「見回りに行ってきます」

はぁと溜息をついて私は辞典をぱたりと閉じてしまいました。
生徒用の机を挟んで対面に座っていたスネイプ先生が、怪訝そうな視線を私に向けていました。彼は私が暗闇が好ましくないことを知っているのです。

「夜の見回りは苦手なのでは?」
「…正直言うと。ですが、今は英和辞典の方が苦手です」

私は辞典の表紙を指で数回つつきます。辞典の隣には私が書き溜めた論文の文章が広がっています。
ひとつ仕上げるだけでも私には一苦労です。これすらも今年中に間に合うかどうか。

苦笑を零して立ち上がるとスネイプ先生もあわせて立ち上がりました。私は一瞬だけそれをじっと見守ります。
いつの日か、就寝時間か近くなった私を送るために、無言で立ち上がり、寮の前まで送ってくださっていた『彼』を思い出します。

ちらりと思い出した過去を振り払って、私はスネイプ先生に苦笑を投げかけました。

「息抜きもしたいのでひとりで行ってきますよ」
「……珍しい」

彼は短くそう言います。私はひとりで地下牢教室の扉に向かいながら苦笑を零しました。

「…。子供じゃないんですから」

ぱたりと扉を閉じて、私は彼から離れます。


†††


杖明かりを極力絞って、私は早足で廊下を歩みます。ホグワーツには沢山の絵画が飾られていて、眠った絵の主達が杖明かりに反応して眩しそうにします。明かりを手で遮って静かに階段を上がっていくと、人の描かれた絵画はない、人の目が本当にない廊下へとたどり着きました。

約束の場所に着いた私は近くをきょろきょろと見渡します。少し目を凝らすと闇の中から真っ黒い犬が近づいて来るのが見えました。
軽く駆け寄り、触れられる距離に向かうと、黒い犬はすぐにシリウスの姿へとなりました。

私はシリウスに白い小さな羊皮紙を渡します。羊皮紙には沢山の言葉が書かれていました。その全てがカドガン卿が決めたグリフィンドール寮の合言葉でした。
フェインが城に張り巡らされた配管を使い、グリフィンドール寮生のベッドまで忍び込んで、盗み出してきてくれたのです。

「カドガン卿はどんどんと合言葉を変えてしまいまして…、これが最近の合言葉のはずです」
「助かる」

シリウスは小さな羊皮紙を握って次にすっと上を向きました。上階にグリフィンドール寮があるのです。私も彼と同じ方向を見て、次に目の前のシリウスを見つめました。

「ピーター・ペティグリューを捕まえたら一旦降りてきてください」
「なんで」
「彼を魔法省に連れて行くためにですよ」

私がそう言うと、シリウスは少し不満そうな顔をしました。私は彼の鼻を軽くつまんで頬を膨らまします。

「絶対。約束ですよ」
「わかった、わかった。離せよ」

じっと彼を見つめてから手を離すと同時に、シリウスは犬の姿へと変身していました。
駆け抜けていくシリウスを見送って、私は再びグリフィンドール寮がある方へと顔を向けました。

数十分、私はそこで待ちました。暗闇の中でひとりで佇んでいました。

少しの間待っていると、上階の方からがたがたと音が聞こえてきました。
ゆっくりと顔を上げると遠く、暗闇の中から黒い犬が駆けてきました。数十分前と同じように黒い犬は私に触れられる距離まで近づくとシリウスの姿となります。
ですがシリウスの表情はさっきとは違って、新聞に載っているような怖い顔をしていました。

「失敗した。見つかった」

殺気立つシリウスの頬に軽く触れて、私は静かに声をかけます。今は彼を逃がさなくては。

「今はひとまず逃げてください。急いで」

私はシリウスに杖先を向けて、口早に彼に目くらまし術をかけます。吸魂鬼には効かない目くらまし術ですが、少しの間、せめてホグワーツ中にある絵画達の目から隠すことぐらいはできるでしょう。
私の目からも見えなくなったシリウス。足元をかけていく感覚だけはあったので、きっと犬の姿となり、廊下を駆けていったのでしょう。

上の階層が騒がしくなっています。私も喧騒の中心に向かって、しいてはグリフィンドール寮に向かって、駆け出しました。


†††


次の日、ホグワーツ中がまた騒然としていました。2度目のシリウスの侵入に、どこもかしこも警戒が厳しくなっていました。

「君は昨日、奴が来るのを知っていたのか?」

昨晩中、城の中を探し続けて寝不足気味の私が欠伸を噛み殺した時、目の前のソファに座ったスネイプ先生がぽつりと声をかけました。
私はぱちくりと瞬きをして、手元にクッキーを呼び寄せてから、すとんとソファに座りました。

「見回り中に急に騒ぎが起きてとっても驚きました」
「………」

スネイプ先生はじっと私を睨むように見ています。私は静かにクッキーを食べるだけです。
先に溜息をついたのはスネイプ先生でした。ぼそぼそとクッキーを食べる私の前に、マグカップが置かれます。彼が再び杖を振るうと、マグカップにはココアが満たされました。

「それを食べたら少し眠りたまえ」
「でも午前中は2年生の授業が」
「一晩中起きていただろう」

はっきりと言い切るスネイプ先生をじっと見つめて、口を尖らせていましたが、スネイプ先生は私から視線を逸らして意見を変える気はなさそうです。
むすーっと口を尖らせたまま、私はまたクッキーを食べてココアを口にしました。ココアはミルクたっぷりで少し眠たくなってきてしまったのがほんの少しだけ悔しくも思いました。


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