12
なまえは迷ったのちに1つのボトルを手にとった。ミルキーピンクのマニキュア。派手すぎないこの色は彼女が1番にショップで手に取ったものだ。
傍らに置いていたボックスからベースコート、トップコート、除光液、コットンといったネイルに必要な道具を一式取り出す。自分の爪先をじっと見つけ、彼女は「よし」とベースコートを手にとった。
「えっと、まずベースコートから塗って…」
自分の手を膝に乗せて固定させ、トップコートの刷毛をボトルの口で整える。そっと爪に刷毛を滑らせる。元々器用ななまえはするするとすべての爪にトップコートを塗り終えた。どこかに擦れてしまわないように注意を払いながらベースコートをボックスにしまう。
そうしてそろそろ頃合いかとマニキュアに手を伸ばした時だった。
「なにしてるんだ」
今朝方、所用があると出かけたはずのローが帰ってきたらしい。医療書を片手に後ろ手にドアを閉めるローに、ネイルを中断しなまえが顔を上げた。
「おかえりなさい。ネイルをしてるんです」
「島で買ったやつか」
「はい。これからマニキュアを塗るところです」
そうなまえが告げるとローは医療書をデスクにおき、彼女の手をとった。ベースコートのみが塗られた爪先。ちらりとデスクを見るとこれを塗るつもりなのだろうとわかる位置に1つのボトルが置かれていた。
ローはそれを手にとるとなまえが座っている向かいのチェアに腰を下ろした。
「塗るのはこれでいいのか」
「?、はい」
「動くなよ」
そこでようやくなまえはローがこれから何をしようとしているのかを理解した。驚いて手を引こうとするとぎろりとローが彼女を見やる。
「動くなと言っているだろうが」
「じ、自分で…」
「俺が塗ってやる。大人しくしてろ」
そう言うとローはこれ以上は何も言わせないとばかりにその手を強く固定した。
刷毛の先を整え余分な塗料を落とすと撫でるようになまえの爪に刷毛を滑らせる。はみ出すこともなく塗られていくそれになまえからは感嘆の声が漏れる。テンポよく塗られていき、最後の小指が塗り終えられる。乾くのを待ち、再び親指から刷毛を滑らせ、なまえの爪先は美しく彩られた。
「やっぱりローさんは器用ですね…」
「誰でもこれくらいできるだろ。次はこれか」
「はい。トップコートを塗って終わりです」
自分で塗るよりもずっと綺麗に仕上がった爪先。さすがだなと思いながら、ローを見やると手持無沙汰なのかトップコートを指先で弄っていた。
「マニキュアを塗られるのは初めてですか」
「初めてに決まってるだろ。俺がこんなもの塗ると思うか」
「思いませんけど、その、女の方とかに」
その先は口にすることができなかった。馬鹿な質問をしてしまったと気付いたなまえはローの答えを待つことなく、視線を落とした。
しかし、どうしようもなく嫌だったのだ。自分と同じようにこうしてローに手を取ってもらい、マニキュアを塗られた女が過去に存在したと考えると、なまえはひどく悲しくなった。
ローは黙って小さくうな垂れるなまえの手をとった。そしてトップコートをその彩られた爪に丁寧に塗っていく。
「お前は」
「、はい」
「俺がこんなことを進んでするような男に見えるか」
そのローの言葉が、自分の問いに対する答えだと気付いた彼女の視界がじんわりと滲む。
1本、また1本。トップコートを塗られた爪がまるで魔法にかかったかのように輝いていく。
すべての爪にトップコートを塗り終えたローがトップコートをボックスに放り投げる。ボトル同士が触れ合う小さな音が部屋に響き渡る。
なまえは完成した自分の爪先を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「また、塗ってくれますか」
なまえが小さく微笑んでローを見上げる。その返事の代わりにローは彼女の爪先に柔らかく唇を落とした。
title 薄声様