I'm greedy for you

「本当に御免なさい、中島君。今思えば、変人が川に流れていた時から貴方の人生は狂い始めていたのかもしれませんね」
「い、いえ。謝らないで下さい!それに、清水さんだって僕を助けてくれました。…僕は太宰さんにも清水さんにもそんな僕を受け入れてくれた国木田さんにも感謝してます」

「…では変人の愚行は赦免という事で宜しいのですか」
「赦免なんてやめて下さい。僕は別に怒っていませんよ」

___これは或る新人社員が武装探偵社に入所して間もない頃。

▽某日、数時間前___ 武装探偵社内

「小僧。以前にも云ったが入所した以上、貴様も探偵社の一隅なのだ。それをしかと貴様の脳内に焼き付ける為今日、貴様を上司の任務に同行させる」

眼鏡が特徴の長身、国木田は未だ入所して間もない新人社員、敦の前に立ちはだかりこう云った。
一体何の為に…と聞こうにも先に説明された為再度聞こうものならその骨張った手で拳を作り己の顔面に怒りの意を示されることとなるだろう。

だから敢えて云わない。
だって怖いから。

孤児院育ちの己には如何やら己の身体の影響を及ぼす為の危険察知は万能の様だ。
普段ならこの上ない位に鈍感な癖に人間とは熟不可思議な生き物でそんな己に幾呆れる。

「…聞いているのか小僧」
「え…、は、はい!」

凝然と己の身体への有害のことを思う許りに思わず幻影を追ってしまった。
敦の態度が気に入らなかったのかその言葉で、その面持ちで一体何人の人間が気絶するだろうか。
とっさに取った対応が素っ頓狂なところが未だ未熟さを残した餓鬼である。

「兎に角貴様を付ける上司を決めなければ。…貴様を拾ったのは他でもない太宰の奴だ。即ち貴様は太宰が請け負う依頼に付き添え」

太宰…先日己が飢餓で苦しんでいた時河辺で拾った長身で変人な男。
助けてもらったのにその物云いは引け目を感じるが。仕様がない。何故なら事実なのだから。

しかし、国木田の云う事が正しいのであれば、己はその太宰とか云う変人に拾われた事になるが、川に溺れていたというよりも自ら飛び込んだ川に流れていた彼を不本意ながら助けた己は一体何なのだろう。
彼は死にたがっていたが、目の前で逆さまになって流れている人間を見れば誰だって焦る。
しかし、彼の仕事振りには興味がある自分が居るのは人間ならではの貪欲の持ち主だからか。

「はい。分かりました」
「ああ。太宰も分かったな!今日は一日この小僧を付ける、故に勝手な行動は…おい、谷崎。太宰は如何した」
「あ、あァ…太宰さんなら先程までここソファに居たンですが…」

谷崎と云う少し気弱な部分を見せる少年は国木田の問いかけに対し怯えた様に話す。
如何やら己と一緒の人物は居るらしい。それが少し己に安心感を得させた。少し不謹慎だが。

「何!?…清水!太宰は何処だ」
「…さァ?」
「さァではない!貴様が居ながら何故取り逃がす」

国木田の問いへを小首を傾げる事で返答する乙女、清水紫琴。太宰と同様に河川敷にて遭遇した何処か闇のある雰囲気を持つ少女。
異能力の詳細は正確には不明。
しかし、一つだけ分かること。それは、太宰が彼女に対して異常な執着を見せていることだ。

「仕方あるまい、清水。お前に太宰の代役を任せる。それと、可能ならば帰社時にあの莫迦を連れ戻してくれるか」
「…承知しました」

そう云って彼女は荷物をまとめ己の前に立つ。
そうして、手を差し伸べた。

「改めて、清水紫琴です。此方の職務態度が貴方への良いお手本になれば幸いです」
「…あっ、中島敦です。よろしくお願いします!」

そうして、敦の職務研修は始まった。

___時は冒頭に巻き戻る。
紫琴の依頼は既に完遂しており私と共に帰社中である。
課せられた任務とは市内に爆弾が設置されたという情報を基に爆弾処理犯と同行するというものだ。
結局のところ爆弾は不発弾であり被害者はおらず犯人は即座に逮捕された。

「犯人、捕まって善かったですね」
「そうですね。…乱歩さんが出る幕も無いような馬鹿馬鹿しい事件でしたからね
「…え?」

最後の部分が聞き取れなかった敦は首を傾げたが紫琴はまるで無かったかのような風に微笑みはぐらかす。

「…いえ、そういえば如何でしたか?此方の職務態度は」
「え、あ、はあ。武装探偵社と雖も探偵らしい依頼も請け負うンですね。清水さんが鑑識の方に状況を聞いている姿は探偵そのものでした」
「ふふっ可笑しな事を仰るのですね。探偵は皆そういうものでしょう?」

"まあそうですね"と同感し二人して笑う。
すると、彼らが歩いている歩道の先に何やら何者かの甘やかな誘う声が聞こえた。

「やァ、お嬢さん。私と心中してみない?」

何処かで聞いたことのあるような声だと思えばそういう事かと納得した表情に変わる彼ら。
何処ぞの悪徳商法か何かかと思いその場を立ち去る人間も居ればその口説く愚かな男の容姿を見て頬を赤く染めその手を取ろうとする者も居る。

