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なまえが上陸を許されたのはそれからまもなくのことだった。あの時と同様にローがこの日のために用意した洋服を身に纏い、彼に手を引かれて彼女は島に降りた。
頬を撫でる風はひどく冷たい。見上げると灰色の雲がどんよりと空を覆い尽くしていた。冬島と呼ばれるこの島の寒さはなまえがこれまで体験したことがないものだ。ローはノースブルー出身であるためこの寒さにも平然とているが、比較的暖かい気候の島で育った彼女には厳しい寒さだった。

「私、雪を見るのは初めてです」

「だろうな。どうだ、初めての雪の感想は」

「想像していたよりもずっと冷たいです…」

そう言うとローはおかしそうに笑った。
なまえはその場にしゃがみ込むと恐る恐る雪に手を伸ばした。そっと触れるも、跡形もなく消えてしまう。指先に鈍い痛みを残して解けてしまう雪に切なさを感じた。

「綺麗ですけど、儚いものなんですね」

手のひらの体温によってゆっくりと解けていく雪。音もなく姿を消していくそれらにどこか羨望を覚えた。

――もし、私がローさんの傍にいられなくなってしまう日がきたなら。その時は雪と同じように、音もなく消えてしまえればいい。

なまえは本心からそう思った。そして尚も雪に触れていると、不意に腕を掴まれた。

「なに馬鹿なことを考えてる。行くぞ」

「え、あ、ローさん」

「あまり雪は触るな。冷えるだろ」

「あ…、ごめんなさい…」

すっかり感覚がなくなってしまったなまえの指先に触れたローは不快そうに顔を歪めた。じんじんと疼くような痛みに指先を擦り合せる。雪に夢中で気が付かなかったが、こんなに冷えてしまっていたとは。なかなか戻らない感覚に彼女が考えあぐねているとローはどこから取り出したのか、もこもこの手袋を彼女の手にかぶせた。ふわふわの手袋は肌触りがよく、それでいて防寒に優れていた。

「つけておけ。お前は寒さに慣れていないからな」

「ありがとうございます」

真っ白な手袋で頬を包み込むととても気持ちが良い。もふもふとその手袋に顔を埋めていると頭上でローがひとつ笑った。

「そんなに気に入ったか」

「はい。すごく気に入りました」

「それは用意した甲斐があったな。行くぞ」

長い黒のコートを翻して歩き始めたローの後ろ姿を見失わないようになまえも後を追う。彼女が遠慮がちにそのコートを掴むとローはその時こそ反応を見せたが、それ以上はなにも言わなかった。


情報収集のために酒場を数件回るうちに日はすっかり落ちてしまっていた。冬島だからだろうか。この島は日が暮れるのがずっと早い。
町はずれにある酒場の外でローを待つ。町はずれにあるだけにどうやらこの酒場に集まるのはよくない連中ばかりのようで、ローは彼女に外での待機を告げた。勿論一人でではない。途中で合流したベポと一緒に、だ。

「キャプテン遅いね」

じっと重厚な木の扉を見つめるベポはぽつりとそう零した。ローが心配なのだろう。先程からずっとそわそわと扉の前を行ったり来たりと往復している。

「ベポさんは本当にローさんが好きなんですね」

「うん!俺はキャプテンが大好きだよ!」

これくらい大好きだと言わんばかりに腕を広げてみせるベポになまえの頬が緩む。ベポだけではない。クルー一員、船長であるローを慕っている。そして、それと同じようにローもまたクルーを大切に思っている。

なまえはローに無条件に愛されるベポやクルーを羨ましく思った。

緩やかに下降する気持ちにぼんやりと地面に視線を落とすと隣から視線を感じ、そちらを見やった。するとベポがあのねと言葉を選びながら口を開いた。

「その…、なまえはキャプテンのこと、好き…?」

ベポの問いになまえはすぐに頷くことができなかった。
ローのことは嫌いではない。けれど「好き」なのかと問われれば、そうであるのかまだ彼女にはわからなかった。しかし、間違いなく彼女の心はローに惹かれ始めている。それになまえは気付いていた。

困惑の表情を浮かべる彼女にベポは慌てたように手をとった。

「い、いいんだ!その答えは今じゃなくてもいいから!」

「ごめんなさい…。ローさんのことをどう思っているのか、まだ私にもわからないんです…」

「うん…。そうだよね…」

ベポがどのような答えを期待していたのかはわからない。しかし、ひとつだけ。ひとつだけなまえが望んでいることがある。我が儘で、愚かな望みだと笑われるかもしれない。しかし、ひとつだけ確かなものがあった。

「ローさんに対する気持ちははっきりとはわかりません…。けど…、ローさんの傍にいたいって思うんです」

そう彼女が言うとベポは真っ黒な宝石のような目を見開いた。そして嬉しそうに笑った。

「それだけで十分だよ」

目を細めて笑うベポは安心したかのようになまえの手をとった。ふわふわで温かいその手は揺れ惑う彼女の気持ちを落ち着かせた。なまえは戸惑いながらもその手を握り返す。

そこでようやくローが酒場から出てきた。ローはなまえとベポの様子に訝しげに眉を顰めたが、なにも言わなかった。

「帰るぞ、ベポ、なまえ」

ただ傍にいられることが今の幸せだ。そのなまえの答えに嘘偽りはなかった。

title カカリア様