今から遡ること___5年前。
未だ少女が狂った青年の手中に幽閉されていた頃。
少女は一人、座敷牢で疲労困憊の中必死に己の全神経を使い精神力を繋ぎ止めている。
そうでもしなければ完全に精神がまいってしまう。
こうして繋ぎ止めているのは何時からだったか…。
しかし、精神が壊滅すればその瞬間己の身も心もあの男の手中に入ってしまう合図となる。それだけは防がなくてはならない。
だが、一介の小娘如き横浜中枢の暗部組織の幹部殿に何が出来ようか。
色恋で何とか出来るような相手では無さそうだ。
その証拠に未だあの男は彼女を穢してはいない。本当に手に入れたい存在ならば強引に相手の身体を暴くというのが男の不器用さだというのに、それに対して男は存外冷静であった。まるで、身体など何時でも奪えるなどとせせら笑うかの様に。
彼が欲しているのは彼女の身体ではなく、彼女からの愛だ。
自身を嫌っているからこそ彼女に愛して貰いたい。そしてその分彼女を愛したい。
その為なら彼女を纏う概念、精神、夢や希望を殺す。
身寄りの人間がいない彼女にとっては人生が終点の無き迷路となるだろう。
如何やって何を目指して生きていけばいいのか。
自問自答して探しても見つからない己の生き場所。
そこに太宰という人間が目の前に現れた時、生ける屍と化した彼女は彼と共に過ごすうちにこう思うだろう。
"この人は己が生きる道標だ"と。
そこまで堕ちて来てくれたのならばもう後は何も望まないだろう。
そして、そういう彼の真意があることを彼女は薄々気づいている。
だから闘っているのだ、己と。
しかし、己の手を汚さずに只自滅するのを待つだけの男は何処まで卑怯なのか。
最早、己と戦うことに疲れたというよりも彼の身勝手な行動に振り回されることに溜息が溢れる。
「おねーさん、おねーさん」
今迄、この幾つもある牢獄の空間には己だけかと思い込んでいたが、楽しそうな声色で話し掛ける声によってそんな憶測は消え去った。
声の主は二つ離れた牢獄に居る男性。
しかし、何処か幼い様に聞こえるのは気の所為だろうか。
姿を確認しようにも少し距離があり尚且つ当人が壁際に居るため明かりが灯ることがないためそれができない。
「……何方ですか?」
「おねーさん、何時も太宰さんに監禁されている人だよね?」
質問を質問で返されたことに少々戸惑いを感じたが、彼の問いへに肯定の言葉を返した。
それを聞いた彼は少し嬉しそうに云った。
「やっぱりそうなんだ!ふふっおねーさん可哀想だね。よりにもよって太宰さんに捕まっちゃうなんて」
そう同情の様な言葉を掛けられるのは不思議と心地が良かった。
こんな物騒な輩しか集まらない組織にそんな存在はいないから。
彼は愉快そうに笑いながら壁際から前に進み出た。
段々と彼に明かりが灯り姿を現した。
そして、その姿を見た紫琴は目を丸くして驚愕した。
その姿は___
「貴方…」
「僕は夢野久作。おねーさんの名前を教えて欲しいな?」
誰が見たって分かるほどに容姿が幼かったのだ。
▽
「おねーさん、僕におねーさんの名前を教えて?」
小首を傾げ、甘える様にそう強請る少年は実に愛くるしい。
しかし、何故こんなにも幼い少年が幽閉されているのか不思議だったが問いかけられる質問に答えた。
「清水…紫琴です」
「紫琴、紫琴ね」
必死に覚えるように紫琴の名前を呟く姿もまた一興。
そう思うも如何しても拭えない気持ちが勝ってしまう。
「此方も質問を良いでしょうか、夢野、君」
「おねーさん、久作って呼んで?」
云い直された事に少し驚いたがそこは素直に従う。
「…久作君は如何して此方に?見た限りですと、未だ幼い様ですが」
「だって僕、異能力者だから」
「…え」
紫琴にとって衝撃的発言に先程よりも更に目を丸くする。
しかし、だからと云って…
「だからと云って…こんなにも幼い子を投獄するなんて」
「僕…この組織の人たちに厄災って呼ばれてるんだ。人を不幸にするって…」
人を不幸にする異能力。
それを聞いた時己は如何思ったのか。
世の中には生まれつき異能力を持った人間は決して少なくはない。
この組織にだって異能力者は五万と居るだろうに…そして何よりその異能は敵対組織を殺す為即ち、人を不幸に繋がるというのに、その事実を棚に上げこんな幼子を幽閉するとは何とも醜い。
そして、自分も…。
「おねーさんは?」
唐突に話を振られ戸惑うも不思議そうに且つ楽しそうに聞く姿は異能がなければ只の純粋な子供だ。
「おねーさんはどんな異能を使うの?」
「な、何故此方が異能力者だと?」
「だって何か理由がなかったらこっんな狭い所に入れられないでしょ?太宰さんが監禁しているにしても。ここに入れられるってことは…おねーさんも誰かを殺したってことでしょ?」
ぞっとする程の厭らしい笑み。
本当に子供か?
