五虎退は不安げに


静かなそよ風の吹き込む室内。
かすかな鳥の鳴き声が届く心地よい静寂の中、べには小さな布団の中で小さく寝息を立てていた。
本丸の中に居る刀剣達は各々に振られた仕事をこなしていて、近くにその姿は見当たらない。
すー・・・すー・・・と、気持ちよさそうな音がかすかに聞こえる南向きの一室。
その開け放した障子に、奇妙な形のシルエットがひょこりと映りこんだ。


「し、失礼します・・・すみません・・・」


小さな小さな声で入室の許可を伺ったのは、つい最近戦場で拾われてきた短刀、五虎退。
歪なシルエットは、五虎退の頭の上に乗っている仔虎の影だったらしい。
そっと音を立てないように部屋に入った五虎退に続いて、他の仔虎も抜き足差し足べにに近付く。
そして、べにの枕元に正座した五虎退に倣うように、きちんと足を揃えて座り込んだ。


「この子が・・・僕の、新しい主・・・」


小さな小さな手は顔の横で握りこまれていて、五虎退の手でも簡単に包み込めてしまいそうな大きさしかない。
恐る恐る手を伸ばしたけれど、起こしてしまったら、と思うと気が引けた。










五虎退が目を覚まして真っ先に見たのは、一期のほっとしたような笑顔だった。


「よかった・・・どこも、痛いところはないかい?」


一応一通り診たけれど、と心配そうに聞く姿に、思わず「はい、元気ですぅ・・・」と応えてからあれ?と首を傾げる。
主が、いない。
どこ?とキョロキョロと部屋の中を見渡しても、主どころか一期以外誰も居ない。
あれぇ・・・?ともう一度首を傾げれば、五虎退の動向を見守っていた一期が苦笑をもらした。


「私たちの主は、少し疲れておいででね。別の部屋にいらっしゃるよ」

「そ、そうなんだ・・・」


とても、温かい気だったと思うのだけど。
会えないのかぁ・・・としょんぼりする五虎退を見て・・・いや、五虎退に気付かれぬよう、厳しい目でじっと観察して・・・、一期はふっと表情を緩める。


「・・・大丈夫、少しすればお会いできるよ」

「ほんと・・・!?嬉しいなぁ・・・!」


ぱぁっと表情を明るくする五虎退にもう一度微笑んで、まずは本丸の案内をしようか、と先立って部屋を出る一期。
五虎退が慌ててその後を追えば、一期は部屋を出てすぐのところで立ち止まっていた。
不思議に思って背中からその向こうを覗き込めば、真っ黒の装束に、黒い髪をくくっている男。
その手に携えられた刀―――きっと、彼の本体―――に、五虎退はとっさに一期の背中に隠れた。


「(こ、怖い人だ・・・!)」


刀を持っていたことだけじゃない。
その目が五虎退を射殺さんばかりの鋭さで、事実向けられていたのは殺気にも近い感覚だった。
そこまで考えて、五虎退はふと、一期も帯刀していることに気付いた。
これから出陣するのかなぁ・・・?と黒い男・・・加州に怯えながら思う五虎退を一期越しにじっと見ていた加州は、張っていた肩をふぅ、と息をついて落とす。


「・・・どーやら、出番はなさそうだね」

「えぇ、有り難いことに」


にっこりと笑みを返す一期の背中で首を傾げる五虎退の頭を軽く撫でれば、恐る恐る一期の背中から顔を出す五虎退。
その目には既に涙が溜まっていて、何もしてない・・・いや、睨んだか、と第一印象の酷さを悟った加州は軽く腰を屈めて五虎退と目を合わせた。


