「―――その傷、私の人間失格では治せないのかい?」
彼の言葉に一瞬困惑するも、すぐに言いたいことを理解した。異能によって出来たこの傷を彼の異能無効化の能力で治すことはできないのか、ということか。
「……そういえば、試したことなかったですね」
太宰さんに直接触れられたことはなかったはずだ。女性に対してはスキンシップが激しいように見える太宰さんだが、私に対してはからかうように声をかけることはあっても触れてくることはなかった。
「物は試しだ。やってみよう」
「そうですね、どうぞ」
「ではお構いなく」
再度椅子に座りこんだ太宰さんが私の手を取った。いつもの女性を軟派するときのような優雅な所作に、心臓がひやりとする。
「……何か変わった様子はあるかい?」
「いえ、何も。そもそもこの傷、異能の副作用でしかないのでいくら無効化したところで意味ないんじゃ?」
「うーん、それもそうだね。なんだ、つまらないの」
ちぇっと唇を尖らせる太宰さんに、いや何をおもしろがっているんだと突っ込みそうになったがぐっと堪える。それに意味がないとわかった時点で手を離せばいいものを、いつまでも私の手を握ったまま手のひらをなぞったり指を絡ませたりするものだから、どう反応すればいいのか困ってしまった。全くこの人は何をしたいのかさっぱり理解できない。
「あの、太宰さ―――――」
「それにしても、人魚姫みたいだよねえ」
私の言葉を遮って太宰さんが呟いた。
「人魚姫?」
「なまえちゃんが、だよ。人魚姫は王子に憧れて声と引き換えに足を手に入れるだろう?でもそこまでしてやっと手に入れた足は、一歩ごとに鋭いナイフの上を歩いているかのような痛みに襲われるんだよ。その痛みすら我慢して王子の隣にいることを決めた人魚姫となまえちゃんがどこか重なるなあと思ってさ」
「声と引き換えに、ってのは知ってましたけどそんな設定もあるんですね……。え、でもそれ完全なるバッドエンドじゃないですか!」
「はは、確かに。そうならないことを願ってるよ」
そう喋っている間も、太宰さんの手が離れることはなかった。そろそろ離してもらえないかなと口を開けようとした、そのとき。
「おい太宰、手前何してやがる」
「………なかはら、さん」
噂をすれば云々とはよく言ったもので、さっきまでまさに会話にしていた中原さん自身がそこにいた。思いっきり顔をしかめているその形相から推測するに、相当いらついている。やばい。本能的にそう察した。
「何って、何も?」
「嘘つけ、その手は如何した。なに勝手に俺の後輩を口説いてるんだって聞いてんだよ」
「中也が心配しているようなことは何もないから安心し給え。ちょっと楽しくお喋りしていただけだよ」
太宰さんはあっけからんと言い放ち、やっと私の手を放したかと思うとその手をヒラヒラと振った。
「なまえちゃん、お大事にね。それじゃ私はこれで」
そう言い残すといつものように喰えない笑みを浮かべて去っていった。まるで嵐だ。残された中原さんとの間に広がる不穏な空気に、息が詰まりそうになる。だって絶対、今日の中原さんは機嫌がよろしくない。
「………おい、」
「ひいっ!!なんでございましょう!!!」
すると、中原さんがふっと顔を緩めてけらけらと笑った。
「なんだよその敬語。そんな畏まる必要ねえだろ」
「は、はあ」
「目ェ覚めたようで安心した」
「はい、ちょうど先ほど。タイミングよく太宰さんがお見舞いに来てくださって」
「………思ってたより太宰の野郎と仲良いんだな」
「へ、」
いや、私はむしろあの人苦手です。そこまで言うのはさすがに失礼な気がして口ごもる。今日の中原さんはなんだからしくない。
「――いや、気にすんな。ったく、心配かけさせやがって。いつの間に気を失ってるから焦ったぜ」
「それは……すみません。お手数をおかけしてしまって」
「別に謝る必要はねえよ。……それより、その脚の傷なんだが」
びくり。さっきの太宰さんの言葉を思い出して、咄嗟に身構える。
「随分とひどい怪我だったが、俺のいない間に誰かにやられたのか?それとも其の包帯と何か関係があるのか?」
中原さんの声はあくまで穏やかで、とても追及しているようには感じられなかった。しかし、その目は確かに私の不可解な怪我に疑問を投げかけている。
それでも真実を言うわけにはいかない。
「ちょっと敵にやられちゃいました。私の実力不足ですね」
そう言って、へらへらと無理やり笑った。いや、笑いきれなくて少し困った顔をしていたかもしれない。とにかく誤魔化そうと、下手な作り笑いで受け流した。
「、そうか。まあ、みょうじが話したくないことなら無理には聞かねえよ」
「……すみません。ありがとうございます」
「だから、手前はそのすぐ謝る癖を何とかしろよ。あともう無理すんなよ。これもさんざ言わせやがって」
「すみま……、っ、善処します」
「ふっ、言った傍からじゃねえか」
そう言って私の頭を中原さんの手がくしゃくしゃっと乱雑に撫でた。突然のことに体が硬直する。
「ちょっ、中原さん、」
「ま、元気そうで良かった。早く治せよ。もう少しいたいところだが生憎まだ仕事があるんでな」
「もちろんです。お見舞いわざわざありがとうございました」
「ああ」
誰もいなくなった部屋でこっそり、自分の頭に手を伸ばして少し乱れた髪を撫でつけた。手袋越しの彼のぬくもりがまだ残っているような気がしたのは、きっと私の思い込みだ。
******
最初に青鯖野郎とみょうじが仲睦まじく会話しているのを見たときは焦った。腹の底からどろどろしたものが沸々と湧いて出てくるような、今まで経験したことのない感情に何故かどうしようもなく不安を覚えて、そのまま怒りを太宰にぶつけた。……最後のはいつも通りだが。
そんなどす黒い感情も、みょうじの顔を見ていたら自然と消えてしまうのだから理解できない。本当に最近の俺はおかしいと思う。いや、自分のこの気持ちを認めたくないだけなのかもしれない。
―――――守ってやりたい。笑っていてほしい。
みょうじを見ていると、自然とそういった感情が湧き上がってくる。先程のみょうじの、唇を噛みしめて遠くを見つめるような表情を思い出した。あの傷のことだって、本当は教えてほしい。みょうじが抱えているもの全てを受け止めてやりたい。嗚呼、これはまるで―――
「………好き、なんだな」
みょうじのことが。もう認めざるを得ないほど、いつのまにかこの感情は抑えきれないくらいに膨れあがっていた。
それは驚くほどストンと俺の心に落ちてきた。先程触れたみょうじの髪の感触を思い出して、指先が変に熱くなる。一度その柔らかさを覚えてしまえば、もっと、と欲するのは人間の性なのだろうか。
「………此の侭うかうかしてらんねえな」
悪ィな、みょうじ。俺は好いた女を眺めるだけで満足出来るような男じゃねえんだよ。