気付けば2月に入り、バレンタインデーが訪れました。
いつものように薬草棚のストックを確認してから、生徒達の間で他愛もないお話をしていたその時。
バーンと大きな音をたてて開いた扉を見ると、自分の身の丈以上の花束を持った小鬼が現れ、クラス中が唖然としてそれを見つめてしまいました。
「騒がしいぞ」
扉を開けた音があまりにも煩かったのでしょう。スネイプ先生がふらりと自室から出てきました。
私は目をぱちくりとさせたまま、ふらふらとこちらに近づいてくる小鬼を指さします。
スネイプ先生の表情が一気に疲れているかのようなそれに変わりました。
今日はバレンタイン。ということで、ロックハート先生が企画の元、この小鬼達が学校中を巡回していたのでした。
まさか地下牢教室にまで訪れるとは思わなかっただけに驚きが倍増されます。
小鬼は私の目の前まで来るとキーキー声で話しだしました。
「麗しのリク先生! 貴方の親愛なるロックハート先生より、お花の贈り物です!」
「あ、ありがとうございます…」
呆気には取られてしまいましたが、受け取った大きな花束は色とりどりで。私の頬が自然と緩みます。
出て行った小鬼を見送って、私は花束を抱えながらスネイプ先生を見上げました。
「ふふ。バレンタインデーにお花を貰うなんて久しぶりです」
「我輩を見るな」
「別に他意はありませんー」
もとより、スネイプ先生がバレンタインだからといってお花をくださるとは思ってはいませんからね。
「教科書78ページ。強化薬の続きだ」
時間になった瞬間にいつものように授業を始めるスネイプ先生。
生徒達が慌てて教科書を開く中、私は花束を抱えたまま教卓の前から離れます。
「花瓶をとってきます」
「あとにしろ」
「お花が萎れてしまったら嫌ですもん。すぐ戻りまーす」
教科書から視線を上げずに、釘を刺すように厳しい声をかけるスネイプ先生。ですが、私は彼の言葉をひらりとかわして一旦部屋へと戻りました。
そしてすぐに花瓶をとって教室に戻り、黒板の邪魔にならないように気を付けつつ、鼻歌交じりに花瓶に花を咲かせていきます。
杖で黒板に文字を書き終えた後のスネイプ先生の極寒の瞳が私に向けられます。ですが、それには一切気が付かないふりをして、にっこりと笑みを見せました。
舌打ちを零したスネイプ先生が苛々としたように口を開きます。
「自室に飾りたまえ」
「確かにここは相変わらず、お花が似合わない教室ですね!」
「わかっているのならば、片付けろ」
「怖い顔してますよ? お花が似合いませんよ〜?」
私達のやり取りに、思わず吹き出してしまったであろう生徒を、スネイプ先生は非情にも10点減点してしまったのでした。
†††
『スリザリンの継承者』の新たな犠牲者が出ずに平穏な日々が続いていました。ホグワーツ城の中は僅かにですが、明るいムードが戻ってきていました。
マンドレイクもあと少しで2度目の植え替えの時期になるそうで、それは犠牲者達が元通りになる日も近いことを示していました。
そんな中、私はここ数日、突如発生する頭痛で目が覚める、というのを繰り返していました。
痛みに頭を抑えつつ、飛び起きた私は、するするとベッドの上に上がってきたフェインの頭を優しく撫でます。
慢性的になりつつある痛み。心配そうに私を見上げるフェインに、私は微笑みかけました。
フェインは短く、威嚇するかのように鳴いて、私の枕元にある黒い日記を、べしべしと尾で叩いていました。
私はくすくすと笑ってから、日記を守るように手を伸ばします。フェインは私の頭痛の原因を知っているのです。
「彼を何処にも連れて行かないでくださいね、フェイン」
そう言うと、フェインは心底不機嫌そうな声を零します。そんな彼を宥めるように小さな額にキスをしました。
まだまだ起きるには早い時間ですが、私はベッドから立ち上がり、着替えます。
