「小狼くん、全然、追いつ、け、ない!」
羽根をしっかりと抱え、下宿まで駆け抜けていく小狼を追いかけながら、澪も彼の背中を必死に追う。
頭の上ににゃんくんを乗せたファイも、モコナを鷲掴みにした黒鋼も、一緒になって走る。
空はどんよりと曇っている。これからまたもう一雨きてもおかしくはない天候だった。
下宿に着くと、ちょうど帰ってきた空汰が曇り空を見上げているところだった。
そんな空汰の隣も駆けていく小狼に、空汰は驚きの声をかける。
「お帰りー小狼ー! どうやったー? またいそいで」
「さくらの羽根がひとつみつかったんです!」
「ほんまか!?」
足を止めず言う小狼に、空太と嵐は嬉しそうに微笑んだ。
部屋に着いた小狼は靴を脱ぎ捨て、サクラの元にすぐ膝をついて、彼女に羽根を翳した。
すると羽根は吸い込まれるように彼女の身体へ入っていく。小狼が目を覚ましてくれと願い、サクラの手をぎゅっと握る。
そしてサクラがゆっくりと、静かに目を開いた時、小狼は嬉しそうに名前を呼んだ。
「さくら!」
「…………あなた、だあれ?」
眠たそうなサクラの言葉に小狼は、ゆっくりと、そっと静かに手を離す。
その様子を澪達は扉から見ていた。
小狼はぽつりと何かを言いかけ、下唇を噛み締めると結局何も口にすることはなく、弱々しく、寂しげに微笑んだ。
「おれは小狼。あなたは桜姫です。
どうか落ち着いて聞いて下さい。あなたは他の世界のお姫様なんです」
「他の…世界?」
ぼんやりと寝起きのサクラは首を傾げる。窓の外は暗く雨が降り始めていた。小狼の優しげな声が続く。
「今あなたは記憶を失っていて、その記憶を集めるために異世界を旅しているんです」
「…1人で?」
「いいえ。一緒に旅をしている人がいます」
淡々とした小狼の言葉。まだ眠たそうなサクラは質問を繰り返す。
「…あなたも…一緒なの?」
「はい」
「…………知らない人なのに…?」
それは大切な小狼を傷つける言葉。部屋の入口で聞いていた澪の方が泣き出しそうな表情を浮かべていた。
当の小狼は一瞬だけ影を落とすが、また弱々しく、それでも彼女のために笑う。
「……はい」
そのとき静かにファイが動いた。彼は小狼の隣まで歩む。
「サクラ姫はじめましてー。ファイ・D・フローライトと申します。彼女は…」
「私は澪。初めまして!」
暗い表情をにっこりと笑顔に変えて、澪はサクラのすぐ隣にぺたりと座り込み、彼女の手を握る。
澪の笑顔に、まだまだぼんやりとしているサクラはそれでも微かに笑みを浮かべていた。
その時、ファイの手が小狼の肩を優しく触れる。ゆっくりと立ち上がった小狼は俯きながら部屋を後にしていく中、他の旅の面々がサクラへと自己紹介を続けた。
「で、こっちはー」
「黒鋼だ」
「で、このふわふわ可愛いのがー」
「モコナ=モドキ! モコナって呼んでっ」
そしてそれぞれに自己紹介を済ませたその後、サクラをモコナに任せ、ファイと黒鋼は窓際に立ち、雨に打たれている小狼を眺めていた。
俯いた彼は降り出した雨に打たれ、静かに佇んていた。
「泣くかと思った。あの時」
小狼の背中を見ながらファイが呟く。黒鋼は黙ってファイの言葉を聞いていた。
「サクラちゃんは小狼くんの本当に大切なひとみたいだから…。
だからこそ『だれ?』って聞かれた時、泣くかと思った。 今は…泣いてるのかな?」
「さぁな。けど泣きたくなきゃ、強くなるしかねぇ。何があっても泣かずにすむように」
「うん…。でも、泣きたい時に泣ける強さもあると思うよ」
ファイと黒鋼の巧断が小狼の側でその大きな身体で、冷たい雨から小狼を包み込むように守る。
黙ってみていたファイと黒鋼が小狼の側に寄る影に驚きの表情を見せた。
「……あの餓鬼」
小狼の側に。傘も持たない澪が彼と同じように雨に濡れながら、小狼の背に自身の背を合わせていた。
†††
「澪……さ…ん」
「小狼くん、敬語。私にはタメでいいよ」
「………」
澪は雨を凌ごうとしてくれているファイと黒鋼の巧断を見上げながら、小狼の顔は見ないようにしながら、明るそうな声を背中の小狼へとかけた。
「私、邪魔?」
「…いいえ」
「………本当は。私もサクラちゃんの側にいようと思ったの。
でも、どうしても。小狼くんが気になって。1人でいる小狼がなんだか嫌で…、ごめんね」
小さく謝罪を告げる澪。彼女は後ろを見ないまま、小狼の強く握られた拳に手を重ねた。澪の洋服のポケットからはにゃんくんが顔を出し、澪の顔を見上げていた。
「私は何もしないでここにいるから。邪魔だったら言ってね」
「………ありがとうございます」
小狼はそう呟いて。澪は微かに顔を歪ませたまま、静かに。小狼の気が落ち着くまでずっとそこにいた。
何もせず。ただ黙って。微かに震えた小狼と背中合わせたまま。ずっと。