。

「関わりなんてなかったんですけどねー」
「何を独り言を言っているのだよ」
「ふふ、なーんでもないでーす」

私の隣に立つのは大学を卒業して、もう社会人として働いている緑間くんでした。

私達は高校2年生の時に偶然出会って、その時、私が緑間くんを好きになって(お恥ずかしながらも一目惚れという奴です)、そして、なんだかんだいいながらも緑間くんも私と一緒にいてくれて。
そして3年に上がり始めの頃にお付きあいが始まって、それから緑間くんとはもう何年も一緒にいます。

高校を卒業をする時に一緒に住み始めた私達は、大学の同じ学部に進学して、何事もなく卒業して、社会人となった今でも緑間くんは私の1番大切な人。

緑間くんの手には相も変わらずラッキーアイテムの真っ白い猫のぬいぐるみがあります。
猫が嫌いなのに、ラッキーアイテムが猫のぬいぐるみだなんて。
今日は数週間ぶりにかに座が1位だったんですけれどねぇ。

そういえば最下位の星座は私でしたっけ。朝、緑間くんが心配していたことをかすかに思い出していました。

「真ちゃーん! マリアちゃーん!」

呼びかけられた声に私達はふと足を止めました。

私は振り返って満面の笑顔を浮かべましたが、反対に緑間くんは不服そうな顔をしています。
後ろから軽く走ってきたのは緑間くんの高校の時からの友達、高尾くんでした。

お昼時で賑やかな通りを笑顔で走ってくる高尾くん。変わっていないその様子に私も頬が緩みます。

「なーに? 2人とも今から帰るの? 早くね?」
「今日は昼までなのだよ」
「はい。だから今日はのんびりとお散歩でもしようと思いまして。
 高尾くんは?」
「俺は昼休憩。でも、もうちょっとで戻んねーと宮地先輩にまーたどやされる」

ニカッと笑う高尾くんは、スーツを着ていたとしても昔と変わらないみたいでした。

2人とももうバスケはやめてしまったけれども、緑間くんの右手には相変わらずテーピングがされています。

爪の手入れも未だに欠かしていませんし、たまに『キセキの世代』で集まってやっているストバスが、緑間くんも楽しみなんでしょうね。
私にはバスケのお話はまだまだ難しいけれど、楽しそうな緑間くんを見るのは大好きでした。

そんなことを考えていると、高尾くんが私と緑間くんの間に入って、私達の腕を掴みました。高尾くんはニヤニヤと笑みを浮かべています。

「で、2人はいつ籍入れんの?」
「た、か、お!」
「何怒ってんだよ、真ちゃん。
 もう一緒に住んでいるんだから。すぐ籍入れんのかなーって思ってたのに、もう何年たってんだよー」
「私は緑間くんと一緒に居れたら、それだけでもう幸せですから」
「おぉ、お熱いことで」
「……それなのだよ」

突然、不機嫌そうになった緑間くんに私は首を傾げ、高尾くんもキョトンとした顔をします。緑間くんは仄かに顔を染めながら、ムスとした声を出しました。

「いつまで『緑間くん』と呼ぶのだよ。
 お、お前はいずれ『緑間』になるという、自覚が足りないのだ!」

顔を染めながらも言い切った緑間くんに、私は困ったように苦笑を浮かべて、隣の高尾くんはそんな私達を見て吹き出していました。

「あー、ごめんなさい…。つい癖で…」
「ははは、真ちゃんって、本当、そういうとこ変わんねぇよなぁ。
 それこそ籍入れたほうがマリアちゃんも慣れるってー」

お腹を抑えながら笑いを堪える高尾くんを、真っ赤な顔をした緑間くんがバシッと叩いています。

私はもう何年も『緑間くん』って呼んでいますし、今から『真太郎くん』に変えるのも恥ずかしさがありまして。…中々実行には移せてはいません。

「んなこと言ってると、マリアちゃんにも飽きられちゃうぜー?」
「……それはありえないのだよ」
「ははっ、どんだけ自信満々なの真ちゃん!」
「私は緑間くんに飽きたりなんかは絶対しませんから」
「マリアちゃんからの惚気もいただきましたーっと!」