「怖がらせてごめんね。俺は加州清光。部隊長やらせてもらってるよ」

「あっわっ・・・ご、五虎退です・・・すみません」


びくびくしながらもしっかり名乗る五虎退に、一期が「よくできました」と再び頭を撫でる。
気持ちよさそうに甘受する五虎退を見て、加州もようやく笑みをみせた。

―――その後ろから、足音。

てしてし、と可愛らしいそれは、人間のものではない。
けれど五虎退は、場の空気が一瞬にして凍りついたのを敏感に感じ取った。


「・・・咎落ちは、していないようだな」


加州の後ろに見えたのは、小さな狐。
外見に似合わない低い男の声には何の感情も見えず、五虎退は「ひっ」と小さく息を飲んだ。
そんな五虎退を庇うように後ろに下げた一期が、紺野を冷たく見下ろす。
運悪くそれを正面から見てしまった加州は、戦場より怖い顔だなと軽く頬をひくつかせた。


「何のことかわかりかねますな」

「・・・前の主の穢れを纏っているケースも報告されている。よく見極めるように」


それだけ言うと踵を返して廊下を歩いていく背中を、誰もが動くこともなくじっと見送る。
その姿が向こうの角を曲がって少ししたところで、どちらからともなくほぅ、と息をついた。
未だにびくびくと一期の背に隠れて震えている五虎退の背中に手を置いて、落ち着かせるように一度、二度とゆっくりと手のひらを上下させる。
徐々に落ち着いてきた震えに表情を緩めれば、それを合図に加州が「気にしなくていいよ、」と出来る限りに優しく声をかけた。
そっと加州を見上げた怯え顔の五虎退に笑みを向けて、ぽり、と誤魔化すように頬をかく。
紺野の態度は酷いと思うが、加州とてその気持ちがわからないわけではないのだ。


「アレは今・・・少し、神経質になってるだけだから」

「私たちのように、神気が肌で感じられるわけでもありませんからね。その分、不安なのでしょう」


そう、紺野が五虎退を警戒するのは、仕方のないこと。
そうわかっていたのに、配慮のない言葉を可愛い弟に投げつけられたと、冷静でいられなかったのは、ひとえに自分が未熟だからだ。
まだまだですね・・・とこっそりと反省する一期をこちらもこっそりと見上げながら、五虎退はそっと一期の服を握り締めていた手を解く。
五虎退も、子どもの姿とはいえ、察しが悪いわけではない。

何故顕現したとき、主が傍にいなかったのか。
何故未だに主と会えないのか。
何故、二人が帯刀しているのか。

そしてさらには、何故、最初に目にしたのが、一期だったのか。

すべてに察しをつけて、五虎退は自身の服の裾をきゅ、と握り締めた。


「さ、本丸を案内するとしようか。広いから、頑張って覚えるんだよ?」

「はっ、はいっ・・・!」

「俺は主のところにいるねー」


ひらひらと手を振る加州にぺこりと頭を下げて、一期の右隣を歩く。
後ろの気配が動く様子がないことに気付きながらも、五虎退は後ろを振り返らないように慎重に歩を進めた。










「傷つけるつもりなんて、ないんです・・・」


あれから、紺野とは遭遇していない。
こんのすけとは何度か顔を合わせているが、その中身が紺野だったことは今のところあの一度だけだった。
この本丸で何日か過ごすうちに一期と加州、ひいては先に本丸に居た刀剣男士からの疑いも晴れ、特に行動への制限や、監視にも似た視線が付きまとうこともない。
顕現した次の日、加州の腕に抱えられたべにと顔合わせをしたときは驚いたけれど、それよりも今、誰も傍にいない状態でべにが居ることに五虎退は驚きを隠せなかった。
ドキドキ、と、普段よりも早く動く心臓を押さえるように胸に手を当て、慎重にべにの顔を覗き込む。
ぷっくりとした赤い頬、閉じられた目に、長い睫。
パーツのどれもが小さくて、本当に、守らなければならない存在なのだと、加州らの行動を肯定するように考えた。


「・・・僕は・・・守れる、のかな・・・」


仲間であるはずの刀剣男士からも、一時とはいえ疑われた存在。
おそらく未だ、紺野には認められていない。
そんな自分が、こんな小さな主を守れるのか。
ただでさえ短刀で、力も弱いのに・・・
うるりとその大きな目に涙を湛えた五虎退を、周りの仔虎はそろって心配そうに見上げる。
ぱたりと振られる尻尾を、柔らかな風がそっと撫でていった。


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