歌仙兼定は風流を愛す


「ぅきゃーっ」

「あっ、ほらべに、新しい遊び相手が来たよ〜」


意識が生まれた瞬間に耳に飛び込んできた、赤ん坊の楽しげな声。
反射的にぴくりと耳が動くのを感じながらそっと目を開ければ、刀剣男士の腕の中からこちらに向けて手を伸ばす赤ん坊。
―――キラキラと輝く目に映った自身の姿が、随分と良いものに見えた。


「おや・・・、ずいぶんと可愛らしい主に当たったものだ」

「へー。アンタはあんまり驚かないんだね」


ピコピコと跳ねる赤ん坊の足に蹴られながらも、ちょっと意外、と目を丸くさせる男。
「君は?」と首をかしげて問いかければ、「近侍の加州清光。よろしくね」と酷くあっさりとした自己紹介を贈られた。
その立ち振る舞いは成程、確かに自分より人の身に慣れているように見える。
ぎこちない、とまでは行かずとも違和感のある“腕”を持ち上げて前髪を軽くかきあげれば、加州はその整った眉を小さく持ち上げた。


「僕は歌仙兼定。主の見た目に驚くなんて、雅じゃないからね。どれ、僕にも抱かせてもらえるかな?」

「・・・ま、いいよ。落っことさないようにしてよねー」


歌仙の気取った様子に少し物言いた気な様子を見せたが、加州はひとつ息をつくとべにを差し出す。
小さなそれを受け取って、その意外な重さに内心で驚いた。
けれどそれよりも胸中に広がるのは、こみ上げてくる愛しさ。
歌仙はそれに抗うこともなく、ゆるりと頬を持ち上げた。


「あー?ぅま、だー!」

「・・・ふふ、可愛いね。それに、どんな香にも勝る、良い匂いだ。名前はなんと言うんだい?」

「べに」

「べにちゃんか。よろしく、小さなあるj」

「だぅっ」


歌仙の言葉は、最後まで言い切ることなく遮られた。
・・・物理的に。


「ぶふっ」

「・・・まぁ、よくあることだよ。赤子に怒ったって仕方nいっ!?」

「あー、ぅ?」

「ちょ、こ、こら!やめないか!」


べにの小さな手がべちりといい音を立てて歌仙の鼻にぶつかったかと思えば、その手は続けざまに前髪を一房握り締める。
加州の噴出す音にぴくりとこめかみを動かしていた歌仙は、今度こそ焦りで表情を崩した。


「ぶははははっ!いいぞべに、もっとやってやれ!」

「は、放してくれ!加州、勝手なことを言うな!」

「だー?」

「くっ・・・」


無理に引き剥がすこともできず、されるがままに前髪を引っ張られるしかない歌仙。
ぶんぶんと遠慮なく上下に振られる腕に、頭皮への心配が鰻登りだ。
どうしよう、顕現したばかりなのに10円禿げとかになったら。
雅じゃない。一切合切雅じゃない!
好き勝手なことを言う加州に文句を言いながらも局地的な頭皮の痛みに耐えていると、ふと視界にべにの短い腕が入ってきた。
ちなみに反対の手はしっかり前髪を握っているようで、頭皮の痛みはなおも続いている。
両手で違うことができるなんて器用だな、と努めて冷静に頭を働かせていると、その短い手は歌仙の胸元へと伸び。


「あぁっ!?って、うわああ!?」


胸元の花をひっつかんで崩したかと思えば、続けて結ってある紐を引っ張る。
しかもそのまま当然のように口に運ぶのだから始末に終えない。
あっという間にぐちゃぐちゃになった装飾品に、歌仙は人の身を得て初めての“開いた口が塞がらない”というものを感じていた。


「ちょっと、べにに変なもの食べさせないでくれる?」

「僕のせいなのかい、これ・・・!?」

「余計なモンジャラジャラつけてるのが悪い」

「この雅さがわからないなんて・・・!」

「ねぇ、俺らの主、赤ん坊」


一言ずつ区切って言い聞かせるような言い方に引っかかりを覚えつつ、なんとかその手と口から紐を奪還する。
どうやら紐に意識がいっている間に反対の手の力は抜けたらしく、頭を後ろに引けば髪が開放された。
のだ、が。


