風が吹く。僕の髪が風に乗ってそよそよ揺れる。うん、今日の風も心地よい。
今日は午後から飛行術の時間がある。流れる風の香りを嗅ぐに、暫くは雨も降らなそうだし、絶好の飛行日和になるはずだ。
空は大好き。
何も考えないで、流れに逆らわないで、風の赴くままに飛ぶのがいい。
そうして風に乗りながら、少しだけ意識を向けると、僕はどこまでもどこまでも好きな場所へ行くことが出来る。
上に行くにも下に行くにも。前も後ろも。自由自在。全部全部、僕の思い通り。
もしも、僕の翼が取り上げられてしまったら?
…あぁ、なんて、恐ろしいことを考えてしまったのだろう。
僕から翼が無くなってしまうことがあったとしたら、そんなありえない事がもし起きてしまったとしたら、きっと、僕はいとも簡単に鳥籠の中で死んでしまうのだろう。
†††
広い運動場の端で、リベラ達1年C組と隣のD組がそれぞれに箒を持って待機していた。箒を抱えきらきらと目を輝かせているリベラは耐えきれなかったように思わず声を零した。
「飛行術!!」
「うるさーい」
突如として叫びだしたリベラに、合同授業で一緒になったフロイドは耳を塞いで険しい顔をしている。
リベラは箒を握ったまま片手で自分の口元を隠す。だが次には口元を抑えたまま、堪えきれなかったようで短く笑い声を零していた。
「ごめん、ごめん。僕はこの授業がとってもとっても楽しみだったんだ」
箒を手にしたリベラは教師であるバルガスの話を聞きながらも早く飛び立ちたくて始終うずうずとしている様子だった。
今までも数回バルガスの授業はあったが、どれも体力作りばかりで、リベラ達にとって今回が初めての飛行訓練だった。
そうして、一通りの説明が終わり、1年生達が徐々に箒を手にし始めた時、リベラは一番乗りで箒に跨っていた。
他の生徒が箒に跨り、軽く浮く感覚を学び始める中、リベラは真っ先に上空へと飛び上がっていた。
軽々と飛び上がったリベラは髪を靡かせて、心地よさそうに目を細める。
箒に跨ったリベラは箒から手を離して器用にバランスを取り、翼のように左右に広げ、感心の視線を向ける同級生達の上をくるくると優雅に飛んでいた。
下ではアズールとフロイドも同じく飛び回るリベラの姿を眺めていた。
「うっわ、何あれ。めっちゃ飛んでくじゃん」
「確かに鳥の獣人とは聞いてはいましたが…」
微動だにしようとしない箒を抱えながら、アズールとフロイドは苦い顔を浮かべる。彼らはついこの間陸上で歩き始めたのだ。空を飛ぶにはまだ早すぎる。
「おーい! 帰ってこい! フィンチ! 飛びすぎだ!」
「ハーイ!」
少し経った時。バルガスからの声がかかり、軽々とフロイドの元へと戻ってきたリベラは地面が近付いてきたところで、箒からひょいと飛び降りて華麗に着地をする。アズールはリベラとフロイドとは少し離れたところで練習をしているようだった。
生き生きとした表情を見せているリベラは、反対に渋い顔をしているフロイドを見上げた。
「どうしたんだい? 元気がないように思えるけれど」
「あんね、オレらまだ陸に上がってちょっとなの。それなのに魚に空を飛べって言うの? やる気でねー」
フロイドの言葉に首を傾げるリベラ。
「魚?」
「そ。オレ、人魚だから」
「そうだったの。なるほど、僕も急に海を泳げと言われたら無理だなぁ」
ふむふむと短く頷いて見せるリベラにフロイドは視線を向けて、怪し気にニマと笑顔を浮かべた。
「なぁに? トビウオちゃん、泳げないんだぁ」
リベラに突然トビウオのあだ名をつけたフロイドはとろりとした声で語り掛けて、怪し気に笑う。
リベラも不意につけられたあだ名にきょとんとした顔をしてから、笑うフロイドに合わせてにこりと笑った。
「トビウオちゃん? 僕?
