『UP & DOWN 02』
「嫌いじゃねぇだろ」
海が広がる窓へと近づくアスヒに、クロコダイルは声をかける。葉巻をくわえた彼に火を灯すことも忘れて、アスヒは若干戸惑いをみせる。
「え、あ、はい。とても、素晴らしいと、思います」
素直に感想を零して、じっと景色を見つめるアスヒ。隣に立つクロコダイルからそれ以上の言葉がないことに気が付いて、アスヒははたと彼を見上げた。
「まさかとは思いますが、これを私に見せるために?」
「まぁ、そうなるな」
淡々と返された言葉にアスヒは目を丸くさせて、またぱちぱちと瞬きを繰り返す。
再び外へと視線を向けたアスヒは、クロコダイルに寄り添いながら今度はふふと短く笑う。
クロコダイルもアスヒの腰元を軽く抱き寄せながら、笑うアスヒを横目で見ていた。
「明日は大時化ですね」
「確定かよ」
「だって、」
確かに時折『アメ』を与えてくるクロコダイルではあったが、わざわざこんなにも遠出をして、寄り道をして、ただ美しい景色を見せるためにここに連れてくるとは思わなかった。
そんな心配りが出来る主だとはアスヒは今まで知らなかったのだから。
「ありがとう、ございます」
優しくお礼を告げたアスヒに、クロコダイルは短く鼻で笑う。なんだかそれは照れ隠しのようにも思えて、アスヒはご機嫌そうににこにこと笑っていた。
だが、数分もしない時だった。クロコダイルが身をかがめて、アスヒの首元へと顔をうずめた。ぼうと景色を見ていたアスヒは急なクロコダイルの動きに驚いて身体を震わせる。
少し横を向いて咎めるような視線を彼に注げば、クロコダイルの金色の目は見て分かるほどに飽きを訴えていた。
「気が済んだか?」
「感動している女の子に向かってそれはどうなんです?」
「俺は飽きた」
きっぱりと言い切ったクロコダイル。アスヒも長いこと見れるとは思ってはいなかったのか、諦めたように肩をすくめる。
彼女の肩口にはまだクロコダイルがひっついている。すぐに踵を返して歩き出すものだと思っていたアスヒは怪訝そうに彼を見つめる。
クロコダイルが小さく口を開いた。
「大人しくついてこいよ」
囁くような声はふとすれば聞き逃してしまいそうだった。きょとんとしたアスヒがそれでもどちらとも問えない程に微かに頷くと、クロコダイルはにやりと笑って歩き出した。
(今日のクロコダイルは特別に奇妙だ)
じっとクロコダイルの背中を見つめてから、彼の言葉通り、大人しくついていくことにする。隣に並ぶと、彼は手馴れたようにアスヒの身体を引き寄せてきた。
暫く歩くと再び街の中へと戻ってきた。アスヒもクロコダイルも言葉少なげに会話をしていたが、クロコダイルがだんだんと歓楽街の方へと足を進み始めて、アスヒの表情に怪訝さが足される。
そしてクロコダイルが目的地と言わんばかりに足を止めたところが、雰囲気的に完全に如何わしいホテルでアスヒは立ち止まってキッと隣のクロコダイルを睨みあげた。
「ここに、私と貴方様で入店するんですか?」
「まぁ、そうなるな」
なんの感慨もなくそう言うクロコダイルに、アスヒはむと口を尖らせて猛反発をする。
「断固拒否しますわ。海軍の方を待たせて何をするんです。というか、もう既に散々待たせてしまいましたわ。早く船に戻りましょう!」
主でさえなければぶん殴っていたであろうアスヒが溢れる怒りを押し殺して、アスヒはきりとクロコダイルを睨み続ける。
だが、クロコダイルは悪びれる様子もなく、むしろ呆れたように肩をすくめていた。
「だから、さっき言ったろ」
「さっきって! ……ええと、」
噛み付くように言い返しかけたアスヒが、次にふと、クロコダイルの言葉を思い出す。
先程、彼は「大人しくついてこい」とそう言っていた。それが今も継続しているのであれば、そしてその言葉が命令であるのであれば、アスヒは従う他に無かった。
店の前で立ち止まり、心底不機嫌そうに腕を組むアスヒ。だが、やがて覚悟を決めたのか、クロコダイルに向かって片手を差し出した。
伸ばされた手を取り、にやりと笑うクロコダイルにアスヒはふいとそっぽを向く。
「場合によっては全力で逃げますから」
「好きにしろ」
囁くように語りかけると、クロコダイルも大して気にした風も見せずにクハハと短く笑う。
2人で入店をして、クロコダイルが手続きを済ませる間も、アスヒは不機嫌そうなままだった。
ほどなくして部屋に入ると、クロコダイルは少し部屋を見渡したあとに奥へと進んでいった。
クロコダイルの背中を見つめるアスヒが、それでも恐る恐る彼についていくと、大きなベッドの上に誰かの忘れ物のように紙袋が置かれていた。
ためらいもなくその紙袋を手にしたクロコダイルが中身を確認して、中に入っていた手紙を読み、すぐにその手紙を砂へと変えてしまっていた。
そしてまだ他にもなにか入っているらしき紙袋はそのままコートの内側にしまいこんでいた。
一連の動作を少し離れていたところで見ていたアスヒははたと気が付いて、溜息と共に手近のソファへと腰を下ろした。
「お『仕事』でしたか」
「期待してたのか?」
ニヤリと笑ったクロコダイルに、舌打ちをするのだけはぐっと堪えて、つんと横を向いた。
「危うく水死体をひとつ生み出すところでした。勝てるかどうかは置いておいて」
「可愛くねぇなぁ」
ご機嫌斜めなアスヒはいやに大きな革張りのソファを独占しながら腕を組み、足を組み、心底ご立腹の様子だ。
あの美しい景色を見に行ったのだって、きっと大層怒るであろうアスヒの事前のご機嫌取りのためだったのだろう。
むすっとしたままのアスヒにクロコダイルは悪びれる様子もなくクハハと笑う。
「俺が直接動くと海軍のヤツらに嗅ぎまわられるからな。流石にここまではつけてこねぇだろうよ」
現に、このホテルの前まで、クロコダイルとアスヒの後ろを付いてくる人影があることに、アスヒも薄々気がついていた。
アスヒで気付いていたのなら、クロコダイルは心底腹立たしかったに違いない。
なんにせよ身の危険はないとようやくわかったアスヒは、短く安堵するかのような溜息をつく。
クロコダイルはアスヒのことなど大して気にもしないで、黒いコートを脱いでアスヒの方へと放り、そのままベッドに横になっていた。
「寝る。2時間たったら起こせ」
投げられたコートを受けとったアスヒは、コートをひざ掛けがわりにしながら、改めて溜息をつきなおす。
「本でも持ってくれば良かったですわ」
「クハハ。一緒に寝るか?」
横になったクロコダイルがわざとらしく空間をあけてアスヒを呼べば、彼女はいつも以上にわざとらしいにっこりとした綺麗な笑顔を返した。
「丁重に辞退させていただきますから」
クハハとまた楽しそうに笑うクロコダイルに、アスヒは隠しもせずに深い深い溜息を零した。
(UP & DOWN)