全ての学年の丸つけが終わったのは夕食の時間を少し過ぎたくらいでした。見上げた時計が静かに音をたてています。
私はちらりとスネイプ先生の採点の様子を見ました。彼は大量の試験管を順に振るい、魔法薬の採点を続けていました。残りの試験管を見るに、まだもう少し時間がかかりそうです。
ん、と少し背伸びをした私は奥の部屋から少し小さめの鍋を持ち出してきます。中にはどろどろとした脱狼薬が入っていました。
杖をかざして2回ほど中身を混ぜます。するとふわりとかすかな青色の煙が立ちました。今朝調合しておいた脱狼薬は無事に完成しているようです。
私は振り返ってスネイプ先生に声をかけました。
「これを届けてきますね」
スネイプ先生が私の声を聞いて顔を上げました。彼はじっと私を見たあとに、ちらりと隣に積み上げられている採点が終わり空になった大量の試験管を一瞥していました。
採点ももちろん大変ですが、後片付けもなかなかに大変なのです。
「早く戻ってくるように」
「…はーい」
軽い返事をして、私は歩き出します。
いつもリーマスさんのところに行くと、お茶会や長話をしてしまって、ついつい長居をしてしまうのです。
それを知っているスネイプ先生は半ば諦めたように私を適当に見送ります。
鍋を抱えた私は地下牢教室の扉を閉じて、足早に階段を上がります。真っ直ぐにリーマスさんの部屋へ向かい、ノックを繰り返しました。
少し待つと扉がゆっくりと開き、リーマスさんがいつものように出迎えてくださいました。今日の彼は少し疲れているような顔色をしていました。
「リク? こんばんは」
私を『ちゃん付け』で呼ばなくなったリーマスさんが疲れを隠して、にこりと笑顔を浮かべました。私もふにゃりと笑みを返して、持ってきた脱狼薬を差し出します。
「お忙しい時にすみません。今日の分をまだお渡ししていなかったと思いまして」
「…そういえば、そうだったね」
少しだけ寂しそうな顔をしたリーマスさんに私の表情も陰ります。ですが、お互いそれを隠すようにまた笑顔を浮かべました。
「試験の丸付けは終わった?」
「はい。筆記テストの部分は終わりました。実技の部分は触らせてもらえないので」
ぷくと頬を膨らますとリーマスさんは苦笑を零していました。
不服げな私を余所に微笑んでいるリーマスさんがお部屋の扉を大きく開けてくださいました。
「この前、新作のチョコレートを買ってきたんだ。食べてく?」
「えっ、チョコレート!」
私もリーマスさんも大好きなチョコレートということで私は目を輝かせます。
ですが次には私はむぅと口を閉ざします。リーマスさんとのお茶会は何よりも魅力的です。でも、今日は。
「すみません…。今日は…」
むむむと私は名残惜しむように小さく唸ります。リーマスさんは本当に惜しむ私に苦笑を零していました。
チョコレートを部屋から持ってこようとしてくださるリーマスさんを慌てて引き止めます。
美味しそうなチョコレートはとっても魅力的ですが、リーマスさんと一緒に食べるからこそ価値があるのですから。
「そうか、残念。じゃあ、また明日にしようか」
「はい! 絶対ですよ?」
私はリーマスさんを見上げて、にっこりと笑顔を浮かべます。私も明日、リーマスさんとお茶会がしたいのです。
「絶対ですからね」
念を押すようにもう1度言うとリーマスさんは朗らかに笑みを浮かべていました。
見送って下さるリーマスさんに手を振って、私は廊下を歩き出します。
階段を少し駆け足で降りて行きます。ですが、私の足は地下牢教室へは向かずに、1階に降りたあとはそのまま大広間の横を抜け、ホグワーツの外へと向かっていました。
遠く、門付近にいる吸魂鬼を軽く睨みつけてから、私は記憶を辿るようにハグリッドさんの小屋の方へと向かいます。空には重く深い雲が掛かっていました。
ハグリッドさんの小屋が見えてくると、かぼちゃ畑に繋がれたバックビークの姿が見えます。
それを横に、小屋のすぐ後ろにある森の辺りへと向かうと、陰に隠れているハリーとハーマイオニーの姿を見つけました。
「先生!」
彼らから『先生』と呼ばれるのは未だに慣れません。以前は『友人』であり、同じく隣で学んでいたのですから。
今この時期の、この時間帯は生徒達だけで城の外を歩くのは許されていません。表情を青くさせるハリーとハーマイオニーに向かって私は苦笑を零しました。
ハーマイオニーであれば質問の意味を理解してくれると信じて、私は静かに問いかけます。
「貴方達は、1度目ですか? それとも2度目です?」
問いかけに、ハリーとハーマイオニーはお互い顔を見合わせていました。
そしてハーマイオニーがおずおずといった風に小さく私の問いかけに答えてくれました。
