07

深い藍色が丸い窓いっぱいに広がっていた。自分が知っている空はいつの間にこんなに丸くて、小さなものになってしまったのだろうとなまえはどこか遠くで考えた。きらきらとその藍色に浮かんでいるであろう星を最後に見たのは、ローから逃走を図ったあの日だ。それ以来、彼女はこの部屋から一度も出ていない。朝日がのぼっても、燦々と太陽の光が降り注ごうとも、月が空を支配しようとも。彼女の世界はなにひとつ変わらない。この狭い部屋でじっと安息を求めているばかりだ。
昼夜問わずこのような部屋に閉じ込められているせいで彼女の体内時計はすっかり狂ってしまっていた。今日が何月の何日で、外がどのような気候で、世界がどのように動いているのかも、今の彼女には無縁な情報であった。

ローに対する裏切りの対価はなまえが想像していたものよりずっとひどいものだった。左胸、ちょうど心臓のあたりに浮かぶローのマークはもう二度とここから消えることはないだろう。おそらく、ローはわざとこの場所にマークを刻んでいる。お前の心臓は俺が握っているのでも言いたいのだろうか。そうでなければ、こんな心臓の真上になんて彫らないだろう。このマークが意味するもの。それは、彼女がローの所有物であるということだ。
そして、悪趣味な拘束具もまたなまえを支配した。以前首に科されていたものはなくなったが、それと引き換えに与えられた手枷と足枷。それから伸びる鎖は部屋の中を移動する分には十分な長さではあるが、決してこの部屋から出ることはできない。

重工な拘束を前にいつしかローから逃げようなんて馬鹿みたいなことを彼女は考えなくなった。それどころか、そもそも自分の逃走が無謀なものだったのだとさえ考えるようになった。懸賞金元4億4000万ベリーもの七武海から、自分のような無力な女が逃げることなんて冗談もいいところである、と。

ローがかの有名な七武海の一人だと彼女が知ったのはごく最近だった。朝と夜、決まった時間に食事を運んでくるベポという名の白熊からその驚愕の事実を聞かされたのだ。
いつもはローがなまえの食事を持って現れる。しかし、その日はベポが食事を持って現れたのだから彼女も驚いた。ローだとばかり思って、構えていた彼女は重厚な扉の向こうから現れたベポにほっと胸を撫で下ろした。そこでローが海軍に出向いているということをベポに聞かされ、海賊が海軍に何用かと尋ねると、彼は七武海だったという返事が彼女に投げ出されたわけである。

そこでなまえは自分の不運に自嘲の笑みをこぼした。もし、あの日、逃走が成功していたとして、海軍に保護されたとしても自分は彼から逃げ切れたわけではなかったということではないか。七武海となれば、簡単にとはいかないがどうにかして自分を再びここに閉じ込めることができたはずである。
そこで悟ったのだ。やはり自分は彼から逃げ切ることはできない運命だったのだ、と。


そう思考を巡らせていると今日もまたその時間がやってきた。扉の向こうに人の気配を感じ、彼女が重たい体を起こす。

「なんだ、起きてたのか」

「今日は船にいらっしゃったんですね」

「俺はここの船長だ。船にいて当然だろ」

扉の向こう側から現れたのはローだった。ここ数日、ローがこの部屋に姿を現すことはなかった。恐らく、また海軍にでも出向いていたのだろう。なまえとしてはローの不在は喜ぶべきことであり、体を休ませるためにの貴重な時間であるのでローの帰還はあまり喜ばしいものではない。てっきり今日もローは不在で、ベポが食事を届けてくれるのだと考えていたなまえは内心溜め息を吐いた。

「今日もベポが来るとでも思ってたのか」

なまえの考えていることをすべて見透かしたように意地悪くローは言った。そうして彼女からの返答を待つことなくベッド脇のテーブルに食事を置く。ここ数日ならば食欲のそそる香りに空腹感を一層引き立てられていたのだが、今日はそういうわけにはいかない。なまえは目の前で自分を見下ろす男の存在がなによりも気がかりで、恐ろしかった。

「七武海だと聞きました」

「あぁ…、ベポか」

「七武海ともあろうあなたが無力で足手まといでしかない私をこの部屋に閉じ込めるわけがわかりません」

その端正な顔立ちに圧倒的な強さ、そして絶対的な権力。政府に認められた海賊の船長ともあろうこの男が、執着にも似た拘束を自分に科す理由がわからないと彼女は言った。ローに言い寄ってくる女は五万といるだろう。それなのに、何一つ取り柄のない自分をこうして部屋に閉じ込めるのはなぜか。その理由をローが不在の間ずっと考えていたのだが、なまえは未だ満足な答えを見つけられずにいた。

じっと無表情なローをなまえが見つめる。

「さぁな。お前はどうしてだと思う」

「わかりません。だからこうして聞いているのです」

ローは斑模様の帽子を脱ぐとそれを近くのチェストの上へと置いた。そして静かになまえの座るベッドに腰を下ろした。
沈黙が続く。ちらりとなまえがローを盗み見るも彼はどこか一点を見つめており、彼女に視線をやることはない。

「ローさんくらいの人なら、なにも私に執着しなくてもいいと思います」

「なにが言いたい」

「もっと都合のいい方を囲われた方がいいのではないかと思いまして」

なまえの言う分は尤もな意見であった。この広い海にはローにとって都合のいい人間がごろごろと存在するだろう。戦いの場面でも、性の場面でもきっと自分よりずっと見合った人間がいるに決まっているとなまえはわかっていた。

こうしてローに自分の不便性を説くことで、解放してくれないだろうか。そんな安易な考えが彼女の頭を過ぎった。

「そうだな、ならいっそ他の女に乗り換えようか」

「え…」

「なんだ。お前は俺から逃げ出したんだろ?」

ようやくこちらに視線を向けたローは気味が悪いほど優しい笑みを浮かべていた。

――しかし、なまえは見逃さなかった。彼のグレーの瞳の奥でゆらゆらと蠢いている妖しいそれを。

不味い。そう彼女が思った時には遅かった。骨が軋むほどの力で肩を掴まれたかと思うと次の瞬間には叩きつけるかのようにベッドに押し倒されていたのだ。

「とことんお前は頭が悪いな」

「いっ!や、ローさん、やめ…!」

鷲掴まれた胸にぎりぎりと爪が食い込み、薄い皮膚が破れたような嫌な感触になまえは背筋を震わせた。あまりの恐怖に逃げ出そうと抵抗するもローにとって彼女の抵抗は赤子の抵抗のようなもの。しかし彼の機嫌を更に損ねるには十分だったようだ。鬱陶しそうに舌打ちを零すとローはなまえを俯せにして、すぐに四つ這いの体勢をとらせた。そして手枷に繋がっている鎖を細い彼女の首に引っ掛けるとそのまま後ろに引っ張った。

「…っ、くるし…っ!」

「なぜお前をこの部屋に閉じ込めるか。なぜ俺が無力なお前に執着するか」

「ひっ、ごめんな、さ…」

「そんなこと俺が教えてほしいくらいだ」

十分に酸素を取り込めない思考はだんだんと白く靄がかかってくる。それでも体を無遠慮に這い回るローさんの手は途切れそうになるなまえの意識を繋ぎとめた。

いっそこのまま意識を失わせてくれたらどんなに幸福だろうか。おぼろげな意識の中で見たローの顔だけがどうしても彼女の頭から消えなかった。


title カカリア様