25
出会いこそ最悪なものだった。しかしローとなまえには数えきれないほどの思い出があった。その思い出は幸せなもの、悲しいものなど様々なものだ。
ローはその思い出を1つ1つ掬いあげた。
脱走を図ったなまえを強引にあの部屋に閉じ込めたあの日。裏切りへの怒りが収まりきらずに刻んでしまったジョリーロジャー。そのマークは今でもなまえの左胸にある。
初めて贈った花は「マーガレット」だった。なにを贈ればなまえの頬を綻ばせられるのか。そのようなことを考える日が続き、そんな日々のなかにようやく見つけた答えが「花束」だった。船を降りるたびに花屋を訪れ、彼女が好みそうな花束を見繕った。いつしか花束に顔を埋めて幸せそうに笑うなまえの姿を見ることがローの幸せになった。
どうにも上手くできないマニキュアを代わって塗ってやったことがあったこともローは思い出した。
そして、なまえから想いを告げられたあの日。あの日のことをローは決して忘れることはない。
あの時に自分の想いを素直に伝えていたならば、なまえは記憶を失わずにすんだのだろうか。2人は幸せになれたのだろうか。後悔してもしきれないほどローはあの日の自分を悔いていた。
後悔ばかりの人生だった。誰一人守ることができない自分の弱さに何度怒りを覚えただろうか。だが、もう逃げてばかりではいられないのだ。
――なにに変えても守りぬきたい存在ができたのだから。
だからローは覚悟を決めた。すべてを清算する覚悟を。
「手をだせ」
「手を?なにするですか?」
不思議そうに首を傾げるなまえの手をとったローはなにも塗られていない肌色の爪をじっと見つめた。そしてどこからともなくマニキュアを取り出すとその爪に刷毛を滑らせ始めた。淡いピンク色に染まっていくなまえの爪。予想もしなかったローの行動に驚いたなまえが手を引こうとしてもローが逃がさなかった。
「はみ出るだろうが」
「どうして突然ネイルなんて…」
その問いにローは答えなかった。否、答えられなかった。
ローは迫る別れに最後の思い出を作るつもりだったのだ。これまでなまえと過ごした日々を慈しむように、彼女との幸せな思い出を1つ1つ再現していく。そうして少しでもなまえに残るローとの思い出がやさしくて、愛おしいのものになるように。
マニキュアの蓋を閉め、その上からベースコートが塗られるとなまえはわぁ…と感嘆の声をもらした。
「ローさんすごく上手なんですね…。私はこんなに綺麗に塗れないです」
「…だろうな」
「ありがとうございます」
本当は以前にもこうやってマニキュアを塗ってやったことがあると伝えようかと迷ったローだったが、どうしても伝えることができなかった。
彩られた自分の爪を見てなまえは嬉しそうに笑う。
その姿をしばらく黙って見ていたローだったが、なにかを思い出したのか立ち上がるとなまえを残して部屋から出て行った。黙って出て行ったローを追いかけようとしたなまえだったが、なにか気に障るようなことをしてしまったのかと心配になり、その場を動くことができなかった。
そして10分ほど経った頃。ようやくローが戻って来た。
不安で肩を落としていたなまえが扉の音に気付き、顔を上げると目の前に鮮やかな花畑が広がった。その花畑の正体がとても大きな花束だと気付いたなまえは目を大きく見開いて、花束を差しだしているローを見やった。
「お前にだ」
「えぇ…!こんな大きな花束を私にですか…?」
「お前は花が好きだろ」
驚きのあまりなかなか花束を受け取らないなまえにローはぐいぐいと花束を彼女に押し付けた。そのたびに花束に顔を埋めてあぷあぷする彼女の姿にローの頬が緩む。
ようやくなまえが差しだされた花束を受け取る。どれほどの花を使ってこの花束は作られているのだろうか。まるで想像もつかないとばかりになまえは花束を腕に抱いた。
「綺麗…。いいんですか?この花束いただいても」
「お前のために作らせたんだ。不要なら捨てろ」
「捨てるだなんて…!こんなに素敵な花束を捨てるわけないじゃないですか」
早速花束を活ける準備に取り掛かるなまえ。その後ろ姿にローは言い表しようのない寂寞を覚えた。
本当は今すぐその手をとって抱きしめたい。愛してると自分の想いを伝えたい。なにも変わらない。なまえはなまえのはずなのにどうしてこんなにも違うのだろうか。
本当は思い出してほしい。傷付け合いながらも歩み寄った日々を、自分のことを、なにより…。
――俺を愛していたことを思い出してほしい。
「なまえ」
「なんですか?」
振り返る姿はあの頃となにも変わらないものだった。
ローは花を活け終えたなまえに手招きをすると彼女をソファに座らせた。
「嫌なら無理して俺の言うことを聞かなくていい」
「…?」
「髪を切らないか」
ほんの数日前は切るなと制したくせにとローは自身の言葉に内心悪態を吐いた。
ローの思いがけない言葉にきょとんとするなまえ。ローはそんな彼女の髪を一房すくう。
「嫌か」
「嫌じゃないですけど…。どうして急に…」
「短い髪のほうも見てみたいと思ったからだ」
本当はそんな稚拙な理由ではなかった。
――本当はなまえに未練を残させないためだった。ローはドフラミンゴを討つために船を降りることを心に決めていた。相手がドフラミンゴとなれば無事にまた船に帰って来られる可能性は低い。むしろ帰って来られない可能性の方が高いと言ってもいいだろう。
だから、船を降りると同時にローはなまえを手放す覚悟をした。いつ帰るかもわからない自分を待っていろなど、とても言えなかった。
なまえを手放す。
それが彼女にしてやれるローの最後のことだった。
「ローさんが切ってくれるんですか?」
「不安か」
「いいえ。ローさんが切ってくれるなら切ります」
ふわり。はらり。
なまえの長い髪がローの手によって切られていく。
この先に待つものが別離だと知らないなまえは切られていく自分の髪を見て可笑しそうに笑った。
「なんだかバッサリ切るのって気持ちいいですね」
「後悔しないのか」
「しないですよ。ローさんが切ってくれてますし」
「失敗しても文句言うなよ」
言わないですよと頬を緩ませるなまえ。
この表情を見ることも、髪に触れることもこれが最後になってしまうのかもしれない。本当は手放したくなんてないのだ。これから先も彼女と共に生きていきたい…――
髪を切り終えたローから手渡された鏡を覗き込んだなまえは一瞬驚いたように目を瞬かせたがすぐに柔らかく笑った。髪は肩くらいの長さに切りそろえられた。
「…悪くねぇな」
「本当ですか?」
「あぁ。よく似合ってる」
ふらりゆらり。共に過ごした時間は長いようで短いものだった。この柔らかな時間は、直に「終わり」を迎えることになる。
そう考えるとローはいても立ってもいられなくなり、なまえを後ろから抱き寄せた。
「っ、ローさん…?」
「なまえ、お前は幸せか」
ローの声はあまりにも弱いものだった。
なまえは突然抱き寄せられたことに驚いたが、すぐにローの様子がいつもと違うことに気付いて、振りかえろうとした。だが、そっと優しく自分の目元を覆うローの手にそれは拒まれた。
それはとても優しく、あたたかい手だった。
ひどく泣きたくなった。しかしなまえは込み上げてくる涙を流すまいとローの手をぎゅっと握った。
「…すまなかった」
――こんなにも傷つけてしまってからでしか手放せなくて、愛してしまって、すまなかった。
title 花畑心中