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たくさんの紙袋の数々になまえは申し訳なさそうに眉を下げて先程テイクアウトしたアイスティーを見つめていた。アイスティーが注がれたカップにはすでに水滴が浮き上がってしまっている。

「飲まないと氷が溶けてしまうぞ」

「…はい」

そう返事をするなまえであったが一向にアイスティ―に口をつける様子はない。

なまえが眉を下げている理由は彼女の両脇に置かれている紙袋の数々である。これらの中身はすべてローがなまえへ買い与えた洋服や靴、アクセサリー達なのである。
ローの買い物に付き添っているなまえにとって現在のこの状況はまるで想像していなかったものだった。医者であるローの買い物なので薬屋や本屋に行くとばかり考えていたなまえ。しかしどうだ。実際連れていかれた店は洋服屋や靴屋などの煌びやかな店ばかりだった。当然店の前で戸惑うなまえであったが、ローによって無理矢理店内に押し込まれてしまい、気が付けば店員に勧められるがまま試着した洋服達が紙袋に収まって自分の手にぶら下がっている状態。このような出来事がすでに数回。ついにその紙袋の数は彼女の両手では持ちきれないほどにまで膨れ上がっていた。

そして現在。ローとなまえは買い物を終え、船が停泊しているすぐ傍の浜辺にいた。

「…ローさんの買い物は…」

「生憎、俺の探してる物はこの島にはねぇみたいだな」

「だからって私の物ばかり買うことはないじゃないですか!」

「気に入らねぇのか」

「そうじゃなくて!」

納得できないと身を乗り出す勢いを見せるなまえにあくまでローはこの買い物の本当の目的を隠し通すつもりらしい。まったく正直になれない男である。
なまえは目の前で飄々とアイスコーヒーを飲むローをちらりと盗み見るとようやく自分のアイスティーに手を伸ばした。

「べつにお前が気にすることはない。黙って受け取っておけ」

「…でもやっぱり悪いです。私ばかりローさんに色々与えてもらっていて…」

「…………」

からりと氷がぶつかる音が2人の間で響いた。

なまえは自分ばかりがローに与えてもらっていると言うが果たしてそうだろうか。
――ローはそうは考えていなかった。それどころか、自分の方がなまえに多くのものをもらっていると考えていた。誰かを大切にする難しさ、そして誰かを愛するという難しさもローはなまえによって教えられた。

しかしそれらを伝えてもなまえは理解することができない。それどころか記憶を失った彼女を混乱させてしまうだけだとローはわかっていた。
伝えたいことがあっても伝えることができない。その歯痒さがローの心を焦がす。

「…気に入らねぇなら捨てろ」

ようやく口にできた言葉はひどく稚拙なものだった。こんなことが言いたかったわけではない。そう訂正したいのだが、どうしてもそれ以上の言葉がでてこなかった。

ローからの思いがけない言葉。それを受けて数拍沈黙したなまえであったが、ハッと我に返ったようにその瞳を瞬かせると立ち上がった。

「違うんです!そうじゃなくて…!」

「…………」

「っ、本当はすごく嬉しいんです…。でもやっぱり…こんなによくしてもらってるのに…、…私なにも思い出せなくて…」

そう言い切ったなまえの瞳には薄らと涙が浮かんでいた。なまえはその涙を隠すように俯くと脱力したように座り込んだ。

そしてローはなまえがずっとその心の中で葛藤を繰り広げていたことを知った。
なまえはずっと記憶を失ってしまった自分を責める毎日を送っていたのだ。
ローやクルー達は記憶を失った自分にとても優しくしてくれる。戸惑う素振りを見せたならすぐに手を差し伸べてくれる。しかし、その一方で記憶が戻る兆しは一向にみられない。いつしかなまえは不安と焦燥に駆られるようになった。いつまでローとクルー達に悲しい思いをさせてしまうのかと考えると心が張り裂けそうになった。
ローが自分をひどく悲しい瞳で見ることになまえは気付いていた。何度も記憶を失う以前の自分とローの関係はどのようなものだったのかと尋ねようと試みた。しかしローを目の前にすると決まって口を噤んでしまうのだ。
――この質問もまたローを悲しませてしまうような気がして。

なまえは項垂れたまま顔を上げようとしなかった。時折ぽとりぽとりと頬を伝う涙が彼女の握り締めた手に落ちては弾ける。

どれだけの沈黙が流れただろうか。カップの中の氷が弾ける音と同時にローは俯くなまえの方へ手を伸ばし、頬に触れた。その優しい指先に導かれるようになまえはようやく顔を上げた。

「泣くな」

「…っ」

「俺はそうやってお前を泣かせてばかりだった。とても口にできないような仕打ちをしたこともある」

泣かせてばかりだった。心から笑った顔を見られるようになったのはここ最近のことだった。手渡された花束に顔を埋めて幸せそうに笑うその顔は今でもずっとローの中で色褪せずに残っていた。

「お前にとって俺は殺したいくらいに憎い男だったはずだ。だが、……」

「…だが、なんですか…?」

「…お前は俺をそうは思わなかった、らしい」

はらりはらりとなまえの頬を伝っていた涙はいつしか止まっていた。そして代わりにゆっくりと頬に触れていたローの手をとるとじっとローの言葉を待った。

「1つだけお前に言ってやれることがある」

「………?」

「なにひとつ変わることはねぇ。お前が覚えていなくても俺がすべて覚えている」

――だからもう泣かなくていい。

ローが抱き寄せたなまえの体は小さく震えていた。縋るように背中に回された腕に気付くとローは一層抱き寄せる力を込めた。

title 花畑心中