バタン。医務室(またの名を我が楽園)の扉が勢いよく開かれる音に、書類を片づけていた指を止めて顔を上げた。そこにいたのは長いくるくると巻かれた金髪を揺らす彼女。
「なまえ!ちょうどいいわ!匿ってくれない?」
「……お嬢、」
口元がひくりと引きつるのを感じた。エリスの要望に無理だとも言えないけれど、それはつまり、直に首領がやって来るということ。
「あー、また首領と鬼ごっこですか?」
「違うわ、今日はかくれんぼ」
そう言いながらカーテン裏やデスク回りをうろうろして隠れ場所を探すエリスに、こっそりハアとため息をつく。こんなことは今までも数回あった。以前、転んで膝を擦りむいてしまったお嬢をたまたま見かけたのでその傷を異能で治したら、思いのほか懐かれたのか、こうしてよく避難と称して遊びに来るようになったからだ。私の髪で遊ぶのは全くもって構わないが、デレデレの首領がすぐエリスを追いかけて飛んでくるものだから対応に困る。
「リンタロウが来ても私がいること言っちゃ駄目よ!」
「そんなあ……困ります。それとお洋服が汚れちゃいますよ」
医務室のベッドの下に潜り込むエリスに情けなく言い返した。彼女といるときは目を疑いたくなるほど甘々な首領だって、腐ってもマフィアのトップ。そんな人に嘘をつくのはさすがに怖い。が、エリスの言うことを聞かないのも後々が怖い。
「もう!この前リンタロウに告げ口したの、まだ忘れてないんだからね!」
「え〜〜っ、だって『エリスちゃんを見なかったかね?』って言う首領の目が笑ってなかったんだもん、勘弁してくださいよ……」
再び書類に目を通しながらエリスとお喋りをしていると、遠くからバタバタと盛大な足音が聞こえた。
「リンタロウだわ。なまえ、よろしくね」
「えええええ、待ってください!心の準備が、」
「エリスちゃん!何処だい!!」
バタン。本日二度目の豪快な音がしたかと思うと、予想通り首領が現れた。最初はこの趣味全開モードの首領にドン引……いや、驚いたが、慣れとは恐ろしいものだ。今では表面上はなんとか取り繕うことが出来るようになった。立ち上がり礼をする。
「みょうじくん、エリスちゃんを見なかったかい?」
「いえ、今日はまだ……あ、」
見ると、ベッドの下に赤いワンピースの裾がちらりと見え隠れしていた。
「エリスちゃんッッ!やはり此処にいたんだね!」
「もうっ、言わないでって言ったじゃない」
頬を膨らませるエリスがもぞもぞとベッド下から出る。私はお嬢がいるとは一言も言っていません、そう口に出そうとして、いやこんな口答えは不敬かもしれない、とぐっと堪えた。
「なまえくんは視線誘導で教えてくれただけだよ。ああっ、でも怒ったエリスちゃんも可愛い!!さあ!約束通り新しく買ったドレスを着てもらおうか!」
「……約束だものね。ばいばい、なまえ。今度はなまえの髪いじらせてね」
「首領の許可が下りればいつでもどうぞ……」
これでやっと書類に集中出来る。そう思ったのも束の間。
「ああ、そうだ。なまえくん」
扉の一歩前で足を止め、首領の声がワントーン下がった。仕事の話だ。背筋がぴんと伸びた。
「この前の君の戦闘投入、なかなか良かったよ。やはり戦場での回復が可能になるのは効率的だ」
「……ありがとうございます」
「脚は大丈夫なのかい?」
「怪我には慣れております故」
「――そう。本当にそのハンデは口外しなくていいのだね?中也くんは君のことを心配しているようだけれど」
中原さん。その言葉に体が反応しそうになった。いけない。公私混同はすべきでない。
「この脚のことを話したらそれこそ今以上に心配をかけてしまいそうなので。……お願いです、それだけはどうか内密にして下さい」
「まあ構わないが……。ああ、それとこれから忙しくなるだろうから、くれぐれも宜しく頼むよ」
「噂のミミックとやらの抗争ですか」
「それも勿論あるが、最近マフィアと敵対している組織の処理もある。ちょうど今頃中也くんが向かっているはずだ」
「……はあ、事情は察しました。なんなりとお申し付けください」
首領の、冷え切った目が私を捉えた。
「――治癒能力の異能は貴重だ。その異能、存分に発揮し給え」
「……仰せのままに」
「はあ、緊張した……」
二人が去った医務室で、気持ちを落ち着かせようと紅茶を淹れた。あれが本来の首領だということは百も承知だが、エリスと一緒にいるときの状態を見かける機会がそこらの構成員より多いためか、未だあの身震いしそうになる目線には耐えられない。
『その異能、存分に発揮し給え』
首領の台詞をもう一度、頭の中で反復する。要はひたすら治せと。やっていることは前の組織の本部に身を置いていた時期と何ら変わりはない。私は誰かのために異能を駆使するだけだ。例えこの脚が悲鳴を上げようとも。この身が滅びるまで、永遠に。
温かい紅茶が胃の中から身体を温めていくのに、つま先は何時までも冷たいままだった。
******
仕事を切り上げて帰ろうと廊下を歩いていると、偶然中原さんとすれ違った。
「お疲れ様です」
「おう。あっ、待てよ」
最近は顔を合わせるのすら恥ずかしくて挨拶だけ済まそうとすると、何故か呼び止められる。
「何かご用件でも……」
「厭。今帰りか?」
「はい、そうですけど、」
「みょうじ車持ってたっけ」
「いえ、いつも電車です」
「あー……、なら送ってく」
「は?」
送る?何処に?私を?何で?
中原さんが言わんとしていることを理解して、脳が沸騰しそうになった。
「いやいやいや!お気遣い結構です!えっ、そもそも中原さん仕事は!?」
「俺も一段落ついたところなんだよ。丁度帰ろうと思っていたからな、タイミング良いだろ」
「だからといって私を送る理由がどこに……!」
「鶴見で人身事故があったとかで電車止まってんぞ」
「え、そうなんですか、」
「ああ。どの線も暫く動きそうにもない。わかったなら大人しく送られてろ」
そんな強引な、と思いつつ、確かに早く帰れるに越したことはないので、中原さんの提案に大人しく従うことにした。
*****
中原さんの車は見かけたことは幾度かあれど、乗せてもらうのは初めてだった。隣で運転する中原さんを横目で盗み見る。真剣な表情、綺麗に縁取られたまつ毛、流れる洋楽に合わせてリズムを刻む指。その全てが様になっていて、慌てて視線を前に戻した。
「最近仕事の方は如何なんだ」
「変わりはないです……あっ、首領にこれから忙しくなるとは言われました」
「首領が?ま、確かに最近は抗争やらでドタバタしてるもんな」
「中原さんは今日もどこかの組織の処理に当たっていたんでしたっけ?」
「まあな。首領の命で向こうのトップは逃がしてやったが、組織自体はほぼ機能出来ない状態にした」
「お疲れ様です」
車内に流れる音楽が、アップテンポな曲から物憂げなバラードに変わる。ああ、と思い出したように付け加えられた中原さんの言葉に、悲鳴を上げそうになった。
「――っていう名前の組織だった。みょうじ、知ってるか?」
知ってるも何も。中原さんが口に出した組織の名は、忘れもしない、私をスパイとしてポートマフィアに送り込んだあの組織の名前だった。