人生万事塞翁が虎

「…よく食べられますね。その細身の身体から食欲が湧くなんて考えられないです」
「まあ食べ盛りの年頃なんだろうねー、はい紫琴あーん」
「止めてください。第一、茶漬けであーんされても微妙です」

食べるように促す太宰とそれを頑なに拒否する紫琴。
4人掛けの椅子に敦の隣に紫琴その向かい側に太宰なため逃げ道がない。
一方で満面の笑みを浮かべている治は何故か茶漬けをスプーンで掬って差し出してくる

「全く貴様という奴は仕事中に『いい川だね』とか言いながらいきなり飛び込むか?お蔭で見ろ!予定が大幅に遅れてしまった!」
「出ましたね。非常識発言」

「紫琴それどういう意味―?ま、それにしても国木田君は予定表が好きだねー」
「っ!これは予定表ではない、"理想"だ!我が人生ぼ道標だ!そして、これには"仕事の相方が自殺嗜癖(マニア)とは書いていない!」


長く熱く語ったようだが彼に火を点けた張本人である太宰は全く興味なさそうに国木田を見つめる。それは紫琴も同じこと、彼の"理想像"とやらの話には飽きたのか途中で欠伸したりしている


「*%#*&%?」

ふと、今まで食べることだけに集中していた敦が疑問を口にしたが、茶漬けを頬張ったままだから全く聞き取れなかった。
"疑問"とは言ったが正確には分からない。ただ、語尾の発音が上だったためか疑問のように聞こえただけだった

「うるさい!出費計画の頁(ページ)にも俺の金で小僧がしこたま茶漬けを食うとは書いていない!」

しかし国木田には通じたのか怒ってはいるが返答したという奇妙な会話。
その反応に思わず斜め前の国木田を見てしまった紫琴。

「&…%\#@!」
「だから仕事だ!」

「#\%@!」
「今日の仕事?軍関係の仕事だが」


「何で君たち会話できてんの?ねー?紫琴あーん」
「…」

信じられないものでも見たような顔をする紫琴。
ついあーんをしていた茶漬けを食べてしまったが、それよりもこの二人の方に気がいってしまい何も考えられなかった

太宰としては紫琴が自分以外の誰かに気がいってしまうことに心底不満に思っていたが、自分が差し出した茶漬けを食べてくれたことに素直に喜びを感じたであろう。






「ああ〜食ったぁ〜もう茶漬けは10年は見たくない」

酷く充足しきって幸せそうに微笑む敦にまた国木田は怒りを覚えた

「お前…人の金で食っておいてよくもまあぬけぬけと…」
「まあ、美味しかったのなら好かったじゃないですか」

「本当に助かりました。孤児院を出て横浜に来てから食べる物も寝るところもなくあわや餓死するかと…」
「君、施設の出かい?」

太宰がそう問えば敦は苦笑いで答えた

「出というか…追い出されたんです」
「それは薄情な施設もあったものだね」

敦の複雑な過去に太宰は同情するが紫琴は逆におかしな施設と理解した。
しかし、国木田は敦の過去を聞いても全く動じず寧ろ面倒事は御免とばかりにこう言った

「おい、太宰。俺たちは恵まれぬ小僧に慈悲を垂れる篤志家じゃない、仕事に戻るぞ。清水は非番の日にすまなかったな。家に帰って休んでくれ」
「え〜ぇ私紫琴と離れるの厭だよー」

そう言えばぎゅうぎゅうと離れたくないアピールをする太宰にされるがままになっている
国木田は場所を弁えろだの他所でやれだの五月蝿いが無視だ無視。


「そういえば、さっき軍関係の仕事と仰っていましたが何のお仕事なんですか?」
「なーに、探偵だよ」

などと俗にいう【ドヤ顔】でかますが敦にはいまいちピンと来なかったのか瞬きだけして「探偵…」と復唱している

「探偵散ってもペット探しや不貞調査ではないぞ。異能集団【武装探偵社】と言えば聞いたことがあるのではないか」

国木田が付け足すように説明すれば、敦がはっとしたような表情に変わった

「(風の噂で聞いたことがあった。武装探偵社。曰く、軍や警察に頼れない危険なしごとを専門とする探偵集団。昼と夜の世界。その薄暮を取り仕切るのが【武装集団】
何でも、武装探偵社の社員の多くが異能力を持つ者だと聞くが…)」

