彼女は携帯の着信音で目が覚めた。
眠たい身体を起こしながら、携帯を探し、僅かに寝ぼけたまま通話に出る。
「ユースです。誰?」
『……俺の名も登録してないのか?』
そして、それは待ち望んでいた声だった。
あまりの眠たさで特別な着信音にも、画面にも気づかなかったのだ。
一気に眠気が覚め、携帯を両手で握りしめる。おずおずとユースは彼に話し掛ける。
「イェスパー? どうしたの?」
『特には』
素っ気ない彼の声。それなのにどうしようもなく安堵感が身体を包む。
電話越しの相手は無言。
ユースはどこかくすぐったくて、クスクスと笑みを零した。
「イェスパー…黙ってちゃわかんない」
その間すらも愛しみながらユースは笑う。そして気付く。本当にイェスパーに恋愛感情を抱いているのだと。
『………ユース』
やっと言葉を返したイェスパーは悩むようにまた黙る。
ユースはイェスパーに元気がないような気がして、イェスパーを待たずに言葉を繋げた。
「本当にどうしたの?
あ。わかった。ベルくんに何かされたんでしょー。イェスパーが電話なんて珍しいもん」
『………まぁ、そうなのだが…。
特に話すこともない』
「イェスパーっぽいね。
じゃあ、私からお願い。ちょっと構って」
『…あぁ。そうだな』
ユースは笑いながら携帯を握り治す。
先程までぼんやりとした気持ちを全て忘れ、心から楽しそうにたわいもない話を続ける。
――単純だなぁ、私も
ユースは幸せ感に包まれながら大好きなイェスパーの声を聞く。
ユースは一通り話したあと、ぽつりと優しげな声を零した。
「――…でもよかった。イェスパーとお話できて」
『よかった?』
疑問の声。ユースはゆっくりと愛しさを噛み締めるかのように答える。
「声、聞けたから嬉しい」
『………俺は――』
イェスパーは少し言葉を切り、すぐに繋げた。
『俺は最近、ユースに会う度に、そばにいるだけでも迷いがある。
ユースは何故、俺といるとそんなに嬉しそうなのだ?
俺には、わからない』
ユースはそこで頬を膨らませた。
自分はこんなにも彼が好きで堪らないのに、彼には本当にただの疑問にしか思えなかったようだ。
呆れたように1度溜め息をついたが、ユースはまたいつものように笑う。
「イェスパーが好きなんだもん」
『…………すまんな』
予想していたイェスパーの言葉。
だが、いつものように話を反らす訳ではなく、初めて断られた。
ユースはその事にまた胸が痛む。
だが、その痛みを、辛さをイェスパーに気付かれる訳にはいかない。
ユースは先程と変わらないように笑う。
幸せそうに。楽しそうに。そう聞こえるように。
「そう言うと思った」
だがその1言が限界だった。
あとは逃げるように短い別れを言って、電話を切った。
今のユースにはイェスパーといるだけでも痛みが襲う。
だがそれ以上に彼が好きで堪らなくて。
「ほんと。何でべた惚れしてるんだろ、私…」
誰もいない部屋からは返事は帰ってこない。
†††
ユースはいつものように予備校に通っていた。
普通に学校や予備校に通う学生にはエリダナの不況など関係ない。
学校の友人と授業を受け、休み時間に笑い合うだけが世界の全てだ。
忙しいのは今まで低賃金で働いていた大人達だけだった。
大人といえば。
ユースは最近、予備校でガユスの姿を見ない。
攻性咒式士として、今のエリダナでは必要以上に忙しいのだろう。だが、それでもいつも見ていた彼がいないというのも不思議なものだ。
ユースは授業をきちんと受け、終了の鐘が鳴り席を立った。
その時、少し貧血でも起こしたのか、ふらりと足元を揺らす。すると、前から歩いてきたノエスにぶつかってしまった。
「っと」
「ごめんなさい」
「ん。平気」
短い会話をしてからユースは、教室から抜ける。
「…貧血?」
ユースは首を傾げたあと、予備校から出ていく。
予備校から出ると運悪く抗議の行進とはちあってしまった。ユースは困りながらも、ふらりと行進を避け、路地に入る。ここを通れば近道にもなるだろう。
突然、ユースの身体が悪寒に震えた。
急激な寒気ににユースは思わず身体を路地の壁に預けた。通りすがりの通行人が心配し、ユースに声をかける。
「大丈夫ですか」
「ゾレイゾ・ゾ。また女性体に話しかけて!」
何人かの足音が止まる。
ユースは反射的に、本能的に「視線を合わせるな」と感じとっていた。
「…大丈夫です」
俯いたまま弱々しく呟くと、背後の影の1人は屈み込み、ユースを覗き込んだ。
仕方なさそうに、ユースはスッとその1人とだけ視線を合わせる。
この暴騰しているエリダナに浮かれているのか、顔に夜会の仮面をつけた不思議な男だった。
「私は大丈夫です」
彼女は言い聞かせるように。睨むように。その人物を見たあと、ユースは立ち上がった。
ユースを覗き込んだ男も何も言わずに周りの人物達を連れて路地の奥へとさっていった。
そして、ユースは息を吐く。
身体を占めていたのは恐怖。生命の危機に身体が震えていたのだ。
「嘘でしょ…。<古き巨人>に会うなんて」
先程のは人型サイズにまで縮んだ<古き巨人>だった。
ユースは自分の目元を抑え、長く息を吐く。
瞳は軽く痛みを訴えていた。
だがそれも仕方がない。だって『久しぶりに使った』のだから。
ヨーカーンに会って以来の『力』だ。
「帰ろう…」
ユースは弱々しく呟き、路地の明るい方へと歩んだ。
逃げるように。元いた場所に戻るように。
†††
今日のユースのテンションは高めだった。
理由としては、今日がマズカリー王の記念日であり、ベルドリトに夕食を誘われている。ということ。
ベルドリトと一緒と言うことは。イェスパーもいると言うことで。
(イェスパーとご飯っ♪)
繰り返すが、彼女のテンションは高い。
部屋の中を洋服でいっぱいにしながら、ユースはくるくると回っていた。
自然と独り言もこぼれ落ちる。
「どの服、着てこうかなぁ?
