27
ローに髪を切ってもらったあの日からなまえとローは一緒に眠るようになった。ただ1つのベッドでお互いの体を寄せ合って眠る。それだけだ。しかし、互いの体温がじわりと溶け込む心地よさがなまえは好きだった。
そして今日もローと一緒にベッドに入った。「おやすみ」と優しい声音で呟き、なまえが眠りにつくまてずっとローは彼女の頭を撫でていた。
しかし、そのローの姿がどこにも見当たらない。
なまえは嫌な予感がして、ローの姿を急いで探した。しかしどこにもローの姿はない。
「ローさん…!」
なまえはすべてを思い出した。クルーたちのこと、そしてローのこと。
記憶を失っていた間のことはすべて覚えている。
記憶を失ったなまえを混乱させないようローがずっと彼女を守っていたことも、もう2度と彼女が危険な目にあわないようローが傍に寄り添っていたこと、そして、ローがとても優しい瞳でなまえを見守っていたことも、すべてだ。
逸る気持ちを抑えて船内を駆け回る。しかし、どこにもローの姿は見つけられなかった。
ふとなまえははたりと足を止めた。そして前方に見える甲板へと続く扉に呼び寄せられるように近付いた。
扉をあけるとそこには「なにも」なかった。真っ黒な海がどこまでも広がっているだけだ。月光に照らされる甲板へと一歩ずつ足を進める。
「…なまえちゃん?」
手すりに手をかけたその時だった。背後から誰かに名前を呼ばれ、なまえが弾かれたように振り返った。しかしそこに望んだ男の姿はなかった。
「シャチさん…」
「どうしたの?こんな夜遅くに…」
「シャチさん!ローさんがいないんです…!」
縋るような想いでシャチに駆け寄ると彼はひどく傷付いたかのような表情を見せた。だがすぐにその表情を振り払うといつもの屈託のない笑顔を見せた。
「キャプテンならさっき海軍から急な召集で船を降りたよ」
「海軍から…?」
「そう。だから心配しなくていいよ」
そうなまえに告げるとシャチは船内に戻るよう彼女に勧めた。
しかしなまえはその場を動かなかった。ただじっとシャチを見つめて、その瞳を揺らした。
シャチはその彼女の瞳を見ていられず、思わず視線を逸らした。
「ローさんは…、海軍に行ったんじゃないんですね…」
「…………」
「いつもローさんは私が心配しないように何処に行く時も必ず行き先を告げてくれました」
――私が記憶を失ってから、ずっと。
そうなまえが告げるとシャチは目を見開いた。
「なまえちゃん、記憶が…」
「…すべて思い出しました。ローさんのことも皆さんのことも、すべて」
ざぁっと一陣の風が甲板を吹き抜ける。その風を追うようになまえが視線を地平線に向ける姿にシャチは拳を握りしめた。
「…キャプテンはドフラミンゴを討つために船を降りたんだ」
「…………」
「キャプテンの恩人である人の想いを遂げるために。そしてすべてを清算してなまえちゃんと生きていくために…」
そう言うとシャチはゆっくりとなまえに歩みより、ポケットから先程ローから預かった手紙を彼女に手渡した。まさかこんなに早くこの手紙を彼女に渡すことになるなど誰が予想していただろうか。
なまえは手渡された手紙を見ると一筋の涙をその瞳から零した。
部屋に戻ったなまえはじっと手紙を見つめ、意を決したように涙を拭うとその封を切った。二つ折りにされた便箋を開くとひらりとなにかが彼女の膝の上に落ちた。
「マーガレット…」
それはマーガレットの押し花だった。ローがなまえに贈った初めての花だ。その花の意味を理解したなまえは込み上げてくる涙を耐え、文面に目を走らせた。
書かれていた内容はすべてなまえを気遣うものだった。体調には気をつけること、無理はしないこと、なにか不便があったならすぐにクルーに声をかけること。そして。
――もうなまえは自由だということ。
自分の意志でこれからを生きろ。それはローが彼女に伝えたい1番のことだった。
ローはなまえを愛していた。それはロー自身も気付かない頃から、ずっと、ずっとだ。
その愛したなまえの幸せをローは願った。決して、いつ帰るかもわからない自分を待っていろとは書かなかったのだ。
涙で歪む視界で文字を追っているとなまえは最後の一文の下にうっすらと何かが消された跡があることに気が付いた。涙を拭ってその跡に目を凝らす。
「あ、い、し、て…る」
愛してる。
そこには、確かにそう書かれていた。
なまえの頬を大粒の涙がいくつもいくつも伝っていく。しかしその表情はとてもやさしいものだった。
「…わたしもです…、ローさん」
手紙と押し花をその胸に抱いたなまえはそっと睫毛を伏せ、遠く離れる男への想いを呟いた。
title 花畑心中