人生万事塞翁が虎

――倉庫

「太宰さん…何を読んでいるんですか」
「いい本」
「…『完全自殺』の本がいい本だなんて…悪趣味」

真っ暗な上に音一つ立たない場所で木の箱に座って黙々と読んでいる太宰に対して不思議といったような表情で見つめる敦とその敦の隣に腰かけている程度で腕を組んで同じく呆れた顔で読書している彼を見つめる

その視線をまるで気に止めていないように続けている太宰。否、気に止めているという意味ではまた別の意味で敦をじとっと睨んでいるようだ

「ところで、何故紫琴は私の所ではなく敦君の所なのかな?返答次第では、私怒っちゃうよ?」
「どうでもいい事でしょうが。そういう子供じみた発言、世の女性は皆引きますよ?ね?中島くん」

と突然話を振られ、殆んど二人の会話を聞き流していた敦は当然驚きしどもろになりながらも必死に言葉を探す。そうして出た答えは

「え!?あ、あのその…よ、よくこんな暗いのに読めますね」
「嗚呼…吃驚するぐらい話が噛み合っていませんね…」
「目は良いから」


・・・・・

「あ、あの…本当に虎は現れるんですか?」
「現れる」

そう断言され大袈裟な程に慌てる敦と何故そう断言できるのかという疑いの眼差しを向ける紫琴
その眼差しに気づいたのか太宰が目線を本から紫琴に移し口を開いた


「ん?何か云いたげだね紫琴」
「…いえ、何でもありません」

「そう。でも心配いらない。現れても私の敵ではないよ…こう見えても武装探偵社の一隅だ」

その自信に満ち溢れた言葉をどれだけ敦が頑張っても云えない一言だった。
孤児院でもずっと【駄目な奴】と蔑まれ、今日の寝床も明日の食い扶持も知れない身で…と完全にネガティブな発言に隣で聞いていた紫琴は思わず気を落としてしまう

自分にあった過去は自分でしか分からない。自分でしか共感できない。人は皆それぞれ考えを持ち動いて日々を生きているのだ。しかし、そんな考えや生きていることさえも否定されながら生きてきた敦。
その苦痛は計り知れないだろう。




敦の身に起こったある意味【悲劇】を聞いたあとで、何を話しかけたら良いのか…同情したらいい?過去を振り替えるなと善人ぶって偉そうに説教をすればいい?
分からない…。

そう悩んでいる紫琴。一方で太宰は両膝で頭を埋めてブツブツ死んだほうが…とか一層件の虎に食われた方が…と最早救いようのない自虐発言する敦をじっと見てから顔を上げ倉庫の大きな窓越しで月を見つめた

雲隠れしているが…恐らくは満月だろう
それを見て何か思ったのか

「却説、そろそろかな…」

と云った意味を紫琴は理解できない。何がそろそろなんだ?

暫くして、外の強風が影響なのか奥の方から物がけたたましい音を立てて落ちる。
唐突なことに敦はその音が虎が近づいているという勘違いをしてしまい冷静さを忘れ、殺される不安と恐怖に怯えている

しかし、太宰はそれとは真逆にその冷静さは何処から出てくるんだ?と問いかけたくなるほど落ち着きを払っていて、紫琴は不審感を抱く。


まるで__全て予想の範疇だったように…


太宰は辻褄が合わないと云っている。
経営が成り立たなくなり、それを口実に敦を追放するなど養護施設では考えられない。
人一人や二人追放するくらいならば、いっその事半分くらいを減らして他の養護施設に預けるのが筋。



それを聞いた二人は彼が何を云っているのかまるで分からなかった。
太宰と向き合っているため後ろにいる敦は今どんな顔をしているのだろうか?養護施設の人に散々罵倒を受け続けたというのにそんな理由で追い出されたと思いきや…ふと、紫琴はある考えが頭を過った

施設の人は…中島くんに嘘を吐いていた?

しかし、何の為に?

何者かから彼を守るため?