「…清水さん、あれって」
「しっ、目を合わせてはいけませんよ」
「太宰さんは変人であっても不審者ではないですよっ」

敦の指摘を無視し彼の腕を軽く引っ張りその場を後にしようとする紫琴だったが、彼の脳内には清水紫琴専用の感知器が付いて居るのか彼の視線は清楚な女性から振り向き彼らに向いた。

「おやァ紫琴に敦君。二人で何して居るのかな?」
「見ての通り、依頼ですよ。まァ帰社中ではありますが…貴方の代役で今回の此方の依頼に中島君が同行して頂いたのですよ」

相手にされなくなった事に拗ねて去って行く女性に目もくれず紫琴の姿一点にして見つめた。
そして、彼女から発せられる状況説明に訝しげに復唱する太宰。

「へえ、依頼…ね。二人で」
「そう云いましたが…太宰君こそ白昼堂々歩道で女性を次々と唆しておいでですか」
「厭だなァ、紫琴が厭がる事は私何もしてないよ?唯ご一緒に如何かなと良かれと思って誘っただけだよ」

「誰も良いと思わないでしょう、そんな人の形した異類異形からの誘いなど」
「おや、それは手厳しいね。…それにしても、何時迄君は敦君の手首に触れている心算だい?」

その言葉に一瞬小首を傾げそうになったが彼の視線を辿って見れば確かに未だ敦の手首を握っていた。
如何やら先程敦の腕を引っ張った際にそのまま握っていた様だ。

「あァ…先程貴方の姿を見て咄嗟にですね」
「…何故私の姿を見て敦君の手首を握る必要があるんだい」
「ですから咄嗟だと云っています。…中島君行きましょう。定刻を過ぎています。太宰君も、社に戻らないと後々大変ですよ」

では失礼と云って即刻この男から離れたいと思うのは何故か。
そんなの簡単な事だ。恋愛漫画の読み過ぎに生じたませきった小学生でも判る回答。

「帰るのは勝手だが…先ず、今すぐ手を敦君の腕から離そうか。…紫琴」

恋人の男性が唯一嫌うとされる典型的な相手の女性の行動。
己とは別の異性に触れている事、それしかないだろう。
しかし、妬みの感情を本人の前で曝け出すというのは稀に見る行動だ。
云うなれば…修羅場という言葉が正しいのだろうか。
紫琴は太宰の言葉にまるで聞き飽きたかの様に溜息を溢し潔く手を離した。

「…別に貴方が思う様な事はしていませんよ。断じて」
「あ、あの…清水さん。僕先に帰って国木田さんに報告して来ますね。それと、…事情も説明します」
「嗚呼…それが良い。そうしてくれ給え敦君、私は未だ紫琴と話すことがあるからね」

その言葉を最後に敦は半ばその場から立ち去る様にして走って行った。
その男性ながらも華奢な背を見届けると紫琴は再度溜息を溢す。

「何か…申し訳ないです」
「うん?それは私にかい、それとも敦君」
「中島君に決まっているでしょう」

そう云って盛大に目線を上にして睨めば案の定何故か喜ぶ自称奥さんと呼ぶ者。
この男には反省という概念が皆無な様だ。

「じゃァ、敦君が報告しに行ってくれているという事はそのまま直帰して善いということかな」
「善くないでしょう。それに…これ以上貴方と居ると何か起こりそうなので」
「何かって何?」

当然、凡人だろうが超人だろうが何かという疑問を表す代名詞を使わればそれを示す何かを知りたがるに決まっているのに咄嗟に口に出てしまった。
何と云われても…と発言した身でありながらその意味は分からない。
譬えるならばーーー

「…頭からこう、喰われてしまう様な?」

疑問符で終わった事は流して欲しい。
何てったって分からないんだから。
何かということを己でも予測出来ないのだから無理もないと認識して欲しい。
なのに、目の前の男はこの珍発言に嗤うどころか口角を上げ楽しそうに不敵に笑う。
この表情…知っている。
この表情をする時はーー少なからず、己の身が危険に晒されている時だ。

詰まり…かなり拙い状況だ。

「へェ?喰われる…私に」
「え、い、いやァ?そんな事い、云ったかなあ?なんて。…帰ります」

最大限までにしらを切り彼とある程度の距離を取った瞬間その場から立ち去ろうとしたが、ここで身長差の憎さが蘇る。
彼は数十糎あった距離を腕を伸ばすだけで距離を潰した。
まるで、羽根を伸ばすかの様に軽く腕を伸ばしただけで紫琴を捕らえたのだ。
彼女の腕の引き際にーー

「何も逃げたりしなくても…別に何もしないよ紫琴」

そうして彼女の身体が彼の胸にぶつかり収まったところで一言彼女の脳内から身体の細胞に至るまで浸み込ませる為に耳元で呟いたのだ。

「ーー今は」

低音で喋る彼の表情は今どんな風なのか。
そんな下らない事を考える様にしてもその言葉が反響して響き渡る。

「私の可愛い奥さん、旦那を…私をあまり怒らせないでね?」

先程の一部始終でこの怒り様。
若し、本当に浮気をしようなど、彼を裏切る様な行動をとるものならその時、一体己は如何なるのだろうかと思ってしまい思わず身が震える。
善くて永遠の不自由、悪くて殺害。
そう思っても仕様がないだろう。

彼の過去の彼女への仕打ちの経歴を見れば一目瞭然だ。
彼女を得る為なら手段を選ばない。
これは憶測ではなく彼自身から発せられた言葉だ。

若し己が死んだなら、その時はーーそれが、己の終わりであり、彼の生の始まりだろう。
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