一つの誤解から始まる悲劇
横浜市内の街頭。
白昼の中の街は人が賑わい談笑している声が少年ーー、敦の耳に嫌でも届く。
しかし、当の敦は煩わしく思わず、寧ろ彼はぐったりと疲労が蓄積した身体を持ち上げ前を歩くことで精一杯かの様に必死に足を前に踏み出す。
「ぐぬぬ…ふぅあー。善く眠れなかった…」
そう云いながらも敦は周りの風景を見て感嘆する。
矢張り
横浜は県内の中でも一番東京に近いからか他のよりも都会感がある。
見渡す限り人の笑顔が映り思わず敦も笑みを浮かべる。
「…あれ?」
そんな中、街に外れた光が差し込まない所謂路地裏に人の姿が2つ。この距離なので二人の表情を見るには何処かの民族の視力を借りなければならないが如何やら話し込んでいるみたいだ。
しかし、敦はその中の一人の佇まいに見覚えがあるのか街中の歩道の流れを無視し一人大勢の民間人を掻き分かる。
段々と明らかになっていく。それと同時に彼らの表情も伺うこととなる。
「太宰…さん?」
あの
駱駝色の外套にモサモサした黒髪の髪型は太宰だ。
しかし、一つの長身のシルエットは太宰だとしたらもう一人はそんな彼が執着して止まない彼女だろうか。
しかし、彼女ならばそんな人気のない所で談笑しないだろう。
敦は不思議に思ったが、次の瞬間、もう一方の姿が太宰の胸に手を重ね低身長な身体を必死に伸ばし彼の顔に己の顔を近づけた。
その行動が、姿が見えた時、敦は唖然とその場に立ち尽くし気が付いたら自然と身体の向きは探偵社への向き、心の中で絶叫しながらもその足で探偵社へと出勤して行った。
▽ーー「太宰!太宰は何処だ!」
白昼真っ只中の探偵社内に"理想"という概念を追い求める男が慌しく動き回る。
恐らく彼が恐らく自身が呼ぶその人物の称であろう固有名詞が彼の怒りに触れる唯一無二の理由だろう。
その問いは彼此数百は下らない。
それ程、男が求め叫ぶ者の事を悪く云うのならば自由奔放、この世の常識、或いはルールという概念がない非道理的主義者。
オブラートに包めば周りの人間からどの様な非の言葉を掛けられても、罵られても己独自の道を進む因習や迷信に囚われない人間。
そんな彼が行方不明など今に始まったことではなかった。
それに、太宰なら一度見た。恋人である彼女と白昼から親密であったのだから。
この後出勤して来るだろう。
「敦、太宰を知らんか!或いは街で見かけたか」
「え、ええ!?太宰さんなら先程見かけましたけど」
「何、本当か!?」
「は、はい。それに清水さんと一緒に」
そこまで云うと国木田は深く溜息を吐きそうかと頷く。
一体なんだと云うのだ。
「あ、あの…お二人が如何かしましたか?」
「いや、実はお前が非番だった昨夜清水が熱を出してな…現在は念の為自宅療養中だ。それに、先刻清水と連絡を取ったが奴は2日前から無断外泊をしているらしい…。真逆と思ったがお前の証言で明らかとなった」
まるで潜伏した犯人を探り出そうする一介の刑事の様だったが、そんな事は敦の脳内には入らなかった。今聞かされた上司たちの状況に彼の脳内は全面白背景。
敦は思わず息を呑んだ。
「あ、あの…国木田さん。清水さんッて…熱を出されたんですか?それに…太宰さんが無断外泊!?」
「ああ、そうだが。太宰絡みになると熱が下がったから行きますと聞かなくてな…。若し万が一社員の誰かに感染したら如何するんだと云えば収まった。少々無慈悲過ぎたが今の奴にはこれが一番だろう。それに清水には切り札となってもらわなくては」
嗚呼…では完全にあのもう一方の姿は紫琴ではないではないか。
では、誰だ?所謂浮気?太宰は彼女を裏切ったのか?