「………2度目です」
私は彼女の答えを聞いて小さくはにかみます。やはり、今回もハリー達は逆転時計を使っています。私の姿を見て、表情を青ざめさせたのは校則違反というのもありますが、逆転時計中だということもあったからでしょう。
昔と流れが同じであることも確認しつつ、ひとまず私も彼女達と同じように身を屈めて隠れます。
「わかりました。
……校長先生は何か言っていましたか?」
「『首尾よく運べば、ひとつと言わずもっと罪なきものの命を救うことができる』って」
遠くハグリッドさんの小屋と、そして畑に繋がれたままのバックビークを見つめます。私は何度も記憶をたどった『物語』をもう1度思い出します。
浮かぶのはバックビークと共にホグワーツを飛び去っていったシリウスの姿。
「それでここに来たんですね。…今日はバックビークの控訴の日でしたっけ」
「リク先生はどうして僕達が『逆転時計』を使ったって知っているんですか?」
小さく呟く私の横。怪訝そうな顔をするハリーの質問はもっともなものでした。言葉を聞いて少し静かになった私は、次に苦笑を零します。
「…うーん、それは内緒です。でも、貴方達ならそうするかな、と思いまして」
何故『知って』いるのかを私は説明することができません。
『前』もそうでしたし、『今』も私は何も変わることができていないようです。
その時、陶器の割れる音が聞こえてきました。
ぱっと私達の視線が音の聞こえたハグリッドさんの小屋の方へと向きます。
「ハグリッドがミルク入れを壊したのよ…」
ハーマイオニーが思い出すように呟きます。ハリーもハグリッドさんの小屋を見上げながら、はっと思いついたように囁きかけました。
「もし、僕達が、中に飛び込んで、ペティグリューをとっ捕まえたらどうだろう。先生もいるし…」
「ダメよ!」
ハリーの提案を、表情を青ざめさせたハーマイオニーがすぐに否定しました。
『逆転時計』を未来や過去を変えるために使うことは、魔法界の中でも厳重に守られている規則のひとつであります。
そのうえ、他の誰かに見られたとあっては、ハリーとハーマイオニーの身の安全が心配されます。
私に見られているということはひとまず置いておいて。のお話になりますけども。
ピーター・ペティグリューをここで捕まえたいのは山々ですが、今やるべきことは別のことなのです。
ハーマイオニーの勢いに若干気圧されているハリーが口を噤み、静かに隠れていると城の方から、ダンブルドア校長先生とファッジ魔法大臣と、そして死刑執行人の3人が近づいてきていました。
そして数秒後にはハグリッドさんの小屋の裏口が開きます。ハリーとハーマイオニーとロンが隠れながら静かに出てきました。
自分自身の背中を見ている隣にいるハリーとハーマイオニーをちらりと見ます。2人はとっても複雑な表情を浮かべていました。自分の背中を見ることなんて普通ないですもんね。
ハグリッドさんの小屋から出て行ったハリー達は、すぐに透明マントをかぶったようで、3組の足音が徐々に遠のいていきました。
ファッジ魔法大臣達がハグリッドさんの小屋に入ったのを確認すると、私はハリー達を待たせて駆け足でバックビークに近寄ります。バックビークの目を見てお辞儀をしようとした時には、バックビークも膝を折るようにしてお辞儀を返してくれていました。
よかったです。彼はまだ私を嫌ってはいないようです。
「バックビーク、こちらに来てください」
小声で呼びかけてバックビークが縛られている柵の辺りの縄を解き、すぐにハリー達の元まで連れてきます。ぱちくりと顔を見合わせているハリーとハーマイオニーに私は小さく微笑みかけました。
「特技なんです、私の」
バックビークの嘴あたりを撫でると、バックビークは短く鳴きながら私に頬ずりをしていました。
ハグリッドさんの裏庭が見えなくなる所まで来て、私達は立ち止まり、息を潜めます。
数分してから遠くから、死刑執行人の苛々とした怒号と、ハグリッドさんが慟哭にも聞こえる喜びの声が聞こえてきます。
「さて」
バックビークを無事に救い出した私達。私はハリー達に振り返って、にこりと笑みを浮かべました。
「私はそろそろ行かないといけません」
そう呟きながら、私はバックビークが繋がれている手綱をハリーへと渡します。その際に私はハリーとハーマイオニーに杖を向けて、『姿くらまし』の呪文をかけました。これで少しは誰かに見られる可能性が低くなるでしょう。
「……シリウスを救ってくださいね」
私はハリー達にそう告げて、透明になった彼らを置いて、禁じられた森の方へと向かいます。彼らはあとでうまくやってくれるでしょう。