広い広い宇宙船の中。大きな大きなデスクの上で、比べてしまえば小さな小さな私のスペース。ソファに、テーブルに、ドレッサー。
私と周りとの大きさが違いすぎて、私自身がドールハウスの主人になったかのような空間。
爪先に乗せた赤のマニキュアが、ほんの少しばかり剥げているのを見つけてしまって、私ははぁと短く溜め息をついた。

「どうかしましたか?」

音的には決して大きくは無かったであろうに、どこからか私の溜め息を聞き取って現れたのは私の爪先と同じような赤色をしたメディックノックアウトの姿だった。

今日も現れた鮮やかな赤は、私の姿を視界にとらえて側まで寄ってきた。
私は彼が普段使うデスクの上に居るというのに、近くまで寄られるとまだ見上げなくてはいけないほどに彼は大きい。
これでもメディックノックアウトの同僚であるウォーブレークダウンや、主君のメガトロンと比べると小型の機体だと言うのだから、この種族とは本当に相容れないものだと感じてしまう。

「マニキュアが少し剥がれただけよ」
「なんですって? あぁ、なんて悲惨な…」

先程の問いに簡単に答えると、メディックノックアウトは大袈裟に驚いて私の爪先を見ようとする。
ソファに座ったまま片手を軽く掲げて指先を見せると、私の胴ほどもある大きさのメディックノックアウトの指先が近付いてきた。
大きな金属の指先に手を乗せると、彼の目元からきゅるきゅるとカメラみたいな駆動音が聞こえてくる。きっとレンズの拡大を切り替えているのだろう。彼等には便利な機能が付いている。

メディックノックアウトの診察が終わったのであろう。私の指先が解放された時、彼はその機械の顔面で心底心配そうな顔を器用に浮かべていた。

「人間用のネイルパーツ塗装材はまだありましたか? 無ければ補充致しましょう」
「ううん、まだあるから平気」

それに、この程度ならまだ塗り直さなくてもいいかな、とまで思ってしまう。だが、些細な傷一つも見逃さないメディックノックアウトならばすぐに塗り直した方がいいと言ってくるだろう。

ちまちまと言われるのが嫌でドレッサーの中から同じ色のマニキュアを取り出して並べると、メディックノックアウトは頬杖をつきながら私の行動を観察していた。
視線が煩くて呆れた顔を見せれば、彼はひらりと手を振って笑顔を見せた。違う、そうじゃない。

「人間は外装を気分で変えられて良いですねぇ」

彼は私の身体を指の背で押して、私が身に纏った洋服に触れる。私の胴程もある指先に押されて、よろけそうになったところを慌てて大きな掌が私の背中を支えた。
相手が不器用なウォーブレークダウンだった場合、私はそのまま掌と指に潰されてミンチにされてしまっていただろうが、一応はお医者さんであるメディックノックアウトだったお陰で、私の身体が上と下でお別れすることはなく、よろけた私はそのまま彼の掌の中に小さく収まる。

メディックノックアウトは掌に収まった私を見下ろして、小さく呼気を零していた。こんなにも大きいからこそ、小さな私の扱いひとつで右往左往するのだから、笑ってしまう。

「扱い方には気を付けてよね」
「えぇ、えぇ。心得ていますよ」

対して怒ってはいないが念を押せば、彼はもう1度改めて呼気を吐いて私を掌に座らせたまま持ち上げる。

「ネイルは?」
「先にお着替えをしましょう」

そう言うと彼は、私からすれば小屋みたいな、彼からすれば軽々片手で持てる程度のアタッシュケースをどこからか持ってきて開く。
中に入っているには私専用の大量の服や小物だ。メディックノックアウトからしたら小さなそれらを彼は片手で選び始める。

ぱっと見、赤色の洋服が多いのはメディックノックアウトの趣味で私の趣味じゃない。彼は私が服を選んでいる時にもいちいち指図してくるのだ。直接店内には入って来れないからといって、わざわざ遠隔で監視して電話を掛けてまで。
少々反論したとしても結局は毎回従ってしまって私用の洋服入れには彼の好みのものばかりが埋められていく。センスは悪くないのがまた悔しいところだ。

メディックノックアウトはご機嫌な様子で鼻歌交じりに私の服を選んでいる。指先で器用に服を選び、靴を選ぶ。彼にとってはミニチュアや着せ替え人形で遊んでいるような感覚だろう。

「人間の外装に対する意識はとても興味深い。
 色や形、素材や作り手を変えて、個性や価値、社会的地位の想像までさせる」

そう言いながら彼は私に黒いワンピースを手渡す。珍しく赤色の服ではないことを軽く驚いていると、彼は続けて真っ赤な靴を渡してくる。はいはい、今日はそういうコーディネートね。今日もまた私の身体の一部に彼とお揃いの赤が入る。
メディックノックアウトは私の身体を、彼が使っているデスクの隅に置く。私はメディックノックアウトの視線から外れるように物陰に隠れた。
私が着替えている最中もメディックノックアウトは独り言のように言葉を続けていた。

「中身は脆弱でたった100年程度しか生きられない肉袋でしかないというのに、外装ひとつで大騒ぎですねぇ」
「貴方だって傷ひとつで大騒ぎするでしょ」

ナルシストなメディックノックアウトは自分の身体にどんな些細な傷でも付けられるのを嫌がる。彼の同僚達にはいっぱい傷が入っているのに、彼だけはいつも傷ひとつないぴかぴかな状態を保っている。
メディックノックアウトは大仰な仕草で自身の身体を強調させていた。

