肩に薄い肌掛け布団を掛けたまま、僕はゆっくりと二段ベッドの階段を下りていく。どうしても引き摺ってしまう布団がその辺の物に引っ掛からないように気をつけて、僕は静かに窓の方へと向かう。
僕達の部屋の窓からは寮の外側にある海が見える。どこまでも続いていく海は、どこまでも続いていく空みたいで、最近の僕はここからの眺めをよく見ていた。

ちらりと見たベッドの下の階。カーテンはいつものように固く閉ざされたままだ。様子は伺えないけれど、きっと眠っているであろうアズールくんを起こしてしまうわけにはいかない。僕はより一層気配を消して、窓際へと向かう。

窓に触れられる距離まで来た時、僕はマジカルペンを軽く振るって、僕が包み込まれるだけの大きさの、水で出来た透明な箱を作り上げた。
箱の中に閉じこもって窓の外の海を眺めながら、短く息を零した僕は小さな小さな声で歌を口ずさむ。

僕は、僕が作った巣箱の中で、小鳥の囀りを続ける。


†††


喉が渇いて目が覚めた。深海で暮らしていた時には決してなかった感覚に、アズールは顔を顰めながらも、その不愉快さ故に完全に目が覚めてしまっていた。
ベッドの上で瞬きを繰り返していたアズールだったが、諦めのように溜息をついて身体を起こす。

上で眠っているであろうリベラを起こさぬように静かにベッドのカーテンを開けて、水を飲みに行こうと立ち上がった時、彼は窓際に出来ていた水の箱に気が付いた。

そして、揺らめく水面の壁の先、水属性の防音の壁の先、身体を小さく縮こませて体育座りをしているリベラの姿に気が付いてしまった。

目を閉じているリベラはアズールのことには気が付いていない様子で、揺らめく箱の中、一定の間隔で口を動かしていた。
歌っている。アズールがそう思った時にはアズールはリベラの聞こえない歌を聴こうと、喉の渇きも忘れ、リベラの姿を見つめてしまっていた。

リベラの背景にはアズールの慣れ親しんだ海。そして水の箱の中で歌うリベラも、海の中で暮らしているかのようだった。

アズールはそんな光景に思わず近付いていき、手を伸ばしていた。
そっと水の壁へ手を触れさせると、目を閉じていたリベラの視線がはっとアズールに向いたかと思うと水の壁は弾けるようにして消えていった。

「わぁ。アズールくん。驚いたなぁ」

結局アズールはリベラの歌を聞かずじまいに、いつものように能天気ににこにこと笑うリベラに出迎えられた。
先程までの瞳を閉じて大人しくしていたリベラの姿は既に無く、肩にかけた布団を落とさぬように慌ただしく手で押えていた。

リベラをじとと見つめたアズールが静かに疑問を口にする。

「…眠れないのですか?」
「ううん。ちょっとした息抜きさ」

微笑みを浮かべたままのリベラはアズールの言葉にあっさりと答える。アズールの視線はリベラに向けられたままだった。

「鼻が赤いようですが」
「流石に窓際は冷えるみたいだね」
「何時からそこに?」
「そんな長い時間じゃないよ」

言葉の応答はかなり早かった。だからといって被せてくる訳でもなく、口早になっている訳でもない。リベラの浮かべる笑顔もいつもの無害そうな笑みだ。
だが、猜疑心の人一倍強いアズールはリベラの言葉の端々に違和感を覚えてしまう。

眠れないのかという問いは否定した。だが実際にリベラは眠っていない。就寝時間からは大きく過ぎており、実際にアズールは既に数時間は寝たあとの時間帯だ。
起きていたのは何時からなのだろう。長い時間ではないと言うが少なくとも寒さで鼻に赤みをさすほどの時間ではある。
事前に肩から布団をかけて、防音魔法を使って。長い時間居ることを想定していたようだし、アズールが見つけなければまだまだここで歌っていたであろう。

そしてこれは、今日だけに限った話なのだろうか。以前にも、こうやって夜を過ごして居たのではないだろうか。

思考を重ねるアズールの前、彼の思考をかき消すようにリベラは小首を傾げてアズールを見上げ、問い返す。

「アズールくんはどうしたの?」
「喉が渇いただけです」
「そっか。冷蔵庫の中に檸檬水があるから、良かったらどうぞ」
「……いただきます」

一瞬、悩むように顔を顰めたアズールが短く息を吐いて冷蔵庫へと向かう。コップに檸檬水を注いだ彼は、振り返って再びリベラの姿を見る。
リベラはまたぼんやりと窓の外を眺めているようだった。が、アズールの視線が自身に向いていることを悟ると、またふにゃりと気の抜けるような笑みを浮かべて見せた。

