13
その笑顔のを見るたびにローは胸中がむず痒く、しかしどこか満たされていくような不思議な感覚に襲われた。歪んでいた支配欲もやんわりと柔らかいものへと変化していた。
そして、一方のなまえもまた同じであった。トラファルガー・ローという男を愛してしまった。彼女自身、これが愛なのだという自覚はまだない。
――ぐちゃぐちゃに絡まっていた2人の糸が少しずつではあるが、確かに解けていた。
ローはなまえをとある島に上陸させた。先日上陸した冬島とは変わって、その島は暖かな日差しと柔らかな風が吹き抜ける穏やかな島であった。なにもない島だった。人間が存在しない、自然だけが存在する島だ。
ローに手を引かれ、小道を歩くなまえは移り変わるその景色に目を細めた。鮮やかな蝶々が自由に空を舞い、芳しい花々が辺りに咲き誇っている。
一体、ローは何が目的でこの島に上陸したのだろうか。前を行くローの背中を見つめながら彼女は口を開いた。
「こんな穏やかな島になにかあるんですか」
「なにもねぇよ」
ローの返答はなまえの疑問を更に難解にさせるものだった。まったくローの思惑が読めないなまえは首を傾げる。ローはそれを見るとフッと頬を緩めただけでそれ以上はなにも言わなかった。
小高い丘をローに手を引かれながら登る。そうして丘を登りきるとぱっとなまえの視界に美しい景色が飛び込んできた。
どこまでも突き抜ける青い空と海。そこはまるでその2つの境界線に立っているかのような錯覚に陥るほどに美しい場所だった。蝶々が歓迎するかのように2人の周りを飛び回る。花園と呼ぶにふさわしいこの場所。天国のようだとなまえは思った。
するりと離される手になまえは戸惑いの色をみせた。しかし、ローの表情が柔らかいものであることを知ると安堵の表情をみせた。
彼女が数歩ローの前へでる。ローは黙ってその姿を追った。
「素敵な場所ですね…。まるで天国みたい」
足元に咲いていた花を撫でるためになまえがその場に腰を下ろす。指先で花を撫でるとほろりと笑みが零れた。
「天国があるなら、確かにこんな場所だろうな。まあ俺は天国なんかいける身じゃないけどな」
「ふふ、ローさんは悪い人ですものね」
屈託ない笑みでなまえが笑う。ローは小さく揺れる己の瞳を隠すかのように彼女から視線を外すとその場に腰を下ろした。
微かに花の香りをのせた風がなまえの髪をさらう。ローは帽子が風に飛ばされないように軽く押さえた。
「ベポさんに…」
花束を作りながらなまえがぽつりと呟いた。その瞳は微かに揺れていた。ローは彼女の言葉を遮らず、遙かに続く地平線へ視線をやった。
「ローさんのことが好きかって聞かれたんです」
「…それで。お前はなんて答えたんだ」
「…わからないって。そう答えました」
なまえの返答にローは眉をひそめた。しかしそれを悟られないようローは帽子を深く被りなおした。
――2人の間に沈黙が流れた。大空を飛ぶ小鳥の声だけがそこに響く。
どれだけの沈黙が流れただろうか。閉ざしていた口をなまえがゆっくりと開いた。
「わからない、なんて言って本当は自分の気持ちはどこかで理解していたんです」
「………」
「私はどこかでローさんのことを許してはいけないと思っていました。決して心を開いてはいけないと」
「それが普通だろ」
きっとなまえの心の中では様々な葛藤があったのだろう。彼女をヒューマンオークションで落札、瞬く間に監禁し、自由をすべて奪い去ったトラファルガー・ローという人間。殺したいくらいに憎かったはずだった。
――しかし、彼女はその男を愛してしまった。
初めてローの胸中に触れたあの夜。あの夜からなまえは芽生え始めた「モノ」に気付いていた。しかし、どうしても気付きたくなかった。
「ベポさんにローさんのことを尋ねられた日からずっと考えていました。この気持ちが何なのか」
ローはなまえを見やった。するとローと同じくして花束から視線を上げたなまえと彼の視線が交わった。
「私はローさんが好きです。ローさんはきっとありえないと思われるでしょうが、この気持ちに嘘偽りはありません」
ザァっと一陣の風が2人の間を駆け抜けた。風に吹かれ、花びらが舞い上がる。それでもなまえは交わったローのグレーの瞳から視線を外さなかった。そしてそれはローも同じだった。
「…けれど私はローさんに買われた身です。愛がほしいだとか、そういうことはなにも望みません」
「…俺の返答は求めない、というわけか」
「はい。…けれど1つだけ、望みがあります」
「なんだ」
「少しでも長く、ローさんの傍にいさせてください」
それがなまえの答えだった。そして、望みでもあった。
――少しでも長く。なまえはどこかで理解していた。このローとの関係は永遠に続くものではないということを。この関係はローの思惑次第でいつでも消えてなくなってしまうということを理解していたのだ。
だが、ローはなまえとは違ってこの関係を終わらせるつもりは更々なかった。しかしそれを伝える言葉を今のローは持ち合わせていなかった。ローはひどく不器用な男だった。自分のほしいものをその手の中に留めておく言葉がどうしても見つからなかった。
そうして、唯一、自分と彼女を繋ぐものを思い出し、口角を持ち上げた。
「このマークがここに存在する限り、俺はお前を手放すつもりはない。そう覚えておけ」
左胸に浮かぶジョリーロジャー。それだけが今の2人を繋ぐ唯一の「しるし」だった。
title カカリア様