可愛い服がいいなぁ。でも子供っぽいのは嫌。でもでもあんまり大人っぽいの着て行ったら浮かれてるって思われるかなぁ?
イェスパーってどんな子が――」
くるくると回っていたユースの動きが服を抱きしめ止まった。
微かに寂しそうな顔をしてから、呟く。
「イェスパーってどんな子が好きなんだろ…?」
1度だけ。
たった1度だけイェスパーと婚約一歩手前までいったエレネーゼを、彼女は見たことがあった。
長い金髪で美しい碧玉の瞳をした、大人っぽい美しい女性だった。
ユースは自身の姿を鏡で見る。
そこには、まだまだ子供の姿である自身の姿が映っていた。
「やっぱ大人じゃなきゃ駄目なのかなぁ…?」
呟いた彼女は鏡に自分の指を押し当てた。頭に飾られた向日葵の花が揺れる。
ヨーカーンがつけた『ユース』という名前、そして、大好きな彼から貰ったこの花だけがユースにとっては誇れるものだった。
好きで。好きで。堪らなく好きで。
気付いたら嫌いになどなれなくて。
ユースは散らかしていた服を片付け、ベルドリトに1文だけ文書通知を送った。
『今日、やっぱり行けなくなった。ごめんね』
本当は用などない。
ただ初めて、今、この瞬間。
――イェスパーに逢いたくない。
寝台に顔を埋め、ユースはまた涙の枯れる時まで泣き崩れた。
彼女にはもう、何故泣いているのかも、何故これほどまでに苦しいのかもわからなかった。
ただ、ひたすらに。
「イェスパー…好きだよぉ…っ」
でも、もう彼にそれは言えない。
彼には先日、謝られてしまったのだから。困惑に満ちた彼の声が、ユースは何よりも恐ろしかった。
困惑は、迷惑をかけているということに直結するのだから。
曖昧にごまかしてくれた方が、ユースは自分の感情を押し続けられた。
彼に愛想をつかされて嫌われてしまったから、もう傍にいることもかなわなくなってしまう。それだけは何としてでも避けたかった。
そして彼女は今、息が出来なくなるくらいに、苦しんでいた。
†††
爆音。
ユースは突然の轟音に目を覚ました。泣き疲れていつの間にか寝ていたらしい。
窓の外を見ると、遠く、オリエラル大河方面に何か巨大な人影が見える。
こんなにも離れた場所からも見えるそれは<古き巨人>の姿だった。
慌てて外の状況を知ろうと、ユースはテレビをつける。
するとそこには同盟に反対していた過激派の憂国騎士団と<古き巨人>数体、そしてエリダナの攻性咒式士達が入り混じり、戦争をはじめている光景が報道されていた。
最早、誰が敵で誰が味方なのか、テレビからではわからない。
その騒ぎの中心にいるのは投資家ダリオネートの乗った船。
エリダナ内で起こっている戦争。
ユースは息を潜めてテレビを見つめた。
はっと気付き、ユースは携帯に手を伸ばす。震える手で圧縮番号を押し、待つ。ひたすら待つ。
彼は出なかった。
「イェスパー…?」
今かけた相手の名を呟き、ひたすらに想う。
この暴走している時期にエリダナに来たイェスパーなら、この喧騒にも巻き込まれているだろう。
ユースは窓の外を見、両手を握り合わせる。
願うように。祈るように。
ただ想い人の無事を。