そして、その云い方だ。
まるで、相手と自分との共通点が見つかったことに喜びを感じている様だった。
…ということはだ。
「久作君も人を…?」
「ふふっ云ったでしょ?僕の異能は人を不幸にするって」
何ということだ。齢は不明だが幼き頃から人を殺めるとは一体彼の異能力は何なのだ。
夢野久作…座敷牢に囚われた幼き少年。
彼はそんな異能力を持った己を恨んだことはないのだろうか。
「ね、おねーさん。ここから出よーよ」
「な、何を云って…それに出ようにも此方たちは捕まって」
「おねーさんは逃げたくないの?…太宰さんから」
捕まっているのだから不可能。
そう云おうとしたのに痛い所を突かれた。
逃げたいか逃げたくないかで聞かれれば誰だって逃げたいに決まっている。
こんな窮屈な空間に閉じ込められて狂わない方が如何かしている。
「…逃げたい、です」
「でしょ?だから僕と一緒に逃げよ、ねっ」
でも如何やって…とまた口を開こうとする時、
「煩いぞ」
突然見回りに来た構成員の一人がこちらに向かって来た。
組織内の誰かが居ては脱獄は不可能だ。
焦る中紫琴は久作に視線を送った時その彼の表情に思わず息を呑む。
ぼくにまかせて
口パクでそう伝えるも大人の男相手に幼子に何が出来ようか。
それは駄目だと頑なに首を横に振るも久作は笑っているだけだった。
構成員の男は紫琴の牢獄を通り過ぎ久作の座敷牢の前で止まる。
久作はおちゃらけた雰囲気でここから出たいと男に話しかけると当然男は否定し彼に黙る様に云い聞かせる。
すると、
「おにーさん一人くらい僕殺せちゃうよ?」
それは遠回しの反発であり男にとって屈辱であった。
幼子に馬鹿にされた男は当然怒り持っていた乱射銃を手に銃口を彼に向けた。
それを見た紫琴は当然動揺し何も出来ないことを承知して男に止めるように叫ぶ。
「やめて下さい!彼はまだ幼いのですよ!彼を殺すのでしたら彼の代わりに此方を…此方を殺して下さい!」
「ダメだよおねーさん。そんなこと云ったらかわいそーだよ。…このおにーさんが」
一瞬、久作の云ったことが理解できなかった紫琴。
しかし、久作は心底楽しそうに銃を構えている男に"ねっ"と語りかけると男の顔に先程は無かった汗水が垂れる。
それは無言の肯定であり、沸き起こる恐怖を意味した。
「如何いう…」
「このおにーさんの上司ってすっごーく怖い人でね。もしもおねーさんを殺しちゃったらおにーさんその上司に殺されちゃうんだよね。…太宰さんっていう人に」
その名を聞いただけで一体どれだけ心臓の音の速さが急速に早まることだろうか。
その話を聞いた時恐怖というよりも何処か納得できる部分もある。
あれだけ執着されてれば自惚れるという言葉すらも不相応になるだろう。
「おねーさん、待っててね。すぐに終わらすから」
年相応の無邪気な笑みを浮かべる彼であったが一体何をしようとしているのかその真意は判らなかった。
その微笑みに隠された本当の彼の気持ちを今思えば判ってあげなくてはならなかったのかもしれない。
彼の異能力___ドグラ・マグラ。
先程までは無かったが、今彼の手中には不気味な人形がある。
『厄災』という不名誉な肩書きを持った少年の異能力を目の当たりにした時、己はこの少年の恐ろしさをしかと脳内に焼き付けることだろう。
目の前に広がるのは実に悲惨。
助けを求め空気を切るだけの伸ばされた手は次第に脱力し、今まで嫌悪に満ち溢れた状態で久作を見る瞳は焦点を合わせず次第に白濁する。
そして、あまりに悲痛で苦しげに叫び喘ぐ声が己の鼓膜にまでに浸透しそうが為に耳を塞ぐ。
やがてその叫び声が止み地に何かが倒れた音がここ一体に響いた。
そして、程なくしてギィィと鉄製特有の錆びた部分が擦れた音が響いた時この現状に似つかわしくない愉快な声が閉塞した耳越しに聞こえた。
「おねーさん、お待たせ♪行こっ」
何故、人を一人殺したのにそうやって笑っていられる。
何故、届かぬ鍵穴に鍵を差し込む為に屍と化した男をまるで元からそこにあったかのような平然とした様子で踏み台に出来る。
何故、何故…子供なのに殺し慣れている。
