【EAT】(レンチ)

グラフィティだらけのガレージ。二人掛けのソファ。わざと明かりを落とした照明。大画面モニターと高音質のスピーカー。少々散らかっているテーブルには、食べかけのピザと空のビール瓶とコーラ瓶。画面を伏せた状態で沈黙するスマホ。ソファとモニターの距離も、スピーカーの角度もどれもこれも最高のポジション。
ソファの背もたれに回された刺青だらけのレンチの腕の中に収まりながら、私は紙バケツに入ったポップコーンを抱えて、レンチが借りてきた映画を鑑賞していた。

映画オタクのレンチ主催でこの映画鑑賞会は今までも不定期で開かれてきた。
いつもなら同じく映画が趣味のマーカスも参加していたけれど、今日は不在。最近の彼はシターラに教わったグラフィティアートに熱心なようだった。
私はどちらかと言えばシターラのアートの方が好ましく思えるけれど、マーカスの描くアートもなかなか嫌いじゃない。彼はいつも本当にありえないと思う場所に描くのだから。
実際、次のグラフィティアートもどこに描いてくれるのか楽しみにしている私もいる。速報が待ち遠しい。

モニターの向こうで銃声。私の離れかけてた意識が僅かばかり映画に戻ってくる。
再生時間の半分は大人しく見ているであろうこの映画は、見る直前までは私もレンチもあーだこうだと盛り上がりながら再生ボタンを押した。
確かに俳優は売れ始めの言ってしまえばそこそこの男だったが、女優は有名どころだし、監督も今までの作品では大ヒットを何本も生み出しているし、配給会社も予算も悪くない。はずだった。
ただ、脚本家までは見ていなかったのがきっと私達の敗因だったのだろう。だらだらと続くぬるいアクションシーンと、唐突に始まるラブストーリー。繰り返される茶番。感情移入もなにもあったものじゃない。

結論、これは駄作。今回不参加のマーカスが羨ましいくらい。

それでも私もレンチも停止ボタンを押さないでいるのは、ラストの数十分に来るかもしれない大どんでん返しを期待してしまっているからだ。
ミストだってユージュアル・サスペクツだってオリエント急行殺人事件だってSAWだって。最後の最後まで見なくてはその映画を語れはしない。ハッピー・デス・デイだって中盤辺りからの盛り上がりが好き。
…まぁ、大抵の良作は序盤中盤も観客を引き込み、最後だけ面白い映画だなんて滅多にはないのだけれど。諦めきれない私達はおざなりに映画を見続けていた。

「映画のさ」

このままでは最後を迎える前に眠ってしまいそうで、私はぽつりと言葉を零す。いつものテクノボイスで短い相槌を返してくるレンチ。
彼のデジタルスクリーンのフェイスマスクにはふたつの「〜」が浮かんでいた。彼もこのままでは私と同じく眠ってしまうだろう。

「役者達が食事をしているところが好きなんだけれど、食事シーンって大抵がカットされるのよね。
 みんながみんな、食事をしてない訳じゃないでしょう?」
「まぁ、確かにアイアンマンは愛や勇気や正義感じゃなくてドーナッツを食ってた」
「そうよ。ヨーダもルークもスープを作って食べるし、ジェームズ・ポンドはマティーニを飲んでるわ」

そう言いながら私は抱えたポップコーンをひとつ摘まんで口に運ぶ。レンチの手が横から伸びてきて、同じくポップコーンを摘まんでいく。

ちらりとレンチの方へと視線を向ければ、彼は少しだけフェイスマスクの口元部分だけを押し上げて、その隙間からポップコーンを放って、一瞬だけ見えた素肌をすぐにマスクの下に隠す。
かと思えば、次はビールを流し込むために再び少しだけマスクが押し上げられて、それもまたすぐに隠してしまう。
はたから見れば面倒臭そうに見えるが、レンチ本人は面倒とは一切思っていないだろう。

ウォッチメンのウォルター・コバックスはヒーロー名通りのロールシャッハマスクを「自分の顔だ」と叫んでいた。
きっとレンチも、このデジタルスクリーンのフェイスマスクが彼の顔で、独特なこの食事方法も彼には至極普通のことなのだろう。

レンチがまたポップコーンに手を伸ばしたかと思ったら、指先が急に方向転換して、代わりに私の鼻を摘まみだした。
私は彼が食べ飲みしているところを見過ぎていたらしい。私が顔を顰めて顔を振るって手を払う。レンチの軽快な電子的な笑い声。目元に浮かぶ「^^」。

「人が飯食ってるとこなんか見てて面白いか? 食事風景よりも役者にはもっと多くのアクションさせてた方が観客ウケが良いだろ」
「そうかもしれないけれど…。映像的な面白さよりも、演じられているキャラクターの、生きている感じが出るのが好きなのよ」

あり得ないほどの超人やヒーローでも食事は必ずしている筈だ。生き物は食事をしなくては生命を維持できない。

英国紳士の優雅な食事も、軍人達の武骨な補給だとしても、食事をしているシーンがあると途端に人間味を感じて、親しみを覚える。
食べている物や食べ方を見ていても、その役のキャラクター性が浮かんでくる。ケーキを食べていたら甘党かもしれないとか。マナーが完璧だと親に厳しく育てられたのかなとか。
私はひとつひとつ、そんなところを見ていくのが好きなのだ。

それなのに、大抵の映画では食事をしないままに展開が進んでいく。レンチの言う通り、決まった尺の中で物語を進めていくのなら、削らなくてはいけないものももちろん多いだろうけれど。