はははと笑う高尾くんはやっぱり相変わらずで、私は表情を和らげます。

そこでふと、時計を見る高尾くん。お昼休みが終わる時間が迫っているのでしょう、苦々しい笑みを私達に向けました。

「んじゃ、俺はもう行くわ」
「たまにはお家に寄ってください」
「呼ばなくてもどうせ来るのだよ」
「そゆこと! じゃあね、真ちゃん、マリアちゃん」

風のように去っていく高尾くんに手を振ります。

ふと、隣を見上げると複雑そうな顔をする緑間くんが見えたので、私は彼のテーピングに包まれた手をとり、優しく繋ぎました。

一瞬驚いたような顔をする緑間くんでしたが、何事もなかったかのように私の手を握り返してくれました。自分から始めた事ですが、少し照れます。

何年も経っていても、緑間くんと一緒にいるのは、とっても幸せで、ほんの少し照れが混じっていて。
いつまでもこんなふうに手を繋いでいたいなと、心から思っていました。

「……じゃあ、どこ行きます?」
「どこでも、いいのだよ」
「じゃあ、あのカフェ行きませんか? カフェテラスがあって素敵ですよー」

私は緑間くんの手を引いて近くに見えたカフェに足を向けます。

ビル街の間にぽつんとあるそのカフェは大人っぽい落ち着いた雰囲気で、休憩をしているOLの方々の姿がちらほらと伺えました。

私達はそのカフェテラスに座り、やって来た可愛らしいウェイトレスさんに注文をします。
ウェイトレスさんは緑間くんの持っているぬいぐるみを一瞬、不思議そうに見ましたが、次には営業用の笑顔で、注文票を持って店内へと戻っていきました。

そんな私とってはもう日常茶飯事の反応にクスクスと笑ってから、可愛らしいぬいぐるみをツンと指でつつきました。

「緑間くん、今日は久しぶりの1位ですけど、やっぱりラッキーアイテムは欠かせないんですね」
「1日たりとも気を抜かないというのも人事を尽くして天命を待つ、ということなのだよ。
 あと、『緑間』」
「あ」

またやってしまいました。苦笑を零す私と、不機嫌そうな緑間くん。

「いい加減慣れるのだよ」
「はーい。でもやっぱり、少し恥ずかしいんですもん。
 ずっと『緑間くん』って呼んでいたわけですし…」

でも、よし。今度こそ、頑張ります!

そう決意していると、突然、緑間くんが私の左手を掴みました。見上げた私から見えたのは顔を真っ赤にする緑間くんの姿。
バスケをしている時のような真剣なその表情に、私もじぃと彼を見つめ返します。

「マリア。俺は人事を尽くしていると思うのだよ」
「私もそう思いますよ?」

それはきっと誰もが認めることでしょう。
緑間くんの全てが、彼が必死に努力をして、勝ち取ってきたものなのですから。

緑間くんは大きなその手で、私の手を優しく包んでいました。

「だから、マリアも人事を尽くすべきなのだよ。
 俺も…、もう少し、努力するから。
 マリアは、俺が守っていくのだよ」

そう言って握られた左手に、いつのまにかあったそれを見て、私はぎゅっと胸のあたりが苦しくなります。

あぁ、だって、いつも一緒にいる筈なのに、こんなのいつ用意していたんでしょう…!

潤んできた涙腺。それをぐっと我慢して、私は小さく微笑みました。
彼こんなにも尽くしてくれているのに、私が答えなきゃどうするんですか!

