08
――どうして、なまえだったのか。
以前なまえに問われた答えをずっとローは考えていた。能力者でもない「ただの人間の女」ではあるが、大金を積んでヒューマンショップで落札したのだから己の手元に置いて当然といえば当然だろう。飽きるまでは傍に置いておこうと思っていたのも間違いではない。しかし実際はどうだ。何度彼女に触れようと、何度彼女を抱こうと、一向に飽きる気配はない。それどころか最初の頃よりもずっと執着が増してきていることにローは気が付いていた。本来ならば裏切りが発生した時点でなまえは殺すつもりだった。だが殺すどころか、とある島で逃亡を図ったなまえを再びこの部屋に閉じ込め、あまつさえ自らのジョリーロジャーを刻み己のものであると彼女に再確認させたほどだ。
この気持ちが一体何であるのか。どうしてここまで手放すことができないのか。ローにはわからなかった。
ふと見つめていたなまえの睫毛が小さく震えたことに気が付いたローは彼女の頬に手を伸ばした。ひどく冷たい頬であった。
「目を覚ましたか。本当にお前は気を失うことが好きだな」
「ローさん…どうして…」
いつもなら行為が終わればすぐにこの部屋を出ていくはずのローが未だに自分の目の前に存在していることに驚いたなまえが掠れた声で問う。しかしローはなまえの問いには答えずにサイドテーブルに置かれていた水を手に取ると彼女に差し出した。なまえは戸惑いながらもカラカラに乾いた喉を潤そうと思い身体を起こそうとする。だが、先ほどまで手酷く抱かれた身体は彼女の意思とは反して少しも動きそうにない。なんとか震える腕で身体を起こそうと試みるも、起き上がる前に再びベッドへ沈んでしまうのだった。
その様子を見兼ねたローはなまえの背に腕を回し、そのまま己の胸元へ引き寄せた。突然のローの行動に再び抱かれるのではないかとなまえは身体を強張らせた。
「心配するな。今夜はもう手を出さねえよ」
「…本当に?」
「お望みなら抱いてやるが、どうする」
ギラリとグレーの瞳を妖しく光らせるローになまえは不安で瞳を揺らした。そんな彼女にローは「冗談だ」と言い、水を飲むように促した。
ローに言われた通り大人しくペットボトルに口をつけたなまえを確認するとローは己の胸元に収まる彼女の髪を手にとった。さらさらと指通りのいい質感の髪だ。この部屋に監禁して以来、このようにローがなまえに触れることはこれが初めてであった。いつものローからは決して想像もつかない行動になまえは戸惑いの色を隠せない。そしてじっと続く沈黙に耐えられず、先に口を開いたのは彼女のほうだった。
「いつものローさんじゃないみたいです」
「いつもみたいに手酷く扱われたいか」
「いいえ…。だけど何だか不思議な気持ちです」
穏やかな時間が二人を包み込む。部屋に響くのはローがなまえの髪を撫でる僅かな音と波の音だけ。心地いい波の揺れに強張っていたなまえの身体からも自然と力が抜けていく。なまえがそのまま身を委ねるようにローへもたれ掛かるが、彼もまた彼女の行動を受け入れた。
「ずっと考えていたことがある」
「考えていたこと?」
「なぜ自分だったのか、とお前は俺に問うたことがあっただろう」
なまえはゆっくりと記憶を遡り、以前ローに問うたその言葉を思い出した。
あれは確かこの部屋に閉じ込められ、脱走を図った後のことだっただろうか。指一本動かせそうにないほど酷く乱暴に抱かれた私はぶつけようのない悔しさと悲しみにそう呟いたのだ。家族を殺され、ヒューマンオークションで落札され、抵抗も何も許されないままこの部屋に閉じ込められた。ただただローに抱かれる毎日。そんな毎日から逃げ出すために興じた脱走劇はローの手によって、いとも簡単に幕を閉じることになった。厳しい仕置きを受け、望みもしないジョリーロジャーを胸に刻まれたあの日の絶望は今も鮮明に覚えている。月が空を支配する頃に毎晩現れるローからは決して逃げられないとその時に理解したのだ。
「その答えをずっと考えていた」
「…答えは見つかりましたか」
伺うようにローを見上げたなまえだったがその視線は決してローと交わることはなかった。彼が彼女の目元をその大きな手で塞いだからだ。
「見つからねえよ。なぜここまでお前に執着しているのかも、未だに飽きることなくお前を抱き続けているかもわからねえ」
視覚を奪われたせいでローの心音がより一層近くに聞こえる。ひどく優しいこの空間が複雑に絡んだ二人を包み込む。とくりとくりと確かに脈打つ心音になまえの瞼が段々と下がってくる。それでも彼女は微睡みの中、ぽつりとローへ呟いた。
「本当に困った人ですね…」
その一言を残し、なまえは睫を伏せた。
腕の中で見たこともない穏やかな顔で眠りについたなまえの髪にローはそっと唇を落とす。そして彼女につられるようにまた彼も眠りについたのだった。