敦は前の二人と横に目を向けてこう思う

「(この人たちがそうなのか…?)」

そんなことを思うのも無理もない。方や"理想"という概念に囚われる男、自殺嗜癖の変人
そしてそんな二人をまるで他人のように振る舞う女だ

「あ、おお〜〜!あんなところにいい鴨居が!」

ふと、太宰が敦の向こう側にある鴨居に目を輝かせて絶賛すれば紫琴は心底厭そうな顔をする

「立ち寄った茶屋で首つりの算段するな」
「違うよー?首つり健康法だよ」

紫琴はおかしなことをいう太宰に最早呆れ返っている。
それは国木田も同じこと。

「何だ其れは…」
「ええ!?国木田君知らないのー?すっごく肩凝りに効くのにー」
「何!?そうなのか!」
「ほらほらメモメモ…」

そんな都合の良すぎる健康法あるわけがない…
これは一般市民、貴族、王族全世界共通だ。
しかし、こうも引っ掛かってくれるとは…秀才に見えて天然なのかもしれない。

太宰が嘘と言ったところで騙され怒れ狂った勢いのあまり書いている途中であった万年筆が折れて、その流れで太宰に掴みかかった。否、あれは確かな殺意があった
店内には人が少ないため、
国木田の怒鳴り声が厭に響く。
そんな中、ただ一人紫琴だけは呑気に

「まあ。確かに首をつればある意味健やかな眠りを得られるので楽ですよねェ?」
「清水さん物騒な考えは止めてください!…ところで、その仕事とは一体何なのですか?」

掴みかかって説教している国木田とそれを呑気に受けている太宰に聞いたはいいがすごい勢いで聞き返されてしまったためそれに圧されて何でもないと答えてしまう
確かに秘匿義務とかはあるのだが…

「確かに誰かさんの所為で結局此方(わたし)にも話してくれなかったので、それは此方も知りたいです」
「ああ、そうだったな。今回の仕事は別に隠すような仕事ではない」
「虎探しだよ」


「……虎?」
「中島君?」

先程とは打って変わり目を丸くして驚いている様子の敦に紫琴が気になって声を掛けるも反応が無い
しかし、その様子を特に気にすることもなく太宰は続けた

「近頃、街を荒らしている『人食い虎』だよ。まあ本当に人を食ったかは知らないが、倉庫を荒らしたり畑の作物を食ったり好き放題さ。最近この近くで目撃されたらしいのだけど」

そう言うや否や、紫琴の隣の席に座っていた敦がガタッと物音を立てて後ろに傾き椅子諸共地面とご対面な形となる
その反動で積み重なっていた茶碗も割れずに済むも地面に転がっている
周囲の人々は何事かと目を向ける

「ぼ、ぼぼ僕はこ、これで失礼します…さようならっ」

くるっと向きを変えってはいはいで逃げようとする敦それを見かねた国木田が前ばっかり見て逃げている敦の襟首を掴み起き上がらせるも、諦めない敦はしゃかしゃかと必死に逃げようともがくも空気を切るだけだ


「おい小僧、貴様何か知っているな」
「ちょ、一寸国木田さん!」

まるで猫のような扱いを受けている敦に助けを出そうと国木田に声を掛けようとしたが太宰がこれを制する

「はいはーい、紫琴はいいのー首を突っ込まない」

一方で敦は国木田に首根っこを捕まれ藻掻きながらも悲痛な声を上げる

「無理だ…。奴に…人が敵う訳がない!!」
「貴様、『人食い虎』を知っているのか」

「あいつは…僕を狙っている…殺されかけたんだ!この辺に出たんなら早く逃げないと…」

と言い終わるのとほぼ同時に国木田は今まで首根っこを掴んでいた手を離した
その反応で当然、離された敦は何も支えられないまま地面に俯せの状態で倒されたが、倒される一歩手前で国木田に片方の腕を捕えられ拘束される