そもそも、先程から気になっているが国木田の慌ただしさが異常だ。
通常の動きの三倍はある。
「あ、あの、これから依頼ですか?」
「…俺じゃない。太宰だ」
嗚呼、成る程。と思わず頷いてしまったがそれは大変な事態だということに気づく。
その彼は今、知らぬ女と密会中。
これを云うべきか否か…。敦が苦しみ血を吐く勢いで悩む。至極如何でもいい一大決心だろう。
「太宰…さんですか」
「ああ。或る女性が何ヶ月か前にストーカー被害に遭っているから自分を護衛をして欲しいという連絡が今朝方にあった。その被害者の女性は太宰を指名している」
「…ストーカー?」
「…ストーカーねェ。それは人間の屑がすることさ。妾だったらそのストーカーの男をとっ捕まえたとして…指を何本切り落としても気が済まないよ」
「よ、与謝野さん…」
いつの間にソファに寛いでいた探偵社専属医師、与謝野晶子は何処から取り出したのか鋸の刃に触れ卑しく笑う。
敦はその威圧的な表情に恐れを抱き国木田の方れ身体を向き変えた。
「…俺も敦も先日の事件の報告書が未だだ。それにここで人員を割くには些か危険だな…あまり社を開ける訳にはいくまい。…仕方あるまい。…仕事中毒の
彼奴に頼もう」
そう云って国木田は
懐中から携帯電話を取り出し今家内で暇を持て余しているだろう彼女に掛けた。
▽
「…はい。…あ、国木田さん。はい。…え?太宰君がですか?はい。は?…ええ分かりました、では此方の方で捜してみますね」
今朝方に熱は下がったものの未だ少し怠い感じが残っているが、そんな事で社に迷惑を掛けるわけにはいかないと、国木田に連絡したは良いが感染者が出たら如何すると一喝されてしまい強制休養。
だが、そんな彼から先程連絡された事は太宰の捜索。
無理のないように捜せ。などと国木田らしいフォローだがそんな匙加減気にすることもない。
しかし太宰に関しては気にはなっていた。
何せ昨日は極希に起こる無断外泊だったのだから。
挙句、連絡しても応答なしの一体何処で何をしているのか全く把握出来ない状況だ。
ポートマフィアに誘拐という前科もあるため落ち着いていられない。
「取り敢えず太宰君が行きそうな所を捜しますか」
こうして、探偵社入社後何度目かの太宰の捜索劇が幕を開けた。
▽市内街頭
太宰捜索劇開始から早数十分が経過した。
しかし、今の所太宰が行きそうな場所、通りそうな場所を近辺にいた民間人に片っ端から聞き込みしていたものの何も成果は挙げられなかった。
最近太宰が己の私物に発信機を付け行く場所通る場所を監視していることが発覚し激号したある日を思い出す。
別に方向音痴という訳では無いが、何故彼がそんな行動に出たかというと…理由は簡単だった。
「ここの所紫琴と帰宅することが激減しているからねェ。紫琴が何か私に云えない良からぬ事をしているんじゃないかって心配なんだ」
実に簡単であって、今となっては実に腹立たしい理由だった。
何故、その時に云わなかったのだろう。
"何か良からぬ事をしているのはそう云っている貴方ではないか?"と。
しかし、過去は過去。今は起こっている現状を何とかせねばならない。
止めていた足を再び前へ進み出そうとした時、背後から己を呼ぶ声が響く。
「ーーさーん!清水さーん!」
「あ、中島君…如何してこちらに」
「如何してって清水さんが心配で…だって聞けば未だ熱が完治していないって云うじゃないですか。僕が付き添いますよ」
嗚呼…何ていい子なんだろう。こんなに誠実な子は社内では賢治の他に見たことがない。
久々の邂逅だ。良くぞ我社に入社してくれた。と今更ながら感謝する人。
しかし、発熱したのは明らかに自己責任。他人に況してや後輩に迷惑をかける訳にはいかない。というより己のプライドが許さない。
「そんなことで態々此方を追いかけてきたのですか?それに別に完治していないわけでは…」
「清水さん…今日ご自分で鏡を見ましたか?」
唐突に発せられた問いかけに一瞬瞬きを忘れきょとんとするが、意味を理解したようで首を横に振る。
そんな紫琴の反応にどこか納得したようで心配そうな面持ちで口を開いた。
「清水さん、顔が真っ赤ですよ?太宰さんが心配でよく眠れなかったンじゃないですか?」
「ッ…、そ、そんなことないじゃ、ないですか。それに太宰君が外泊なんて…今日が初めてじゃないですし?」
「清水さん語尾が疑問符になってますよ」
追い討ちをかけるかのようならしくない敦の言動に圧倒される紫琴。
敦の云った通りだ。昨夜なんて携帯を握りしめたまま床に就いたが結局の所睡眠は皆無だ。
充血は免れたものの隈は日に日に濃くなっていくものだから本当に困る。
挙句、捜索に出る間際に体温計で測ったら初期の段階と同じ体温だったという不幸の連鎖。
もう一度云おう、本当に困る。
ぶつけようのない怒りを愛くるしい赤ん坊のような純粋の塊で出来た敦にぶつける訳にもいかず…
俯いている彼女を見て何を思ったのか敦は安心させようとできるだけ笑みを浮かべてこう云った。
「と、取り敢えず…無理だと思ったら云って下さい。何時でも助けられるように僕も気を付けていますから」
「…ご迷惑をおかけします」
そうして、紫琴に敦が加わり太宰捜索が本格的に始動しようとする正にその一歩を踏み出す時であった。
「おォーい。そこのお嬢さん」
不意に背後から声を掛けられて思わず身構えたが振り返るとそこには何時も太宰絡みの悪い意味でお世話になっている漁業の老男であった。
「…は、はい」
「アンタ、あの黒髪の社員さんと別れたんか?」
「…え、」
これもまた唐突な問いかけに今度は心臓がまるで嫌な予感を察知したかの様な音を立て始めた。
そんな根拠ない事を…と一蹴すればそれですむものを…如何してこうも人間は貪欲なのだろう。
「ど、如何いうことでしょう」
ここで後悔した。敦が止めたそうな表情をしていた事にも気付けば良かった。
そうすれば、心臓が握りしめられた様な苦痛に耐える事も無かっただろうに…
「御宅の社員さん、昼間っから綺麗なお姉さんとお熱かったんだよ…てっきりアンタとは別れたんかなと思ってたが、違うんかい?」