呆然とした様子の中、己が収容されている籠の扉が開くのを只々凝然と見ていた。
しかし、何処か開放感があるのは気の所為だと思いたい。
年相応の己に差し伸べる手、年相応の笑顔だけど、殺しに関しては年不相応だった。
出れたことに素直に喜ぶ彼とは反対に何も反応しない己に腹を立てたのか強引にその小さな手を伸ばし己の手首を掴み前は進み出る。
久しぶりの外の空間。鉄格子で視界不良であったことに慣れてしまっていたのか何も障害のない視界は新鮮だ。
地に転がる死体を除いては。
「どこ行こうかなー。遊園地とか、水族館とか…あ、ねえ!おねーさんは何処に行きたい?」
一度云い聞かせた方が良いのだろうか。
これは単なる外出ではなく脱走だということを。
これは先程の男の怖い上司に見つかったらかなり拙いのではないだろうか。
何をされるのか判ったもんじゃない。
というより、その場で射殺も有り得る。
そう思うと急速に冷えていく脳内。
「久作君、矢張り逃げたら拙いのでは?その…太宰さんに見つかったりしたら」
「分かってるよ。でも行きたいんだもん。…おねーさんと楽しいことがしたい」
この瞳は偽りなのかはたまた真実なのか…しかし、逃げたいと己が云った。
その無謀とも云える願いを彼は叶えてくれた。手口が残酷だとしても大人相手に一人で立ち向かったのは容易ではないだろう。
そして、実行に移したのは彼だとしても己も共犯。
だったら今度は己が彼を守る番だ。
「…判った。では、近場に水族館があるのでそこに行きましょう。しかし、警戒は怠らないこと、此方から決して離れないこと、この条件を守りなさい。此方も何があっても貴方は守ります。譬え…あの人が相手でも」
そう云って今度は己の手を久作に差し伸べた。
それを久作は嬉しそうに手を取りそのまま引っ張った。
幼子の腕力など高が知れているがその無邪気な様子に呆れ気味の笑みが零れた紫琴であった。
▽数十分後
「こ、れは…一体」
紫琴と久作が仲良く脱走して早数十分、一方その頃と或る部下が見回りに行った同期が戻っていない事に気付きそこに居るであろう場所に辿り着いた時言葉を失っただろう。
目の前に広がるのはもぬけの殻となった扉が開きっ放しの座敷牢にその犠牲となったであろう同期の死体。
脱走と暫くして悟った男は直ぐに上司に報告。
そうして冒頭に至る。
「Qが逃げたってことかい。部下を殺して…しかも…」
地に転がる部下の死体の前に跪き小さく呟く上司。
聞こえ辛くとも分かる。
彼の部下はそれに続ける言葉すらも。
その時折見せる殺気立った表情は恐ろしい。
何人視線だけで射殺せるか云えたものではない。
怒りに震えた声で呟く。
「私の紫琴を連れ去って…」
Qもとい久作の脱走は最早慣れてしまっている。しかし、愛し君を巻き込んでの脱走は今回が初めてである。
立ち上がり、元は彼女が居た牢獄に足を踏み入れすうっと息を取り込む。
彼女の匂い跡だけでその場に彼女が居るかのように幻覚を見させているのかもしれない。
嗚呼…矢張り彼女だけ防音設備の整った特別な牢獄にしておけば良かったなど、今となっては只の負け惜しみに過ぎない。
「太宰幹部、如何致しましょう」
「如何するって決まっているだろう。…早く見つけ出して捕えろ」
そう振り返って令を下せば早急に部下たちが踵を返しその場から立ち去った。
部下たちの姿が無くなり静まり返った中、太宰は懐から何やら黒い無機質物を取り出した。
そこには小さな液晶画面とその中に地図を映しており赤く点滅している部分が動いているように見えるのはそこに居る者の位置情報を示しているようだった。
その画面を見つめクツリと不気味な笑みを浮かべる男。
こんな己を部下たちが知る由も無いだろう。
画面上にある赤い点滅をさも彼女自身であるかのように愛おしそうに指で撫で譫言のように呟く。
「嗚呼…紫琴、君は私からは決して逃げられない。何故なら、私自身が君の牢獄なのだから」
そう云って黒い無機質物もとい発信器を懐にしまい込み己も自室へと戻る。
愛し君を餓鬼一人から救うために。
続く
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