…あぁ、うん。僕は鳥だからねぇ。海の中ではきっとそのままぶくぶくと沈んで行ってしまうだろうね。
でも、こういうのは適材適所って言うんだろう?」
リベラは空へと手を伸ばす。リベラにとってはそれは最も身近な場所だった。
「僕の海は空だったってことで」
「…ふぅん」
リベラの表情を見下ろしながら呟き返したフロイドは、次にはにぃと笑みを浮かべて、首をこてりと傾げた。
「ねーぇ、トビウオちゃん。オレにもやり方教えて」
「もちろん」
にっこりと笑ったリベラは心底嬉しそうだった。フロイドの前に立ったリベラは自身が持った箒の手元をフロイドへと見せる。
「ほらまず箒はこう持った方がやりやすいよ。地面に置いてから始めてもいい」
ぴょんぴょんと跳ねるように今度はフロイドのすぐ隣に立ったリベラはひょいと箒に跨って#アドバイスを続ける。
「背筋は伸ばして。箒はしっかりと握って。でも、力んではいけないよ。
視線は目標、すなわち空へ」
リベラとフロイドの視線が空へと向かった。リベラがにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「あとは、思いっきり!」
リベラの小さな手がフロイドの背中を軽く押す。途端にフロイドの足は地面から離れ、彼はみるみるうちに上空へと飛び上がっていた。
近くで箒に跨っていたアズールが急激に飛び上がっていったフロイドへと視線を向けて大きめの声を上げる。
「ふ、フロイド!? どうやってそんなに上昇を!?」
「アハハハ、トビウオちゃんにコツ教えてもらったー!」
「ほら! よそ見をすると落ちてしまうよ!」
声をかけながらフロイドと同じ高さまで上昇してきたリベラは飛びまわるフロイドについて旋回する。きっとフロイドには口煩く言ってしまうと逆効果になるため、リベラは彼のセンスに任せて、時折箒が不安定そうに揺れた時だけ軽く言葉をかけていた。
そうして少しだけ言葉をかけたリベラは先程と同じように軽々と箒を操り、心地良さそうに風を感じていた。
ふわりと旋回した後、空中で停止をしながら、箒の上から地上を見つめるリベラ。
リベラの視線が地上付近で努力を重ねているアズールに向けられていることに気が付いたフロイドは、箒の柄を握りしめて横に並んで問いかける。
「アズールには教えてやんねーの?」
声をかけられてふと気が付いたように視線をフロイドに向けたリベラは、眩しそうに目を細め、小首を傾げるようにして微笑みを浮かべた。
「教えたいよ、本当は。彼にも、僕が大好きな空に早く触れてほしいもの。
でも、きっと彼は誰かに教わるのは嫌いだろうから」
「なんでそう思ったの?」
フロイドは箒をぎゅうと掴みながらリベラの横顔を見る。目を細めたままのリベラは下にいるアズールを見つめながら言葉を零した。
「なんで。…なんでだったかな。忘れちゃったよ」
短く笑ったリベラ。フロイドはじっとそんなリベラの顔を見てから、言葉を返そうと口を開いた瞬間。フロイドの乗っていた箒が急に思い出したかのように重力を取り戻していた。
「うわっ、おちるー」
「うわっ!? 待って待って落ちないで!?」
隣人が落ちていったことに、リベラは慌ててフロイドの姿を追いかける。2人は既に地上からはかなり上昇してしまっている。このまま地面に落ちれば軽傷では済まないだろう。
落ちていくフロイドに片手を伸ばして、彼の運動服を力強く捕まえるリベラ。だが、体格差もあり高身長のフロイドを捕まえておくことは出来そうにもなかった。
フロイドが落下しきる前に、彼の下に入って自ら緩衝材になるつもりでリベラが地面に加速し始めた時、突如としてフロイドの身体が再び浮力を取り戻した。
地面に向かっての加速を始めたばかりだったリベラの箒が急停止する。
必死の表情だったリベラの横で、当のフロイドは突然の急降下をアトラクション程度にしか思っていないのか、けらけらと楽しそうに笑っていた。
「これ、面白いねー」
「き、気に入ってくれたのはとってもとっても嬉しいよ…」
口から飛び出しそうな程煩く鳴っている心臓。リベラは胸元をぎゅうと抑えながら、楽し気に笑うフロイドをみて、次第につられるようにして笑みを零した。