…違う…この際逆だ。

施設の人は"施設自体"を守ろうとしたんだ。では…この場合の有害は…中島君?


でも___何故?

そう思ったとき突然敦の様子に異変が起きた。
振り向けば彼は苦しみ始めていた
反射的に敦の傍に駆け寄り安否を確認する


「君が街に来たのが2週間前、虎が街に現れたのも2週間前」



再び太宰に視線戻す。彼が苦しんでいる尚も至って冷静。
全てが謎過ぎていて想像すら出来なかったのか今、ここで明るみに出た。
つまり___太宰はこうなる事を予測していたんだ
そして、虎の正体も。

否…でも真逆…

「……太宰君、彼が苦しんでいます。救急車を」
「その必要はないよ。その苦しみももう直終わる」

納得いくわけがない。もし、彼が"そう"だとしても…苦しんでいる人がいて放って置けるわけがないだろう


「貴方、いい加減にっ」
「私の紫琴は人情深くていい子だねェ。…でも時にそれが命取りになるんだよ?」

そう言い終わるや否や、今まで道化師が持つ無数の糸に絡まれた哀れな人形に操られその苦しみに呻いていた敦の"形"が変わっていく
徐々に…徐々に"人型"から"獣"の姿へ変えられていく
手と足は凶悪な程に尖った鋭い爪。胴体は白く"あれ"特有の黒の縞模様が入り白色の毛並みが整っている
そして、あのひ弱な、怯えた顔は今凛々しくとも喰らう全てのモノを噛み千切る凶悪な牙が生えている。
その変わり果てた姿に紫琴は言葉を失う。


「……え。な、中島く」
「近づいちゃ駄目だよ。離れるんだ…紫琴、こっちにおいで」

遠くから太宰の声が聞こえるようだった。でも正確な言葉は聞こえない。そして、動けない。何故なら目の前に居る【白い虎】に怯えているのだから

あのひ弱な彼の面影は一切ない。
ただ目の前に居る獲物を捕らえ、最後は思うがままに喰らう。
現身に飢獣を降ろす月下の能力者__月下獣。その名が相応しいだろう


「紫琴、こっちに来るんだ。喰われてしまうよ?」

太宰がそう言うが、後ろに背を向けたらどうなるか…それを理解しているから太宰に飛びつけない。背を向けた暁には、背中には大きな風穴が開くだろう。
一歩、また一歩とゆっくり後退ればそれにまるで引き付けられるように"虎"もまた、一歩、一歩と"獲物"に近づく。
今"虎"の中での"獲物"は間違いなく紫琴だ。


「紫琴、後ろに背を向けても大丈夫だ。何があろうと君は私が守る。…後は私に任せ給え」

その言葉がどれだけ紫琴を安心させるか彼は知っているのだろうか…なんて今考えている場合ではない
これでは、完全に紫琴が不利な状況だ。

「だ、太宰君…」
「ん?」

「……任せても宜しいですか?」
「嗚呼、可愛い奥さんのお願いと在らば何なりと」

そう云いきってくれれば問題ない。
紫琴は安心したように笑い、"虎"側に向けていた足の踵を返し、一気に走り出した。
当然、"獲物"が逃げたと察知した"虎"も背を向けた哀れな人間に襲いかかる


たかが数十メートルだ。
しかし、虎の体調は明らかに紫琴より大きいため当然歩幅も違う
紫琴と虎の差は僅か数メートル。
そのやり方は無謀だったと思い知る。
走るのをやめ一気に襲いかかってきた虎に紫琴は思わず目を瞑った。
この際、地面に態と転んで虎が通り過ぎるというオチはどうだろうかと思ったが紫琴にやって来衝撃は地面の硬い感触ではなく、ぽふっという柔らかく包み込むような感触だった