「人間の三大欲求のうちのひとつは食欲よ? ベッドシーンはあるのに、食事をしないのはどうして?」

不貞腐れた私が声を上げるのと同時に、画面の向こうでは男女がキスをしてそのまま寝室に向かう場面へと移り変わっていた。お決まりの展開ではあった。

そして今まで暇そうにしていた筈のレンチが途端モニターの方へと顔を向ける。何、急にまじまじと見てるのよ。
友人や親と映画を見ていた時に急に始まるベッドシーンに気まずくなるあの感覚は私達にはないけれども、そんなに興味津々に見ているとそれはそれで嫌。
視線はモニターのまま、レンチは深々と頷いてみせる。なんの頷きなのよ。最低。

「そりゃあウケるからだろう。三大欲求の話で行くのなら性欲も大切な欲求のうちのひとつだ」
「食事こそ人間の生死に直結しているものでしょう?
 睡眠は取らなくてもいずれは限界が来て眠ってしまうだけだし、セックスなんてしなくても死なないわ」

顔を顰めながら画面向こうのベッドシーンを軽く眺めて、呆れた表情のままコーラ瓶に口をつける私の横、レンチの目元には「??」が表示されていた。そして深刻そうな声。

「セックスがないと俺は死ぬ」
「思考とシモが直結しているヤツは勝手に死んでどうぞ」
「そりゃ大変だ。世界中の男が絶滅する」

私はレンチに極寒の視線を向けて、中指を立ててみせる。対してレンチはもっと汚いハンドサイン。手に持ったコーラをぶっかけてやりたい。ホント最低。
冷たい視線を向ける私にレンチが弁解のように慌てて声を上げた。

「だって、ほら! パシフィック・リムのラストではお前らキスしねぇのかよって思っただろ?」
「あれはキスしないで終わったからこその綺麗なラストだった。ギレルモ・デル・トロの英断」
「なぁ。まさかオレの知らないところで性嫌悪症になってたのか? 週末の過ごし方を見直した方がいいか?」

返答として私の口から汚いスラング。それを思わず零してしまってから、自分の口元に人差し指を立ててシィと息を零す。私と同じ仕草をしたレンチも「××」を浮かべて、言葉を止める。
口元の指先をふいとモニターに向けると、レンチの視線も大人しくモニターへと戻っていった。はい、おりこうさん。

はぁと深い溜息をついて、私は冷えかけたピザに手を伸ばす。チーズとトマトとサラミとバジル。上に乗った具材が落ちないように口元まで運んで、食べる。流石に一口ではいけないので数回に分けて咀嚼。冷えかけてはいるけれども、まだ食べられはする。

ピザの命が…何分だっけ? 5分だったっけ10分だったっけ。どちらにしてももう時間は経過している。死んでしまったピザは若干硬くなってしまっているけれど、私にはまだ「美味しい」の範囲内だ。
指先に付いてしまったピザソースを舐めとって、コーラ瓶を手に取る。炭酸の少し抜けたコーラはべたべたの甘さだけを残していた。でもこの科学的な甘さが好き。やっぱり缶より瓶のほうが美味しい気がする。

そこでレンチのデジタルスクリーンの視線がじっと私に向いていることにようやく気が付いて、驚きに喉の奥で変な音が鳴りそうになった。

「なによ」
「なに、って。さっきの仕返し」

きょとんと「??」を浮かべるレンチを睨みつけて、思わず口元を片手で隠す。見るのはいいけれど、見られるのは嫌。普通に恥ずかしい。
レンチは最早駄作の映画なんかそっちのけで、私に視線を送っていた。

「仕返しついでに観察をしてみたが、お前を見ていたらオレにも理解が出来そうだ。食事シーンは良いものかもしれない」
「私で理解されても困るんだけれど」
「お前のその小さなお口でちょーっとずつピザを頬張っていくのは確かに悪くはなかった。ちら見えする真っ赤な舌もポイントが高い」
「レンチ。怒るよ」
「飲み込む時の喉の動きも、食べ終わって指先を舐めるのも、まだ口の端についてるピザソースも滅茶苦茶キュートだ」
「ちょっと。黙って」

言われて頬に熱が上がってくる。そもそも私が見ている観点とレンチが見ている観点そのものが違う。私はそんなに口元ばっかり見てる訳じゃない。
口元を拭って綺麗にしてから、レンチのフェイスマスクを叩いてやろうと手を上げると、腕を掴まれて彼はそのままソファに寝転がった。腕を掴まれた私もそのままレンチの上に寝転がる羽目になる。

レンチのフェイスマスクの下にある本当の表情はわからない。それでも浮かんだ「<3 <3」を見るに、きっとそのマスクの下もにやけているのであろうことが予想できてしまう。
じとと彼を睨んでいると楽しそうなレンチはさっきの私を真似してか、口元に人差し指を立てていた。

「OK。黙らせ方はわかるよな?」
「答えはNOよ。あなたは逆さまにぶら下がっていないもの」
「それは仕方がない。オレ様は放射能を浴びた蜘蛛には噛まれちゃいないからな」

このままではレンチはいつまでも煩いままだ。こつりと額を合わせた私は、彼のフェイスマスクの口元だけを押し上げてそのままキスをして口を塞ぐ。口煩い男もこれでようやく静かになった。

多少長めのキスを味わっていると、キスはレモンなんかじゃなくて苦いビールの味がした。
苦さに思わず顔を離して、顰め面を浮かべると口元だけを見せたままのレンチがけらけらと愉快そうに笑っていた。


(EAT)


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