浮かんでいる球がだんだんと増え、澪達の周りを高速で回る。
雨は止む事は無く、それどころか強くなりはじめていた。
「あんなに早く動く上に、ぶよぶよ変形されたんじゃな」
「わ、私、どうしたらいいです?」
「澪ちゃんはもうちょっと黒みーのとこで我慢しててね」
おろおろと心もとない足場で立ち尽くす澪にファイは笑い掛ける。
黒鋼は黙ったままだったが、出来る限り澪に酸の雨が当たらない様に身体を傾ける。
秘妖が思いだすかのように、そして懐かしむように言葉を零す。
『ここまで耐えた人間は童共と過去戦ったことのある、この蓮姫の女秘術師だけだ』
「それって春香ちゃんのお母さんかな?」
棒を抱えたファイが問いかける。秘妖は何処か悲しげに言葉を続けた。
『そういう名前の娘がおると言っていたな。
この国に真に必要なのは、あの馬鹿な現領主達ではなく、童共やあの女秘術師だろうが…。
今私はここから出られぬ身。理不尽にも、私を意のままに操ろうとする者の身の程を弁えぬ令を聞かねばならん』
秘妖の言葉に、澪は険しい表情を浮かべる。秘妖自身もここで澪達の妨害をするのは望んではいないのだ。
半ば諦めるかのように瞳を閉じた秘妖は細く可憐な指を左右に振るう。途端に今まで穏やかだった岩の下の湖でさえも大きな波となる。
『名残惜しいが童共、そろそろお別れだ』
大きな波の壁が澪達の周りを包み込んだ。
それは全てを飲み込み、跡形も無くそうとするほどの、澪達を確実に溶かし尽くすであろう波だった。
「わー。これ最大のピンチとか言うやつかなぁ」
「ふぁ、ファイさん、言葉がとっても軽いです!」
「まぁ、このままあれ食らったら死ぬだろうな」
「えーっと、それは困るかもー。オレとりあえず、死ねないもん」
黒鋼の言葉に、ふわりといつもの様に微笑んだファイ。優しげなファイの表情に澪は目を向ける。
「……死にたくねぇのに、この状態になっても魔法とやらは使わねぇか」
「うん。ごめんねぇ」
「…俺にゃあ関係ねぇがな」
黒鋼の追求しないという言葉に、ファイは仮面の笑顔を張り付け、笑う。
「黒みーは?」
「俺も、こんな所では死なねぇ。 帰らなきゃならねぇからな、日本国に…。
白まんじゅうは、あの姫の羽根が見つかるまでは移動しねぇだろ。だったら、さっさと済ませて次の世界ヘ行く」
「俺もあんまり1カ所にはいたくないからねぇ」
「なんでだ?」
黒鋼は軽く理由を問う。ファイが笑いながら答えた。
「…元にいた国の水底で眠っている人がもし目覚めたら、追い付かれるかもしれないから。
俺は逃げなきゃならないんだよ、色んな世界を…」
黒鋼は無言でファイを見た。澪が2人の男を見比べる。
「わ、私もまだ死にたくはないです。怖いですし……」
ふると肩を震わせた澪にファイは微笑みを向ける。
「大丈夫、澪ちゃんは絶対守るよ。――黒様が」
「また俺かよ!!」
「俺も守るけどね。澪ちゃんの事」
そんな言葉を聞いて澪は安心したように笑みを向ける。内心では未だ死の恐怖は薄れてはいないが笑っていないと恐怖で膝が折れてしまいそうだった。
そこで秘妖が3人に問う。
『最後の話は終わったか?』
「…最期じゃないですからねっ?」
「さーて。どうしようかー」
「…おい」
黒鋼の呼びかけに澪とファイが視線を向ける。
『では…さらばだ』
波がついに澪達に向かって襲い掛かって来ると、波の間を抜け、ファイが秘妖目掛けて飛んで来るのが見えた。澪と黒鋼は波の間に残されたままだ。
『死に急ぐか童よ』
しかし彼の背中から突然黒鋼が現れた。ファイはただの目隠しだったのだ。
『何!?』
おとりに近かった彼の背を踏み台として黒鋼は秘妖のもとにたどり着く。が、秘妖怪も黒鋼を迎え撃つように、長い爪を黒鋼の胸元へと刺した。
普通なら即死の1撃にも黒鋼はにやと笑う。全てを把握した秘妖は微笑んで黒鋼を見ていた。
数瞬の間が空き、先に動いたのは秘妖だった。
『…なかなかの策士だな』
静かに秘妖が爪を抜くと、その先には何故かマガニャンが深々と刺さっていた。黒鋼の胸元に入れてあったマガニャンが楯となり、黒鋼に怪我は無いようだ。
「俺ぁ、雨が嫌ぇなんだよ。だから、ささっととめろ」
黒鋼が棒を振り下ろし、秘妖の額にある石を勢いよく割ると、周りの風景が一瞬で元に戻った。
波の間で待っていた澪が周りの波達が消えると共に安堵の息を零し、へなへなとその場に座り込んだ。
「澪ちゃん。大丈夫?」
「は、はい……こ、怖かったです」
駆け寄ってきたファイに伸ばされた手を震えながらも掴んで、ゆっくりと立ち上がる。
その間も黒鋼は秘妖に棒を突き付けながら、威嚇をしていた。
「また妙なこと、しやがったら――」
「あ」
しゃらんと優雅な音を立てながら、秘妖は黒鋼に近寄ると、突然、黒鋼の頬に口付けした。
黒鋼は青筋を立て、秘妖を睨む。澪はいきなりの事に口を覆って頬を染めていた。
「てめっ! 次は何の術かけやがった」
『今のは礼だ。私はあの石に込められた秘術で、領主に囚われていたのだ』
「それを黒ぽんが、壊したんですねぇ」
頬を赤らめて慌てている澪を横目で見ながら微笑んでいるファイが言う。
『これで私は自由だ。知りたいのは、領主の居場所だったな。この最上階に奴はおる。
1番小さな童は、先に辿り着いたようだな。
…また卑怯な手を使おうとしているな、あのゲスは』