「駄目だよ?敦くん、紫琴を食べるのは…私だけでいいんだから」
「嗚呼…最後がなかったら最高なんですがね…」


必死に抱きつきながらも不満を漏らす紫琴に太宰は一回ピシッと頭を叩けば、向かってきた虎に向き直り後ろに飛び退く

「こりゃ凄い力だ。人の首くらい簡単に圧し折れる」
「…中島君」

上手く巻くのはいいのだが、交わせば交わすほど倉庫内の被害が尋常じゃない。

そうしている内に避けて着地したところが壁であったことに気づき思わず「おっと」と声を漏らす太宰。

それを好機だと思ったのか虎が再度襲いかかってきた


「だ、だだだだ太宰君!」
「安心し給えよ。まあでも獣に喰い殺されて君と心中というのも中々悪くはない…」

そんなの真っ平御免だ。
それは、心中ではなく単なる巻き添えではないのか?


「が、君では私を殺せない。」

そう云えば、太宰の左手から白い光が現れ男はこう唱える。

「異能力《人間失格》」

太宰はそっと触れるように虎の顔の眉間に指を触れたその瞬間に虎、基敦の異能が解けた


「私の能力はあらゆる他の能力を触れただけで無効化する」


そう呟く太宰とその男に抱えられている紫琴にそして、意識を失った敦

敦は空に浮いていた脚が地面に着くとフラフラと縺れ倒れてきたところを太宰が肩に手を添え支えた


「ふむ、…男と抱き合う趣味はない」
「あっ、な、中島君!」


支えた手を思いきり払えばその反応でビタンっと床に這うように倒れた敦。
床に意識を失い倒れている彼を心配するようにおーいとか中島くん?と呼び掛けても当然反応なし。
そんな中、国木田が出入口からこちらへ走ってきた


「おい、太宰、清水!」
「嗚呼、遅かったね。虎は捕(と)らえたよ」
「つまんないですよ」


粗方を説明する太宰。最後の方に聞こえた駄洒落は聞かないようにしたが無理だった


「真逆、この小僧が…」
「此方も心臓ばっくばくです…」
「虎に変身する能力者だ。それにしても、怯えている紫琴も可愛かったなぁー私、虎じゃなくとも狼になってしまいそうだよ。ガオーって食べちゃいたい」
「その時は迷わず射殺(ヤ)るのでご心配なく」

「おい、バカップル。互いの惚気は他所でやれ。全く…何だこのメモは」

そう呆れた口調でとある一枚の紙切れを見せられると太宰と共に其れを覗き込む

『十五番街の倉庫に虎が出る。逃げられぬよう周囲を固めろ』

「実に簡潔で良いメモだ」
「用件が抜けとる。__次からは事前に説明しろ。おかげで非番の奴らまで駆り出す始末だ
皆に酒でも奢ってやれ」


そう云って出入口に目を向けると人影が現れる
闇夜の中、現れたのは4人の男女


「なンだ、怪我人はなしかい?つまんないねェ」

与謝野晶子__能力名《 君死給勿 》



「はっはっはっ
中々できるようになったじゃないか、太宰。まあ僕には遠く及ばないけどねェ」

江戸川乱歩__能力名《 超推理 》


「でもそのヒトどうするんです?自覚はなかったわけでしょ?」

宮沢賢治__能力名《 雨ニモマケズ 》


「どうする太宰?
一応、区の災害指定猛獣だぞ」

国木田独歩__能力名《 独歩吟客 》


そして、

「ふふん…実はもう決めてある」

太宰治__能力名《 人間失格 》

そうして、未だ意識を取り戻さずに倒れている敦を見つめ何を思ったのか。
こう答えが出た。


「うちの社員にする」


・・・・・

一瞬の沈黙。その軽率な発言だけでどれだけの人間を惑わすのだろうか__


「一体、何の権利がお在りでそんな大層な事を…」

清水紫琴__能力名《誰が罪》

これが事の始まり怪奇ひしめくこの街で
変人揃いの探偵社で
これより始まる怪奇譚

これが先触れ、前兆し__



中島敦__能力名《 月下獣 》


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