一期一振は礼儀良く
―――風が吹く。
何度も嗅いだ、鉄と脂を含んだ、生臭い風の臭い。
何度嗅いだって慣れそうにもないその臭いに眉をしかめながら、加州は目を細めて戦場を見渡した。
「・・・偵察、苦手なんだよなぁ」
思わず愚痴が零れるのは、もはや毎度のこと。
少し離れた後ろに控える今回の出陣メンバー、燭台切、鳴狐、一期一振、歌仙は、風に乗って聞こえてくるそれにそろって困ったように笑った。
加州は偵察が得意でないというが、このメンバーの中では一番よく目が利くのである。
鳴狐も気付くほうではあるが、錬度の差か、やはり加州のほうが上をいく。
今しばらくは彼に任せることになりそうだ、と燭台切が肩をすくめると、加州が茂みを掻き分けて戻ってきた。
「どーやら横一列で行くのがよさそうだね」
「OK、じゃあいつも通りに」
「近くの隊が不利なようであれば加勢、ですな」
「刀装は剥がしても怪我は負うな、もですよぅ!」
「勝ちより生存。雅でなくとも、必ず退路を確保して戦うこと、だろう?」
耳にタコだよ、と一番最近戦線に参加しはじめた歌仙に締めくくられて、燭台切と加州でそろって面食らってしまう。
頼もしいね、と口には出さずに笑みを贈れば、似たような表情が返ってきた。
“怪我をするな”
この本丸で、最重要事項として伝えられることだ。
出陣のたびに口すっぱく言っていたけれど、どうやらしっかり浸透してきたらしい。
「・・・どうやら、出陣前にこれ以上伝えておくべきことはないみたいだね」
「そーね。じゃ、皆。準備はいい?」
「勿論!」
全員が各々の本体である刀に手をかけ、鯉口を切る。
キン、と澄んだ音が耳に響いて、上がる口角を抑え切れなかった。
刀の本分は、武器。
戦はやはり、血が滾るのだ。
「じゃ、おっぱじめるぜぇ!」
ガキン!と刀同士がぶつかり合う。
チリッとした痛みに、少しだけ刃こぼれしたのを感じ取って舌打ちをした。
あぁ、さっさと帰ってべにに癒してもらわないと。
まぁ、遊べば治るとわかってからは、よっぽどいいんだけど、ね!
「オラァ!」
覆いかぶさってきていた太刀を、腕に力を込めて押し返す。
でかい図体がぐらりとよろめいた隙に懐に入って刀を振り上げれば、腕に伝わる確かな手ごたえ。
袈裟に大きく切れ目の入った体は、そのまま後ろにどう、と倒れ付す。
それを確認するが早いか、横から迫っていた短刀の一撃を身体を捻って避ける。
ったく、数だけは多いんだから・・・!
もはや人の形すら残していないそれの頭蓋骨を両断すべく刀を振り下ろし、ガシャンと地面に叩きつけられた短刀の残骸を一瞥する。
しかしそれも刹那。次は、と油断なく周りを見渡した加州に油断はない。
できればこれ以上刃こぼれしたくないんだけど、という願いが届いたのか、その場には加州の外に動くものはないようだった。
ふぅ、と息を吐いて刀を納め、もう一度ぐるりと辺りを見渡す。
歴史修正主義者たちの屍が一面に広がり、足の踏み場もないような状態だ。
倒しても倒しても、再びこの地・この時代に訪れたときにはまた新たな敵がいる。
それはつまり、それだけ歴史を改変したいと望むものが多いということで。
その事実に、加州は少し複雑な気持ちになった。
「とりあえずは、落ち着いたかな・・・?」
横隊陣の最左翼を請け負った加州は、中央に居る歌仙たちよりも戦闘が多い。
その加州が一息つける程度に落ち着いたということは、中央はもっと敵も少ないはず。
この微妙な気持ちを振り払うためにもさっさと合流しちゃおう、と加州が一歩踏み出したとき・・・ふと、キラリと目に光が飛び込んできた。
資源かな?と反射的に振り返った先にはしかし、歴史修正主義者の屍の山しかない。
・・・気のせい?と首を傾げると、その拍子にまた、キラリ。
「・・・・・・」
気のせいではないそれに加州は踵を返して、慎重に、一歩ずつ近付いていった。
死んだように見せかけて、とか、そんなことができる頭もないと思ってたけど、可能性はゼロじゃない。
いつでも抜刀できるよう、刀に手をかけた状態で極力音を殺して近付く。
隠蔽は、得意なほうだしね。
―――さぁ、来なよ・・・?
