【遊戯の延長】(芥川)
「ねぇ、芥川。ワタクシと単純な遊戯しません?」
風呂から戻った野村は、1人分の肘掛け椅子に座る芥川の背を見ながら、第一声、そう言葉を発した。
なんの手入れもしていない髪からは未だ水が滴っている。野村はふらふらと覚束無い足取りで芥川に近付き、肘掛け椅子の背凭れごと芥川を抱きしめた。
同僚の奇行にも表情を一切変えない芥川。野村の髪から落ちる水滴が芥川の肩口を濡らしていたが、それすらも意識していないかのように表情を変えずにいる。
野村の手には1発分の弾丸と、鈍色に輝く拳銃。
芥川の頭を抱きかかえる野村は微笑みを浮かべながら、両手の道具達を弄んでいた。
「決め事は簡単ですわ。
ここにある自動式拳銃。弾は全弾抜いてありますの」
野村は言葉と共に銃を1度開き、中の弾倉を興味のなさそうな芥川に見せた。
その次に、野村は1つだけだった弾丸を拳銃に収めていく。
「これで1発だけ弾が入りましたわ。あとはワタクシと芥川が交互に自らに向かって打ち合うだけですの。
運に従い、どちらかの首に穴が開きます故ゆえ」
「ね? 面白いでしょう?」とでも言いたげに喉の奥で笑った野村は、抱きしめた芥川の首筋に銃口を押し付けた。
銃口を押し付けられたままの芥川は、野村を一瞥することもなく漸く言葉を発した。
「初めに撃つのは貴様か?」
返された言葉に一瞬目を丸くした野村。彼女はこつんと自身の頭と芥川の頭を合わせて、ふふふと笑みを零した。
「ワタクシから持ち掛けておいて何ですけども、反応があるのは思いませんでしたの。
そうですわね。順番は考えておりませんでしたわ。何方どちらからにします? ワタクシでも、お前様からでも、何方どちらでも宜しいですわ」
心底楽しそうな野村。その両腕は誰かを彷彿させるかのような包帯が巻かれており、細い腕に似合わないその鈍色の拳銃だけが輝いていた。
徐に芥川が野村のその細腕から拳銃を奪った。野村は面白そうに芥川の動きを見つめ続けていた。
「……回転式の拳銃であるならば1発だけ弾を入れ、何分の1かの確率で発射され、貴様の云う遊戯が成立する」
彼は銃口を斜め下に向け、引き金に指をかけた。
途端に響く音。
消音器を付けながった拳銃からは思ったよりも大きな音が響き、野村は一瞬顔を顰めた。
芥川は床に空いた大穴を一瞥したあとに、煙を上げるその拳銃を其処らに投げ捨てた。
「この自動式拳銃ではそんな遊戯も出来ぬ」
「なァんだ。気付いていたんですの? 面白くない人。
何千分かの確率で弾詰まりを起こすかも知れませんでしょう?」
野村はひとつ溜め息を零すと、自身の片耳と芥川の片耳を合わせて、そのまま肩口に顔を埋める。
「まぁ、お前様の前で紅花散らして死ぬ事も魅力的でしたけども」
「いい加減無理だと悟れ」
「何をです?」
今まで野村を一瞥もしない芥川は、変わらず野村を見ることもなく言葉を紡いでゆく。
「貴様に『あの人』は代わりは到底務まらない」
野村の、一切の動きが停止した。
2人の空間を埋めるは無音。
次に聞こえた音は喉に張り付くような乾いた野村の笑い声。
「ワタクシが何時『太宰治』の代わりを務めようなどと云う戯言を云いました?」
「僕やつがれが何時『あの人』が『太宰治』だと云った?」
「………………」
芥川を抱き締めていた野村の腕が、芥川の胸元を更に強く握りしめていた。
何時ものように数回咳を零した芥川は、野村の拘束を簡単に振り払い、肘掛け椅子から立ち上がる。
追い縋るかのように芥川の跡を追った野村が、芥川のその黒い外套を掴んだ。俯いた野村からは押し殺した声。
「…真坂、そんなこと、有る筈無いでしょう」
彼女は囁く。
彼女は包帯を巻いた両の腕を見ながら、革色の外套を視界の端に入れながら、心底憧れ、崇拝する芥川に囁きかける。
芥川はもう1度野村の手を振り解き、扉に向かって歩き出す。
扉を潜る最後の瞬間、芥川は一瞬だけ振り返って野村に言葉を投げた。
「髪を乾かせ」
そうして扉を抜けていった芥川を、最後まで見送った野村は、苦笑を零したあと、今まで芥川が座っていた肘掛け椅子に座る。
そして心底つまらなそうに、先程投げ捨てられた拳銃を足で蹴った。カラカラと音を立てて拳銃はより遠くへと転がっていった。
「本当に連れない方ですこと」
呟いた野村が欠伸を零す。髪も乾かさないうちに肘掛け椅子の上で小さく丸くなる。不服そうに呟かれた言葉に確実に篭った嫉妬の声音。
「……1度ぐらいワタクシを見て下さっても良いと云うのに」
もう1度欠伸を繰り返した野村が、眠りに落ちようと目を閉じる。
相も変わらず1度も野村に視線を与える事のなかった芥川に、野村は溜め息を零す。
どうすれば気を引けるか、我ながら女々しくも感じるその思いだが、野村は自身で呆れつつも芥川の背中に追い縋っていた。
視界が暗闇に落ちる。
そのままあと数瞬で眠りに落ちようというその瞬間。がしっと頭を鷲掴みにされ、野村は驚き、目を覚ました。
視界に入るは白。
困惑する野村を他所に、聞こえるは芥川の声。
「僕やつがれは髪を乾かせと云った筈だが?」
「あ、くたがわ?」
視界を覆うタオルに、困惑を隠せない野村。
芥川の腕を掴んだ野村は思わず立ち上がり、自身の髪を拭く芥川のその動きを止めて、彼の表情を真正面から見つめた。
思ったよりも近かったその距離に驚いたのは他でもなく野村だった。
「お前様、何故…? 任務にでも行ってしまったのかと……」
「貴様は僕やつがれの外套を濡らした事を忘れたのか」
不服そうにそう言う芥川の肩口は未だに濡れている。
野村はそんな芥川を見て、クスクスと笑みを零し、そして最後ににっこりと微笑みを向けた。
「やっと、ワタクシを見て下さいましたわね」
「………妙なことに現うつつを抜かしている暇があるなら、人虎でも捉えてこい」
言葉を零す芥川を、野村は真正面から抱き寄せる。濡れていた肩口に顔を埋め、未だ半乾きだった髪が再び彼の肩口をしっとりと濡らしていった。
芥川の不満げな声。野村の楽しげな笑み。
「もう少し『飴』を下さいな。そうすれば『鞭』でも動きましてよ?」
「腹に風穴開けられたいか」
「ご冗談を。そんな事、お前様がやろうと思えば何時だって出来たでしょうに」
「期待してしまいますわ」と微笑んだ野村に、芥川は冷たい視線を浴びせたあと、徐に野村の髪を強く引くと1人分の肘掛け椅子に、野村の身体を膝に乗せ、再び椅子に座った。
野村が幸せそうに表情を緩めて、芥川の胸元辺りに耳を寄せていた。
「お前様の服が濡れますわ」
「今更、何を」
芥川の手は変わらず野村の髪を引いている。野村の肩にかかったタオルが所在なさそうに揺れていた。
(遊戯の延長)