朝の支度を終えて制服姿のまま僕はベッドの上に寝転がる。枕をぎゅうと抱きしめて、顔を埋めながら、どうしてもほっぺたが緩んでしまう。
昨日の夜は本当に楽しかった。ずっとずっと海の中をアズールくんと一緒に眺めて、気付いた時にはアズールくんは先に眠ってしまって、悪いことをしたなぁとは思ったけれども、僕は本当に本当に楽しかった。
ぼんやりと眺めてた沢山の『なにか』達が、アズールくんに説明してもらってひとつひとつ意味を持っていく。
それまでは海の中は、正直少し怖くて、調べる気にもならなかったのに、アズールくんは時々海に居た時のことを思い出すように、小さく笑いながら教えてくれるから、本当に海が好きなことが伝わってきて、なんだか僕も嬉しくなってしまって、知らなくても興味の無かったもの達が急に不思議に思えてきて、ずっとずっと一晩中でも眺めていられた。
ただ、あんまりにも僕が長いこと見ていたから、アズールくんの方が先に眠たくなってしまったみたいで、気付けばこてりと頭を傾げて眠ってしまっていた。
その時、初めて申し訳ないことをしてしまったと思ったし、でもそれと同時に、僕と一緒に星空を眺めるけれども、毎回、僕より先に眠ってしまう兄サマに重なって見えて、僕もちょこっと笑ってしまった。
眠ってしまったアズールくんを起こさないように魔法で彼のベッドに運んだあと、僕はアズールくんから教えてもらった魚達や海藻達を忘れないように何度も頭の中で繰り返した。きっと僕は昨日の夜のことは忘れないだろう。それくらい楽しかった。
ベッドの下の階。アズールくんが起きた気配がして、僕はぱっと枕から顔を離して身体を起こす。ベッドでごろごろして、乱れてしまった髪を軽く手櫛で整える。
静かに下の気配を伺っていると、少ししてまだまだ眠たそうなアズールくんが姿を現した。
「オハヨウ、アズールくん」
僕は上から声を掛ける。僕の声に反応したアズールくんはすぐに上を向いて、呆れたような顔を浮かべていた。
「……早いですね」
「ちょっと前に起きたばっかりさ」
僕はまたそうやってさらりと嘘を吐く。これはもう癖になってしまっていて、僕から外れてくれはしない。
アズールくんは疑うような目を僕に向ける。アズールくんはきっと僕の嘘にはすぐに気付いている。でも、指摘はしない。だから、僕もすぐに甘えてしまう。
ベッドの階段を降りながら、にこにこ笑ってると、アズールくんは短い溜息だけをついていた。ほら今日も僕はキミに甘えてしまった。
「昨日はありがとう。僕、とってもとっても楽しかった」
着替え始めたアズールくんを見ないように、僕は奥のお部屋の冷蔵庫の辺りに向かいながらお礼を告げる。
冷蔵庫から缶珈琲を取り出して飲んでいるとアズールくんの声だけ聞こえてくる。
「まぁ、あなたのことですから僕が教えたこともすぐ忘れるでしょうね」
アズールくんは軽い口ぶりでそう言う。そして僕の口がきゅうと硬く結ばれる。
僕からアズールくんが見えないように、アズールくんからも僕のことが見えない位置で良かった、と思った。それくらい僕はきっと酷い顔をしていただろうから。
わすれないよ。昨日のことは絶対に忘れなんかしない。そう言おうと思うのに僕の口はいつものように軽い感じで開いてはくれない。
僕についてしまった癖が何でもよく覚える僕の像を否定する。喉の奥がぴりぴりと痛いような気さえしてくる。
どうしようもなく言葉に詰まっていると、アズールくんの声が続いていた。
「ですが、あなたが忘れてしまったのなら、また教えてあげますよ。この僕の、海のような広い、慈悲の心で」
ぱちぱちと瞬きを繰り返した後に、僕は少しだけ顔を覗かせてアズールくんをちらりと見る。
スラックスとワイシャツ姿のアズールくんは、僕の方に背中を向けて、袖口のボタンを留めている最中だった。
僕はアズールくんの背中を見つめながら、ゆっくりと聞き返す。
「本当? また僕と一緒に海を見てくれるの?」
僕の声は僕が思っているよりも小さな声で出た。不安そうな声は僕らしくなくて、それがなんだかとってもとっても嫌だった。
でもアズールくんはそんな僕の些細な事なんか気にしないで、えぇ、と短く返事をしてくれる。
「もちろん、対価は頂きますよ」
「……うん。僕が用意できるようなものなら、用意するよ」
僕はふにゃふにゃに緩んでしまった頬を抑える。アズールくんはなんてこともないようにそう言うけれど、対価が必要だって言うけれど、昨日みたいなとってもとっても楽しかったことが対価もなしに叶えてくれるだなんて、そんなことあっちゃ駄目だ、って僕だってそう思う。
「絶対だよ、アズールくん。絶対だからね」
僕はずるいから、キミがまたあの海のキラキラを教えてくれるというのなら、何度だって忘れたふりをしてしまうだろう。
対価を払えば叶えてくれるというのなら、僕は、僕が出来ることならなんだって用意するから。
僕は何度だって海のお話をしながら笑ってるアズールくんが見たい。
途端ご機嫌になった僕は、跳ねるようにスキップしながらアズールくんの隣に並ぶ。どうしようもなく頬は緩んだままだから、にこにこと僕はアズールくんを見上げる。
でもアズールくんは僕を変なものを見るような目で見る。もう! 嬉しいことを言ったのはアズールくんなのに、そういうところには全然気付いてくれないんだから。
「ほら、アズールくん。朝ご飯を食べに行こうよ。僕、とってもとってもお腹が空いてしまったんだ」
アズールくんの手首辺りを掴んで僕は歩きはじめる。待ちなさいと声を掛けるアズールくんも、それでもすぐに僕と並んで大広間に向かい始める。
アズールくんの方が歩幅は広くて、僕はちょこっとだけ歩みを早めて追いかける。
掴んでいた手も、いつまでも掴んでいたらおかしいから、惜しいけれどもすぐに手放してしまった。