秋田藤四郎は忠義に厚い


「べにはまだ座れないのかい?」


新しい刀剣男士、打刀の歌仙兼定を迎えた本丸は、今日も平和に鳥が鳴いている。
打刀や太刀といった大きな刀たちが出陣する中、朝の遠征を終えた短刀たちと一番錬度の低い歌仙さんで本丸の留守を預かっていた。
抱っこさせて、私も、俺っちも、と皆の腕の中を移りながらも笑顔を見せるべに様に癒される中、歌仙さんの放った一言は皆の顔を一度に上げさせた。


「座る・・・?べにが?」

「べにって、座れるのか?」

「うーん・・・?まだ寝返りも上手くうてないみたいだけど・・・」

「本人の得意不得意によるけれど、寝返りの前に座ることができる子もいるようだよ。それにほら」


そろって首を傾げる三振りにそう言いながら、歌仙さんがひょいとべに様の脇を抱えて持ち上げる。
ぷらんと宙に足を投げ出したべに様は、肉付きもよく短いそれをぴょこんぴょこんと跳ねさせた。
皆に抱き上げられている間もしていたその仕草を特に不思議にも思わなかったけれど、歌仙さんは違ったようで「ほらね、」としたり顔をしてみせる。


「ん!ん!」

「足をよく動かしている。これは足の力が強い証拠だよ。首もしっかりしているし、はいはいや掴まり立ちだって夢じゃないんじゃないかい?」

「・・・ほ、ほんと・・・?」

「昼間しっかり遊べば、夜もまとまった時間眠るようになるだろう」


昨日は一刻ごとに起こされてしまったからね・・・と若干げっそりした顔で苦笑する歌仙さんは、確か昨夜の夜番になっていたはず。
成程、洗礼を受けてきたんだなぁとその大変さを思い出して一瞬遠い目になったけれど、言われた内容に思わず身を乗り出して「そうなんですか!?」と歌仙さんに詰め寄った。
ほぼ徹夜と変わらない夜番は、平和な本丸の中では中々に辛い。
交代制とはいえ、少しでも眠る時間が長くなるのならそれは今この本丸にいる刀剣男士全員の願いだった。
歌仙さんは少し驚いたように目を見開いたけど、「おそらくね、」とはっきり頷いてみせる。
思わず「うわぁ、」と興奮したような声を出せば、薬研君が「成程な、」と顎に手を置いて納得したように頷いた。


「そういえば、風邪やらが怖いとほとんど外に出していなかったな」

「・・・じゃあもしかして、離乳食も、そろそろだったりする?」


燭台切さんが離乳食のレシピを熱心に読んでいるのを見た乱君が恐る恐るといった風に問いかけると、歌仙さんは今度は「どうだろう、」と首をかしげた。
さすがにまだ気が早かったかな、と乱君が恥ずかしそうに首を窄めれば、歌仙さんはゆるりと首を振ってみせる。


「食べられるようになると、親・・・この場合は僕たちだね。大人が食べるのを見て、口をもぐもぐさせるようになるんだ。そうやってまずは真似て練習をするようだね」


べにはできるかな?と問われて、慌てて自分たちが食事をしているときのべに様の様子を思い浮かべる。
確かに、言われてみれば口をもぐもぐとさせていたような・・・よだれがすごくて、それにばかり気がいっていたせいで、よく覚えていない。
でも歌仙さんの言うとおりだとすれば、あれはその、食べる準備、というものだったのだろうか。
今は戦場で戦っているはずの燭台切さんが、「おっと、出番かな?」と目を輝かせそうだ。


「・・・ねぇ、いまさらかもしんないけどさ、」


この小さな口がものを食べるようになるんだ、と感動していると、妙に感情の乗らない声で乱君が口火を切る。
目が合うとニッコリと微笑んでくれるべに様から、名残惜しくも視線をそらして乱君に顔を向ければ、難しい顔をした乱君がじっとべに様を見つめていた。


「・・・べに様って、何歳・・・ううん、生まれてからどれくらいなの?」

「「「・・・・・・」」」


乱君からの、答えが得られると思っていない声色での質問に、場の空気が黙りこむ。
・・・べに様が生後何ヶ月かなんて、知らない。
この場の誰も、・・・それを、知らない。
赤子について多少知っていることがあると自負している歌仙さんも、さすがに見ただけで何ヶ月と断定はできないみたいで、眉がハの字になっている。
少しの間皆で黙って顔を見合わせていたけど、雰囲気に触発されたのかべに様が「うー、あうー」と不安げな声を出したことで全員の時間が動き出した。