「小僧!茶漬け代は腕一本か全て話すかだな」
「国木田さん・・・いい加減に」

「まあまあ、紫琴。国木田君も。君がやると情報収集が尋問になる。社長にいつも云われているだろう」

紫琴が国木田に掴みかかろうとしたがまたもや太宰に肩を掴まれ止められた。それでも気が納まらずにいると太宰が紫琴の肩を何度か叩いた
そのお蔭か、少し気が納まったようで太宰もそのことに安心して目を細める

国木田が敦の傍を離れると次に太宰が近くで膝をつく

「それで、君はあの虎の何を知っている?」
「うちの孤児院あの虎にぶっ壊されたんです!」

「…虎に?」

敦が言うに孤児院の畑は荒らされ倉も吹き飛ばされた。死人こそ出なかったものの金銭の関係で経営が立ち行かなくなったと、そして敦は口減らしに追い出されたようだ


「…そりゃ災難だったね」
「経営が成り立たなくなって一方的に追い出されたなんて…不愉快極まりない話ですね」
「それで小僧、「殺されかけた」と云うののは?」

国木田がまるで事件の被害者の事情聴取みたいだがそれを思った紫琴は敢えて口を閉ざす。いざ言ってみてどんな跳ねっ返りがくるか分かったもんじゃない

敦の話はとても嘘には聞こえない。が本当にそんな都合のいいことがあるのか…?と疑問に思い始めた紫琴だが…そんな無責任なこと、苦しんでいる相手に失礼だと気付いた瞬間そんな疑問は頭から払拭した

「その虎を最後に見たのはいつの話だい?」

一人で考えている間にも話は進んでいく。太宰は敦に質問を投げかける


「鶴見の辺りであいつを見たのは確か4日前です」
「確かに虎の被害は2週間前からこっちに集中している、それに4日前に鶴見の辺りで虎の目撃証言もある」


国木田が理想のノートを広げて情報を口にする
それを踏まえ太宰がどこか考えているしぐさを見せてものすごい笑顔で口を開く

「敦君これから暇?」
「ま、ままま真逆…太宰君」


その素晴らしすぎて素敵な意味と何か企みの意味も含めた笑顔に敦と紫琴は顔を青ざめて口を金魚の如くパクパクしている


「虎探しを手伝ってくれ給え」
「嫌ですよ!」


と、拒否の声を叫び散らすもこのあとの太宰の"報酬"という魔法の言葉をかけられ…というか吊られ結局のところ引き受けることにした

一方で紫琴は敦とはまた別で嫌な予感を悟り、いち早く逃げ出そうとするがそれを見かねた太宰は逃げようとする紫琴の腕を掴み体を傾けさせる。その反動で太宰の膝の上に乗っかってしまい
嗚呼…とまるで他人ごとの様な反応が出た。

「紫琴は私と一緒に居なきゃ駄目だよ」
「はて、そんな自己中心的なルールは何処から生まれたのでしょうか?」


「私と君は運命共同体だよ。何時も一緒ではないと…ね?」

どう足掻いても腹回った腕に力を込めれ逃げ場はない。助けを求めようと近くにいた敦に目を向けると顔を真っ赤にして目のやり場に困っている
嗚呼…孤児院でしかも穀潰しと呼ばれてきた彼には当然そのような経験はないだろうな…と確信したとき太宰が紫琴の耳元に口を寄せ拒否権のない低い口調で呟いた


「協力してくれるね?私の可愛い奥さん?」
「……その呼び名を止めてくださるのなら」

嘘だ。本当は嬉しい。
そういう意味だと分かっているのか嬉しそうに自分より小さい身体の彼女を包み込んだ


――却説、虎探しも終盤かな?


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