胸いっぱいの幸せに張り裂けそうになりながら、私は彼に向かって笑顔を向けました。

「しんたろうくん。私は、」

その時、私と彼の間に、正確に言うと私の上に、何かが勢い良く降って来て、私達の間を引き裂きました。

弾けとんだ猫のぬいぐるみが、視界の端に映り込み、そしてそれは一瞬で真っ赤に染まっていきました。

「――マリア――?」

呆然とした声は辺りに響き渡る悲鳴にかき消されて、いつの間にか私の意識も途切れて――


†††


もう残り少なくなった休憩時間を気にしながら、俺は会社に戻る道を急いでいた。

早く戻んねぇとまた宮地先輩にどやされちまうと思って小走り気味に会社に向かっていた。

だけど、その時、後ろからつんざくような悲鳴が聞こえて、足は止まった。

尋常じゃあないその悲鳴に俺の意識は後ろに持っていかれる。
少しずつ、少しずつだったが、野次馬達が向こう側に向かっていく気がした。

そっちの方向はさっき真ちゃんとマリアちゃんと別れた方じゃないか。そして俺を包むのは悪寒。
宮地先輩にどやされる覚悟を決めて、俺は来た道を駆け戻った。


だから、だって、そんなの。信じられるかよ、


うちのエース様はそりゃもう「乙女か!」って勢いで爪の手入れを欠かさなかった。
それはバスケを辞めてからも続いていたようで、相変わらずの右手のテーピングに苦笑を零した記憶がある。

日常に支障すら出ているんじゃあないだろうかと俺が勝手に危惧してきた、今まで過保護なくらいに保護されてきた、真ちゃんのその右手。

だけどそれは今、見るも無残なぐらいにボロボロで、何年も守られ続けていた爪は剥がれかけ、真っ赤な鮮血や肉を見せていた。

「し、ん、ちゃん、?」

ねぇ、真ちゃん、なんで、なんで、そんなボロボロになるまでその瓦礫を掻いているんだよ。
なんだよ、その瓦礫。どこから、そんなもんが降ってきたんだよ。工事中のビルが崩壊?何してんだよ何やってんだよ。

なぁ、なんで、マリアちゃんの姿が見えないんだよ。

「たかお、」

いつも絶対的な自信を持っていた真ちゃんの、そんな呆然とした声なんて初めて聞いた。聞きたくなんかはなかった。

「マリアが、下に」

ヤバイ。

俺は直感的にそう思った。このまま真ちゃんをここにいさせる訳には行かない。

テーピングを血まみれにさせた真ちゃんの手を掴む。
無理矢理立たせると、瓦礫の隙間からドロっとした、真っ赤な、それが流れ出しているのが見えた。

過ぎるのは、いつも花みたいな笑顔を浮かべていた、真ちゃんの1番大切で大事で、凄い好きだった女の子の姿。

一気に襲いかかる吐き気を堪える。麻痺していた嗅覚が、突然ツンとするような鉄の匂いを感じ取っていた。

「真ちゃん、ここ、また、崩れてくるかもしんない。離れねぇと」
「マリアが、まだ下に、いるのだよ。早く、出してやるのだよ」

また瓦礫の側に跪こうとする真ちゃんを俺は抑える。なぁ、本当はもうわかってるんだろ、なぁ。やめろよ、やめてくれよ。

もう、マリアちゃんは。

そこで突然、瓦礫が僅かに崩れた。見えたものを俺達は見て、見てしまって、そして絶句した。
ひでぇよ。神様だなんて、いねぇんだな。だって、だって、こんなのは、あんまりだ。

瓦礫の隙間から見えたのは細い左手。青白い肌をしたマリアちゃんの左手だった。

そして、その薬指に見えるのは、血まみれの、結婚指輪――?

「マリア」

呆然とした声に俺はハッと、隣の相棒を見上げる。また襲ってきた吐き気に、どうにかなっちまいそうだった。
 
「やっと名前で呼んでくれたのにな」

愛する人を失った真ちゃんは、穏やかに、優しげに、ただ静かに笑っていた。
俺の頭の中ではガンガンと警報が鳴り響いて、それは鳴り止まなかった。

そして、やっと聞こえてきた救急車の音に、「…遅ぇよ」と静かに呟いた。

瓦礫に跪いて、マリアちゃんの左手をとる真ちゃんを、俺はもう抑えてはいられなかった。


(バッドエンド)

透き通る晴天のあの日、俺は、全てを失った。


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