「っ!?か、髪が!?」

「ぶぁっはっはっは!!べにさいこーだよ!!!」


べちゃりと顔に張り付いてきた髪は、唾液で見事にべたべたにされていた。
おそらくさっき自由にさせたとき、存分にあむあむされたのだろう。
べにの口から滴り落ちている唾液が、その湿り具合を物語っている。


「長い髪は狙われるから気をつけなよねー」

「もっと早くに言ってくれないか・・・!」

「いやぁ、余計なこと言わなくてもいいみたいだったし?」

「くっ・・・!」


ニヤニヤと馬鹿にしたような笑みでそうのたまう加州には、態度を取り繕っていたのはお見通しだったらしい。
歌仙が何も言い返せないのを見て気が済んだのか、普通の笑みを浮かべると歓迎するように片手を軽く広げてみせた。


「ま、子どもが嫌いじゃないなら十分戦力だよ。刀としても、実力つけてもらうからよろしくね?」

「・・・いいだろう。だがまず教えてもらいたい」

「・・・何?」

「井戸はどこだ」

「・・・は?」

「井戸だよ、井戸!髪が洗えないだろう!?」

「・・・・・・」


忘れないでほしい。未だべちゃべちゃの前髪が顔に張り付いたままなのだ。
誰のものとか関係なく不快なその感覚に若干涙目になりながらそう聞けば、一瞬の沈黙。
そして始まった大爆笑に、しばらく耳を悩まされる羽目になった。










ざば、と水から顔を上げて、ようやくふぅ、と一息つく。
顕現直後から酷い洗礼を受ける羽目になったものだ。
先が思いやられる、と眉間にしわを寄せながらぐい、と手ぬぐいで頬を拭えば、小さな手が鼻にぶつかった感覚が蘇った。


「・・・・・・」


小さい、手だ。
主だということは、一目見た瞬間にわかった。
刀を持つ実体を得た今、主の姿形は重要じゃない。
まして今は刀といえど神の一端を担うもの。主はより純潔のもの、純粋なもののほうが力が強い。
だがそれでも、その小ささには一瞬目を見開いたのだ。


「・・・守らないと、いけないな」

「少しは落ち着いた?」

「あぁ」


小さく呟けば、動きが止まったのを見てか、縁側に座って待っていた加州が声をかけてくる。
前髪を優しく念入りにふきあげながら振り返れば、よいしょ、と小さな掛け声とともにべにを抱き上げた加州が縁側から立ち上がったところだった。
べには動いたことにか「あーぁ、だー!」と楽しそうな声を上げ、凶器になりかねない両手は何かを求めるように動く。
加州は当然のようにべにを支えるのと反対の手を差し出し、ひらひらと動かしてべにの注意を引いていて、成程、ああやるのかと顎に手を置いた。
どうやら加州からは色々と学べそうだ、と感心していれば、当の本人は気にする様子もなく「なら、本丸の案内するよー」と踵を返す。
そのまま歩き出す背中を追って縁側に上がれば、「あ、そうだ」と呟いてクルリと振り返った。


「慣れるためにも、べに抱いとく?」


言いながら軽く抱えなおされたべにに、先ほどの惨事が思い出される。
思わず息を飲む一方で、あえてそれを聞いてきた加州の意地の悪さも実感し。


「・・・ちょっと待ってもらえるかな」


聞いておきながらも渡す気のない加州を一旦留め置いて、歌仙は袂から一本の結い紐を取り出した。
手早く前髪をくくり、下ろすその手で胸元のすでに形の崩れた花をはずして袂に仕舞い。
他に余計なものがついていないか確認すると、加州に向けて両手を伸ばした。


「さぁ、おいで、べに」

「・・・あんた、有望だよ」


本気で驚いたような表情をみせる加州に「当然だ、」と鼻を鳴らして、差し出されたべにを受け取る。
やはり重い、小さな身体。
この小さな主を、守ってこそ、だ。
いくら造形が良いと言っても、邪魔になるものなんて雅じゃないだろう?

・・・本丸を回りきるころには腕が限界だったなんて、情けないから絶対誰にも言わないでおく。

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