「…そちらへ座っても?」

檸檬水を片手に持ったまま、アズールも確認をとって窓際へと向かう。リベラは一瞬だけきょとんとした顔を見せたあとに嬉しそうな顔を浮かべていた。

「もちろん、どうぞ」

リベラが少し端に避けて出来たスペースにアズールは座る。
にこにこと嬉しそうにアズールを見つめるリベラに、アズールは怪訝そうな視線を返した。

「なんです」
「…ううん。アズールくんが素直に僕のものを受け取ってくれて嬉しいってだけさ」

そう言って、リベラはアズールが手に持った檸檬水を示す。思い切り顔を顰めたアズールはまさにその対価がネックで冷蔵庫の前で悩んでいたのだが、流石に背に腹は変えられなかったようだった。
にこにこと微笑むリベラの横、厳しい声でアズールが言い切る。

「対価は明日お支払いいたします」
「え、いや、んんん…、僕は余計なことを言わなきゃよかったよ」

にこにこと浮かべていた笑顔を、困惑に変えて。そしてリベラは少し悩んだ素振りを見せた後に、はたと顔を上げた。

「そうだ、なにか対価をと言うのなら、もう少しこっちに来てくれると嬉しいな」

リベラの言葉に一瞬疑問を浮かべるアズールだったが、リベラの示す通りに少し近付くと、リベラは肩に掛けていた布団を広げて、アズールの肩にも掛ける。
深海で暮らしていたアズールがこの程度で寒さを感じるわけはないのだが、リベラには大した問題ではないようで、にこにこと笑いながら布団を分け合っていた。

「僕は寒くありませんけれど」
「僕がキミで暖をとるためだよ」

無害そうに頬を緩めるリベラに、アズールは顔を顰めたままだ。
そしてそこで軽く触れたリベラの肩が確かに冷えきっていることに気付いて、アズールは先程の質問をもう一度繰り返した。

「……何時から起きていたんですか」
「ちょっと前だよ」

リベラはまた軽く返答をするだけだった。
呆れた視線を見せたアズールが今度はきっぱりと言い切る。

「あなたは嘘が下手ですね」
「あはは。そうかもねぇ」

なんてことが無いように、からりと笑ったリベラは誤魔化すように窓の外を見つめ、少ししてから言い訳のように言葉を零す。

「僕は星空が好きなんだ。だから、小さい頃から良く夜中に寝床を抜け出して星を見てた。
 毎晩毎晩、違う星が見えて、全部全部、止まって見えるのに、本当はゆっくりゆっくり動いていて。
 ずっとずっと眺めてられた」

引き寄せた自分の膝に顔を埋めるリベラは、窓を見つめてゆっくりとした瞬きを繰り返していた。

「でも、ここからじゃ星は見えないんだ」

恨めしそうにそう言うリベラはじっと水槽を見つめている。
だがリベラはその先にある筈の星空を眺めようとしているようだった。

アズールもリベラと同じものを目で追い、どこまでも続く、彼にとっては見慣れた光景に短く溜め息をつく。

「海は嫌いですか」

人魚であるアズールの言葉を聞いてリベラが勢いよくアズールの方へと向いて、その勢いのまま首を左右に振る。

「違うよ。海もとってもとっても綺麗だと思う」
「あまり慌てると嘘っぽいですよ」

呆れ顔のアズールに、リベラは困惑の表情を浮かべて、なにかを言おうとして口をぱくぱくとさせる。
そんな、鳥そのもののような、そして魚のような仕草を見て短く笑ったアズールは、再び呆れたように溜め息をついてリベラの方へとまた少し寄って窓の先を指さした。

「あそこの砂に、半分隠れている魚が見えますか?」
「うん。あの小さくて四角い子?」

同じものを指さしたリベラに、アズールは短く頷いてから言葉を続ける。

「あれはウミスズメと言います。小さいながらにも毒を持っています」
「え? 僕の知ってるウミスズメはお魚じゃなくて鳥だよ?」

リベラはきょとんとアズールの横顔を見て首を傾げる。リベラが思い浮かべているのは海の上を浮かんで過ごす鳥のことだった。
海と陸に存在する同じ名前の生き物に、リベラは目を輝かせて、再び目の前のウミスズメに視線を向けた。

「えぇ、どちらが先に名付けられたのか知りませんが、随分と適当な話です。
 腹が半透明になってまして、小さい頃は海の中に差し込む光に透かして遊んでいました」
「ふふ。それはきっととってもとっても綺麗なんだろうね」

表情を和らげて微笑むリベラは、目の前を優雅に泳いでいった青色の魚に視線と興味を向けた。

「ねぇ、ねぇ。じゃあ、あの青色はなぁに?」
「ナンヨウハギでしょうか。お喋りが好きな口煩い魚達ですよ」

横を流れていった特徴的な青と差し色の黄色を見送りながら、リベラは海の中を眺めて、あれは?あれは?と子供のように質問を繰り返す。
アズールはリベラの視線と指先を追いながら順番に答えていく。海の中で暮らしていたこともあり、答えられないものはない。

窓に手を付いて、夢中になって海の外を眺めるリベラに対して、アズールは少しだけ目を細めたままリベラには聞こえるようにぽつりと呟いた。

「海も悪い所ではありませんよ」
「……うん。そうだね」

静かにそう答えたリベラは、隣のアズールに視線を向けて、小さく儚げに微笑んだ。


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