19
「俺はペンギン。よろしくな、なまえちゃん」
「俺はシャチ!」
「なまえです。よろしくお願いします」
なまえが頭を下げるとベポはすかさずふわふわの白い手で彼女の手をとった。驚いて目を瞬かせているなまえとは対照的にベポは握った彼女の手をぶんぶん上下に振る。
今日はなまえの意識が戻ってからクルー達との初めての対面の日であった。なまえの容態を心配していた彼等にとって今日という日は非常に待ち遠しいものだっただろう。ベポにいたっては嬉しくてたまらないとばかりに頬を緩ませている。
――だが。
なまえにはベポ達の記憶はなかった。心的ショックによって記憶を喪失してしまっているからだ。このことについてはローから以前に知らされていたのだが、やはり実際に記憶を失くしたなまえの姿を目の当りにして3人はショックを受けていた。
「もし困ったことがあったら言ってね!俺にできることがあったらなんでもするから!」
「なーにベポだけカッコいいこと言ってるんだよ。俺達も力になるから言ってくれよ」
ベポに握りしめられて少しばかり困惑しているなまえの手を解放するとシャチが代わって彼女の手をとった。勿論そのことによってますますなまえが困惑の色を濃くしたのは言うまでもないだろう。シャチの手を振り払うことなどできないなまえはシャチにされるがままである。
するとそこにローがやって来てその光景に眉を顰めた。
「…シャチ」
「うお!キャプテンいつの間に!」
「手を離せ」
言うや否やローはその手を無理やり引き離した。シャチはバツの悪そうな顔をしたかと思うと唇を尖らせた。
「で。自己紹介はすんだのか」
「はい」
「なら部屋に戻るぞ」
すたすたと一人さっさと踵を返したローをなまえは慌てて追いかけようとうした。しかしなにかを思い出したのかくるりとワンピースの裾を靡かせ振り返った。
「ご迷惑をおかけするとは思いますが、これからよろしくお願いします」
そうベポ達に言い残すとなまえは屈託のない笑みを浮かべてローの後を追った。
ローとなまえが去り、残されたベポ達はしばらく口を閉ざした。その表情はどこか寂しげで、ベポにいたってはその宝石のような瞳に涙を浮かべていた。
「本当に忘れちゃったんだね…」
「…いざそれを目の当りにするとやっぱり辛いもんだな」
なまえはやはりベポ達の記憶も失ってしまっているらしい。もしかして自分達の記憶は残っているのではないかと僅かな期待をしていただけに先程のなまえの言葉を思い出して彼等は肩を落とした。今回のことはローとなまえの関係が良好になり、彼女と接する場面が多くなっていた矢先のことだった。ようやく仲良くなれると喜んでいたベポは余所余所しく頭を下げるなまえの姿を思い出してぽろりと涙を零した。
「…1番辛いのはキャプテンだよな」
2人が出て行った扉を見つめてペンギンが呟いた。
ローはなまえが記憶喪失になってからというもの余程のことがない限り、常に彼女に付き添っていた。言葉のこそ出さないがローも今回のことはショックだったのだろう。もう2度とあのような敵襲でなまえが傷付かぬよう注意を払っていた。
――ローとなまえは恋人同士ではない。
お互いを想いあっているのは間違いないだろう。しかし未だローは己の中にあるなまえへの感情を「愛」だとは思っていない。だからこそ2人は不確かな関係なのだ。
「なまえ…早く記憶が戻るといいね」
「そうだな…。でも…」
――記憶が戻ったなまえをローは傍においておくだろうか。
その言葉をペンギンは口にすることはできなかった。
「ベポさんもペンギンさんもシャチさんも。皆優しそうな人ばかりで安心しました」
ソファに腰を下ろしたローの向かいにある1人掛けのソファに腰を下ろしたなまえは嬉しそうにそう言った。
「優しそうと言ってもあいつ等も海賊なんだぞ」
「それはローさんも同じじゃないですか」
「海賊はロクでもねぇ奴ばっかりだ」
ローはそうなまえに言うといつもの如く医学書を手にとった。最近のローの読書は専ら脳に関する医学書ばかりである。
なまえはローの言葉に眉を寄せた。海賊はロクでもない奴ばかりだ。そう言い切ったローの言葉がどうしても聞き捨てならなかったのだ。
「私はそうは思いません」
「…どういう意味だ」
「海賊はロクでもない人ばかりだということです」
ローが医学書から視線を上げるとそこには不満げな表情をするなまえの姿があった。
しばらくそんななまえと視線だけを交わらせていたローであったが、じきに医学書を閉じた。そして組んでいた足に肘をかけるとその手に頬をのせた。
「なにが言いたいんだ」
「海賊にも優しい人がいると思うんです。ローさんみたいに」
「…俺が優しい、ねぇ」
「だってローさんは身よりのない私を拾ってこの船においてくださっているんでしょう?」
――記憶の改竄。
そう、ローはすべての記憶を失くしたなまえに新しい記憶を上書きしたのだ。勿論、その内容はすべて彼女にとって「幸せ」なものだった。
2人がヒューマンオークションで出会ったことも。なまえがローによって大金で落札されたことも。ローに監禁され、ひどい仕打ちを受けていたことも。
――そして。なまえがローを愛していたことも。
すべてをローは書き換えた。それがなまえの幸せなのだとそう自分に言い聞かせて。
「ローさんみたいな人に拾われて私は幸せです」
その笑顔だけは記憶を失くす前と変わらない唯一のものだった。やさしい光を宿した瞳を細めてなまえは笑う。
それだけで十分だとローは思った。
「…そうか。それならいい」
title 花畑心中