「え・・・っと、」

「・・・加州なら、知っているかな?」

「・・・どうだろう。知っている・・・かも、しれないけど」


正直、一度気になってしまったせいか気になって仕方ない。
出陣に出た皆が戻ってくるまでなんて、落ち着いて待っていられそうになかった。


「・・・やっぱり、紺野さんならわかりますかね」

「・・・だろうな。ただし、捕まるかがわからんが」

「いつも決まった時間じゃないもんねー・・・」

「・・・紺野?」


突然出てきた名前に歌仙さんが首をかしげて、その反応に乱が首をかしげる。
そういえばまだ教えてなかったっけ、と紺野さんの存在を伝え忘れていたことにようやく気が付いた。


「あれ、知らない?紺野さんは政府の人なんだよ」

「たまに様子を見にきてくれるんですよ。すごくしっかりした方なんですけど、加州さんは“人間の癖に人間味がない!”ってよく怒ってます」


乱君の説明に付け加えれば、「そういう役の者がちゃんと居たんだね」とどこか得心がいったように頷く歌仙さん。
そういえば最近見かけなかったから、歌仙さんが知らないのも無理はない。
今居たらいい機会だし紹介できるんだけど、と思っていると乱君に「一応呼んでみる?」と聞かれ、あんまり期待はできないだろうけど、と思いながらも頷いた。


「じゃあ・・・こんのすけー、紺野さーん」


・・・すごく、適当だ。
まるで来ると思っていない、その辺に適当に掛けられた声に思わず苦笑すれば、歌仙さんが「・・・こんのすけ?」と首をかしげるのが視界の端に見えた。
あぁ、そのことも説明しないと・・・と歌仙さんを振り返るのと同時。
さっきと反対側の視界の端、障子の向こうからひょこりと黄色いものが顔を覗かせたのが見えた。


「・・・何か用か」

「あ、紺野さんだ!」

「やったぁ!これでイロイロ聞けるね♪」


さっきまでと打って変わってはしゃぐ乱君と対照的に、紺野さんはその狐面をしかめてみせる。
わかりやすいその表情に、薬研君が苦笑しながら手招いた。


「まあそんな嫌そうな顔すんなって。べにについて、ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「・・・何だ」


さっきよりもトーンの低くなった声。
手招きされて近付いたけど、それでも遠い距離。


「(・・・紺野さんって、べに様について聞かれること嫌いなのかな・・・?)」


数えるほどしかない状況だけど、必ずといっていいほど機嫌が悪くなっている気がする。
何か、嫌なことでもあるんだろうか。
それとも、単純に子どもが嫌いとか。

・・・あんまり、紺野さんにべに様の話振らないほうが、いいのかなぁ。
・・・でも、べに様のこと、知りたいしなぁ。

ごく、と生唾を飲み込んで、少しだけ姿勢を正す。
どきどきと鳴る心臓を感じながら、思い切って切り出してみた。


「べに様って、お生まれになられてからどれくらいなんですか?」

「・・・・・・」


反応、なし。
・・・心、折れそう・・・


「まだ生後、1年は経ってないだろう?」

「・・・・・・・・・」


薬研君の言葉にも、返るものはない。


「・・・知らない、なんてこと、ないよねぇ・・・?」

「・・・・・・・・・・・・」


たっぷりと、沈黙。
俯くでもなく、けれど少し下がった視線はここではないどこかを見ているようで。
そんなに困るような質問ではないと思ったんだけど、と息苦しくなっていく空気にはらはらする。
乱君の挑発するような言い方にも、何の返事もなく・・・


「・・・・・・・・・五ヶ月、ほどだ」


とつ、と。
さっきよりもさらに低くなった声で伝えられたそれは、危うく耳まで届かないほどの音量しかなかったけれど。
それでも何とか拾えたそれは、さっきまでの空気はなんだったのかと思うほどの衝撃を落とした。


「五ヶ月かぁ、まだ半年もたってなかったんですね・・・!」

「そりゃ小さいわけだ、まだまだこれからだな」

「ねぇ歌仙、五ヶ月の赤ちゃんってどんなことができるの?」


一気に元気になった三振りでわっと盛り上がって、その勢いでべに様を抱いたままの歌仙さんを振り返る。
やっぱり目が合うとにっこりと最高の笑顔を見せてくれるべに様を膝の上に乗せたままの歌仙さん。
けれどその表情は、唖然、というのがぴったりのものだった。


「・・・歌仙?」


三振りと紺野が不思議そうに歌仙さんを見ていたからか、べに様もつられるように歌仙さんを見上げて。
べに様の「あ?」という不思議そうな声に、ぴくりと身体を動かしたかと思えば。


「き・・・」

「「「き?」」」「いー?」

「狐だなんて聞いてないっ!」

「「「!?」」」


キィン!と耳に残響が残るほどの大声で叫ばれて、三振りそろって思わず反射的に耳を塞いだのに・・・一番近くに居たはずのべに様はといえば。


「あーだ!」


ぺちぺち!とその小さな手で自分の腹に回っている歌仙さんの手を数回叩いて嫌そうに身体をくねらせるだけで、泣きもしないのだから・・・
僕らの主は意外と、いやきっと確実に、大物に育つのだろうと確信した。


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