静かに地下牢教室に入り、ちらりと奥にあるスネイプ先生の部屋を見ます。
調合やお掃除をして煩くしてしまったら、きっと彼を起こしてしまいます。私はフェインを肩に乗せて朝のお散歩に出ることにしました。
ハンドバックの中に黒い日記も入れ、私は静かに教室の扉を開き、まだ静けさが残るホグワーツを歩き出します。
地下牢教室から出て、階段を上がって行き、廊下を進み、新たな螺旋階段を上へ上へと向かっていきます。
壁の絵画の住民達もまだ眠っている中を静かに歩いていきます。2月の寒さが身にしみます。もう少し厚着をしてくるべきでしたと僅かに後悔しながら、フェインが冷え切ってしまわぬように、ポケットに移動させます。
そして訪れたのはホグワーツで1番高い天文台の塔でした。
ここは、前、ダンブルドア校長先生がいなくなってしまった場所でもありました。
吹き付ける風に髪の毛が流れて、私は髪を耳にかけます。遠くに見える禁じられた森を見つめていると、ポケットからフェインが顔を覗かせました。
物語は今年を含めるとあと6年も残っています。その中で、死んでしまう人達がいます。
私にはこんな小さな手しかありません。全てを助けることなんて、出来ないのです。
それは前回、わかってしまったはずでした。でも、それでも。
「……ふふ。私はやっぱりリドルくんにもずっと傍にいて欲しいです。
『彼』だけではなくて、リーマスさんにもトンクスさんにも、シリウスにも、ダンブルドア校長先生にも、ヴォルデモートさんにも。
それに、ディゴリー先輩にも」
言ってしまってから、私は小さくクスクスと笑ってしまいました。
ディゴリー先輩は、『先輩』ではなくて私よりも年下になってしまったのですから。
「今度こそ、守れるでしょうか。全部。全部。何もかも」
手すりに手を乗せて、私は白み始めた空を見つめます。ポケットから顔を覗かせたフェインが嬉しそうな声で返事をしてくださいました。
その時、またずきりと頭が痛みを訴えました。咄嗟に頭を手で押さえますが、今回は中々痛みが止まず、足元がふらつくのを感じました。
持ってきていたハンドバックを、震える手で開き、中から頭痛薬を取り出そうとした時、急に感じた目眩に、気が付けば、私は手すりの外を落ちていました。
ひゅっと私の息が止まります。
長く長く天文台から落ちていく中、激しい頭痛で殆ど何も考えられなくなっていた私は、それでも身体を小さく屈めてポケットにいるフェインの身体を包みます。
フェインの長い悲鳴が上がり、私は自らの死を覚悟して、目を閉じました。
そして、地面と近くなったその瞬間。…痛みは訪れませんでした。
薄く瞼を開くと、そこには私の杖を構えたリドルくんの姿がありました。
霞みかかったリドルくんは私の身体をゆっくりと地面に横たえて、私のすぐ側に膝をつくようにして崩れ落ちました。
俯いたままの彼の顔は見えません。それでもリドルくんは小さな小さな呟きを零していました。
「間に合わないかと、思った」
震える声は怯えているかのようで、いつでも自信たっぷりだった彼からは想像もできない声でした。
私は中に積もった雪の上に寝転んだまま、遠くなる意識で彼を見上げます。
「やっぱり、僕はまだ、貴女の傍にはいられない」
やっと見えたリドルくんの表情はとても寂しげで、私は震える手を彼に伸ばします。ですが、それは彼の身体をすり抜けていってしまいます。
微かに微笑んだリドルくんは優しく私の頬を撫でてから、私の鞄の中から黒い日記を持ち出し、歩いていってしまいした。
待って。声にならない言葉が消えていきます。私の頬を涙が伝って雪に落ちます。
ポケットから這い出てきたフェインがおろおろと周りを見回してから、次に、大きく鳴きながら遠くへと這っていくのが見え、次第に私の意識は完全に暗闇に落ちていきました。