「まぁ、私は自分のボディが美しいことを知っていますから。美しいものを美しく保つことも大事なことです」
「ふぅん」

私からは思った以上に気のない声が出る。確かに色鮮やかな塗装や曲線は機械的にも綺麗だとは思うけれども、そんなに自分から自慢されると反応に困ってしまう。
呆れ顔の私を他所にメディックノックアウトは言葉を続ける。

「ですが、私達の種族は根本的には見た目の美しさ以上に、純粋な力がこそが強さですから。
 私は美しさと強さを兼ね揃えている優秀な機体ですが、それ以上にお強いメガトロン様がこの軍を率いているのも、スタースクリームがメガトロン様に勝てずに2番手であることも、ここでは必然的な事なのです」
「ふぅん」

もう1度飛び出る気のない声。戦いや力には興味が湧かない。人類は彼らにはどうあっても勝てないと思う。大きさも、戦力も人類と彼らではあまりにも違いすぎるのだから。
私自身、彼らの言いなりになるしかない訳であって、正直、組織内でメディックノックアウトがどのくらいの地位に居たとしても、そのこと自体に興味は湧かなかった。

でもひとつ、疑問は浮かんで、着替え終わった私は彼の前に現れて、視線を向けた。

「じゃあ、貴方はどうして私を?」

彼は私を弱いと言う。私達の種族を弱いと言う。私自身、彼らと比べてしまえば酷く弱い存在だと思う。
力こそ強さだというのなら、強さからは真っ先に外れてしまう私を、メディックノックアウトは飽きもせずに飼い続けている。

不思議に思って問いかければ、メディックノックアウトは私の身体を掌の上に掬い上げて、着替え終わった私の姿を見て、猫のように柔和に笑った。

「言ったでしょう? 美しいものを美しく保つのも大事なことです」

黒く流れるワンピースと、足先で輝く艶やかな赤いエナメル。
彼が選んだ服と、彼が選んだ靴と、彼が選んだ、私。

満足げに笑うメディックノックアウトに、私はふいとそっぽを向いて見せた。

美に煩いメディックノックアウトに褒められて悪い気はしないが、相手は自分とは違う種族な訳だし、彼らにとっては10年も100年も変わらないくらいあっという間な訳で、人間でしかない私がそんな時間をずっと今の姿で居られる訳もないし、第一この男、私の外見にしか興味がないと言い切っているような訳で!

「私はあと何年この姿を保てるかな」

私は私の頬を自分で触りながらむくれて見せる。どうやって生きようが私は彼らのように長生きは出来ないし、彼らのように姿形を保っていくことなど出来ない。
日々、老いからは逃れられないし、彼が私を美しくないと思う日も、きっとそう遠くない。
外見しか認められていないのに、その外見が崩れた時、彼はどうするのだろう。

メディックノックアウトはそんなむくれた私を宥めるよう、顔を寄せて短いリップ音を鳴らす。視線に愛おしさだけはたっぷりと乗せて、メディックノックアウトは両手に乗せた私をじっと見つめている。

「安心してください。ディセプティコンの冷凍技術は人間には到底及ばないような素晴らしいものです。
 いつかはお気に入りの服を着て急速冷凍しましょうね」

なんの事でもないというように頬笑みを浮かべるメディックノックアウトは、悪気なんか一切ない表情のままだ。
眉間に皺を寄せて、思い切り怪訝さと不信感を全面に出す私。

「安心なのかなぁ、それは」
「おや、冗談ですよ」

冗談じゃなかったくせにそう言うメディックノックアウト。
どうやら私の外見は途中で崩れることは無さそうだ。完全なる崩壊の前に、永久に保存されるのだろう。
やっぱりこの男、私の中身になんか一切興味が無い。このお喋りだって、ただの暇つぶしでしかないのであろう。

「さて、お着替えも終わったことですし、ドライブに出かけましょうか」
「貴方のお仕事は?」
「帰ってきたら片付けますよ」

そう言って今までに帰ってから仕事をこなしていたことなんて無い。
今晩もきっとスタースクリームあたりに怒られるんだろうなぁと思いつつも、私を再び掌に乗せて歩き出してしまったメディックノックアウトに抵抗する手段なんてない。

「今日は貴方の新しい洋服を見に行きましょうか。
 その後はドライブインシアターを見に行きましょう。あぁ、そうだ。途中で貴方の食事も購入しないと」

デートみたいだ。そうは思ったけれども私はそれを口には出さない。
別に私から彼に特別な感情などない。彼からだって、きっとそう。人間が犬猫を愛玩しているようなものだ。
それでも異種族の船に乗っていたって、船内を自由に出歩くことも出来ないし、それならどれだけ加速しても安定度を失わないメディックノックアウトのドライブについて行った方がそりゃ楽しい訳で。

私は今も彼の手の中に大人しく収まったままだ。

ご機嫌そうに歩き出していたメディックノックアウトが不意に足を止めて、私と視線が合う位置まで手を持ち上げた。
ディセプティコン特有の赤の視線を見つめ返せば、彼は目を細めるようにして微笑んだ。

「私としていた事が大切なことを忘れていました。
 今日の貴女の姿もとっても素敵ですよ」
「はいはい、ありがとう。貴方のその赤い装甲も素敵よ」

何かと思えば昨日も繰り返された軽い言葉だった。
そうして今日の私もおざなりに彼を褒める。

適当に褒めたというのに、彼は先程よりもさらにご機嫌そうにして私を大切そうに掌で支えるのだから、笑ってしまう。

あぁ、でもほら、貴方が急かすから、マニキュアを塗り忘れてしまったじゃない。
私の爪先の些細な剥げを見つけてしまった今は、それが酷く憎たらしかった。


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