じり、じり、と距離を詰めて、歴史修正主義者の身体が細部まではっきり見える位置まで来る。
そうすれば、それが・・・確実に、死んでいることもわかった。
拍子抜けなような、気を張った分損したような気分で肩の力を抜く。
「でもじゃあ、一体何が―――?」
「どうだい、そっちの様子は?」
「燭台切殿。えぇ、丁度落ち着いたところです」
カチン、と血を拭った刀を鞘に納めて振り返れば、特に怪我を負った様子もない燭台切が片手を上げている。
ペコリと軽く頭を下げて返せば、「怪我はない?」といつもの確認をされて思わず苦笑した。
相変わらず、べに様のことを第一に考えられる方だ。
怪我の有無は、それを治すべに様のことを思っての確認。
「(まぁ最初の一言が私に向けられたものと考えれば、無下にされているわけではないのでしょう)」
きっと自分もそうなっていくのだろうと想像して、「はい、ありません」とまたひとつ頷いた。
「右翼は今回、あまり敵がいなかったね。左翼側に集中しちゃったかな?」
「そうですね・・・敵も短刀が多かったですし。加勢に行かれますかな?」
「勿論。そのためにこっちに来たんだし」
向こうはあらかた片付いたよ、と来た方を顎で示されて、流石だ、とその錬度に舌を巻いた。
一期とてのんびり戦っていたわけではないけれど、やはり怪我をしないようにと戦えば、おのずと時間が掛かってしまう。
それを少ないとはいえ、一期よりも敵の多かったはずの最右翼で、一期より早く戦闘を終わらせた燭台切。
見習わなければ、と奥歯をかみ締めて前を走る背中を見据える。
そうして少しの距離を移動すれば、隊の中央に位置した歌仙と合流し、さらに鳴狐の姿が見えてきた。
その周りに散乱する無数の刀の残骸と、怪我はないものの疲弊した鳴狐の様子に、やはり戦局はこちらに傾いていたのかと確信する。
「鳴狐殿!ご無事で!」
「一期殿!えぇえぇ、数多の敵に囲まれましたが、鳴狐は何とか切り抜けました!ですが流石に疲れたようで、いつにも増して無口になってしまっております・・・」
「そ、そうですか・・・」
いつも無口じゃないか、と突っ込める者はいなかった。
それこそ加州がいたら突っ込んでくれるかもしれないが、生憎その姿はここにない。
やはり未だ、戦っているのか。
加州のことだ、逃げ損ねて・・・なんてことは、ないと思うが。
「皆、急いで加州の下へ加勢に向かおう。鳴狐はひとまず、皆から離れないように」
燭台切の緊迫した声が全員に伝わる。
いつものニヒルな笑みもなく、表情も固い。
それが事態の緊急性を物語っているようで、静かにコクリと頷いて走り出した燭台切に全員で続いた。
「―――えっ!?ちょ、ちょっと!どこ行くのさ!!」
「「「!!?」」」
―――その瞬間、思わぬ方向から聞こえてくる慌てたような声。
耳に馴染んだその声の持ち主は、一人しか思い当たらない。
そろって勢いよく声のしたほうを振り向けば、・・・疲れたような、呆れたような加州の姿がそこにあった。
「加州殿・・・!ご無事でしたか!」
「勝手に殺さないでよ・・・思ったより遅れてたみたいだね、ごめんごめん」
今まさに向かおうとしていた場所より、随分と左側―――つまり、隊列の後方から現れた加州は、おそらく相当の敵と対峙してきたのだろう。
普段なら少し髪が乱れている程度の加州だが、ところどころに服の破れが見受けられる。
それでも血を流していないのは、流石と言うかなんというか。
「でも、よかったよ。怪我はないんだね?」
「軽傷とまではいかないけど、ちょっとだけ刃こぼれしちゃったんだよねー。帰ったらべにに癒してもらうから!」
「おや、それでは鳴狐もご一緒させていただくとしましょう!」
怒ったように髪を整える加州と対照的に、鳴狐は尻尾をぶんぶんと左右に揺らしている。
きっと本体の機嫌もそれに近いのだろうと察して思わずふふ、と笑って―――ふと、加州が手にしているものに目がいった。
「・・・おや?加州殿、それは・・・?」
「あぁ、うん。拾ったんだ」
資材・・・、にしては形も小さいし、量も少ない。
何だ?と目を凝らせば、加州が皆に見えやすいようにそれを軽く掲げる。
「あいつらが、折ろうとしてたみたいなんだよね」
小さい・・・というよりは、細く、短いそれ。
この戦場で見る濁った刀とは比べ物にならないほど、清く透き通った気。
そして、ある種の既視感のような、確信の、ような。
「一期?」
思わず息を飲めば、一番近くに居た歌仙がその音を拾って声をかけてくれる。
しかし、それに応えることもできず、その視線はただただ加州の手の中に奪われた。
「・・・覚えでもあるの?」
「・・・私の、弟にあたる刀です」
おそらく、と小さく付け加えたのは、この“目”というもので弟たちの刀身を見たわけではなかったから。
けれど、どこかもっと、深いところで確信する。
あれは、あの短刀は・・・私の弟だ、と。
「・・・もしよければ、連れて帰ってもよろしいですかな?」
「もともとそのつもりだよ。顕現したら、面倒見てあげてよね」
「勿論です。・・・ありがとう、ございます」
見せるためでなく、渡すために差し出されたそれを両手で受け取り、大事に胸に抱え込む。
・・・加州殿に、大きな恩ができてしまいましたな。
恩返しの方法は、この子が顕現してから考えるとしましょう。
カチリ、と鳴った短刀を優しく撫で、「さ、帰るよー!」と大きく伸びをする加州に続いて一歩踏み出した。
**********
prev/back/next